「依頼された仕事をやらない人」は、なぜあれほど言われても、仕事をしないのか
私は、あらゆる組織・個人の中に、「依頼された仕事をやらない人」を見てきた。
つい先日、私は、コラムニストの小田嶋隆氏の、アルコール依存症からの脱却を書いた作品
「上を向いてアルコール」の中で、これに近い話を見かけた。
『世間の三割くらいは、「オレ、考えるの嫌だ」みたいな人で構成されていて、
酒を飲む人もたぶんそのグループの仲間に含まれています。(中略)
そういう人たちにとって、ノルマそのものはつらくてもいいんですよ。
世間にはジョギングを毎朝一〇キロやるという人たちがいます。
一〇キロ走ることのつらさは、その人たちにとったらどうってことなくて、彼らにとっては、
ただいろんなことを考えるのが嫌なんです。
私もおそらくそっちのほうのタイプで、だから勉強とかは、基本的にはしません。
いや、勉強をしないという言い方はちょっと違う。
勉強そのものよりも、なにより学習計画を立てることが大嫌いなんですね。
昔からそうですが、きちんと学習計画を立てて自分の成績を勘案しながら、こういう勉強をするんだ、
みたいなことを考えると吐き気がしてくる。
でも、「お前はとにかく死ぬまでこの単語帳を丸暗記するんだ」という課題を外部から与えられると、案外できたりします。』
面白いな、と思ったのは、「ノルマそのものはつらくてもいい」というくだりだ。
確かに、つらそうな仕事でも、最初彼らは「やります」という。
「これだけやってりゃいい」という指示を与えれば、短期間で爆発的な力を出すこともある。
でも、プライベートで何か起きたり、当初の予定通りいかず「ちょっと考えなければならないこと」が出来た時点で、彼らは、仕事を放り出してしまう。
「依頼された仕事をやらない人」は、なぜ仕事をしないのか。
それは、知性の欠如でも、努力ができないわけでも、意欲がないわけでもない。
単に「色々考えるのが嫌」という、もう少し根の深い部分に、課題がある。
したがって彼らへの指示は、「出来得る限り単純化する」ほうがよく
「あれこれ考えさせずにできる仕事」を与えなければならない。
「得意な仕事」だけを「考えず」にできるようにしてあげなければならない。
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