ゴッホの絵画の何が評価されているのか、答えられるケンモメン0人説 [805596214]
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ゴーギャンとのメンヘラ同棲生活が評価ポイント
メンヘラ同棲のためにひまわり書いて待ってたんでしょ
かわいい 浮世の絵の影響をモロに受けてるのでジャップに受け入れやすい
あと希少性 ゴッホっていうか印象派とかの時代的評価だが
室内のロウソク照明等人工光で様式ばった写実的に描くのでなく、屋外の色彩溢れる太陽光の美しさや、画家の感性による目で風景がどう見えるのかという表現が評価の基準になったからじゃ?
だから、ゴッホの極めて個性的な色彩世界が評価された 結局は評価をする人間がいないと成り立たないんだよな
芸術ってのは あっち側の世界を描いた絵として哲学者が評価の先鞭つけたのでは? 絵の一部を見ただけでゴッホの絵ってわかるのすごいよな
あの特徴的なタッチは印象に残る ゴッホ展行ったけど好きになったわ
メンヘラ具合が俺と似てて 油絵の本物を見ないとただの絵でしかないんだよな
実物のボコボコした厚塗り感がなんかわからんけどすごい これだけ価値あるなら
本人にも少しぐらいイイ思いさせてやりたかったな >>32
ほんとに
見入ってしまう
3Dプリンタで厚さを再現したやつあるけどニセモノ臭すぎる 病的なまでの細かい筆致だろ
しかも厚くボテッと塗ってるから一筆毎に立体感が生まれる
生で見るとすげー良い 文脈という教養が価値の裏付けになってるから
バカよけにもなってる トキワ荘みたいな、共同アトリエに画家みんなで住もうって計画して誘いの手紙書きまくってみんなに断られるという、漂うケンモメン感がたまらん
あんま好かれるキャラじゃないんだろうなメンヘラだし そいつがその画法考え出したとか
そいつ以降その画法するやつがたくさん出るとかなんか基準があるっぽい kahit papaano dahil sikat niya >>51
ゴッホの弟のテオに寄生できるんじゃないかと思ったから来ただけなんよ >>51
ゴーギャンの部屋がゴッホの部屋通らないと入れない場所にあるのキモくて好き >>40
その辺はちょうどゴッホ前後が過渡期じゃね?
あまり分厚く塗るとどうしても絵が暗い印象になるので、昼間の晴れた屋外や差し込む太陽光があまりキレイに出ない
だから、あの辺の時代から、状況によっては一発で色を決め薄塗りの手法も流行りだした
その技法を支えたのが、ゲーテやニュートンの科学的色彩論の再評価による美術への応用
感性任せの職人芸じゃなく、物理学的論理によって色の要素を決められる技術が普及したので、薄塗りで思ったような色彩を出すことが可能になった でもあの変な夜空の絵とか夜の露店の絵なんか好きだそ 結局は先駆性、その時代における稀少性なんじゃないの?
俺らが思ってる以上に画家なんて沢山存在してて、
俺らが思っている以上にそいつらは皆同じような絵しか描いてないんだ。 実物みたら絵が立体的で迫力があると聞いた事があるくらいだな 下手な時と上手い時の差
貝とエビだか蟹の絵は好物なのかすげぇ上手だったよw 夜のカフェテラスとか大好きだけど、何が良いのかはサッパリ解らん ヤクキメて植物とか人のオーラみたいなのを描いてるよな ゴッホは1853年生まれの画家だ。
いわゆるキレやすい子どもで高校も中退。
伯父のコネで画商になるも失恋して病んでキリスト教にハマり、22歳で有給申請を却下されたにも関わらず無視して休んで解雇される。
その後、聖職者になるために受験勉強をはじめるもついついサボっちゃって父から「お前、ニートやんけ! もう自分で稼いでちょんまげ」と言い渡されてさらにやる気を無くす。
しかしなんだかんだあって伝道師になる。
でも結局のところ教えが自己流すぎて「ゴッホ、あんたキリスト教分かってねえわ。解雇です」と言われて伝道師の夢も断たれた。
で、その後「夢も希望もないよ……」と鬱状態で放浪生活をした果てに実家に帰って父親から「精神病院行こや」と言われたことにキレて家出。
1880年ごろから弟・テオのヒモになって気ままに絵を描き始めた。ゴッホが絵を始めたのは26歳ごろからだ。
意外と遅いスタートである。
28歳にして未亡人に恋をして求婚するも「ヒモニートやん。無理よ無理」と拒まれてまたも病む。
でも諦めきれずテオの金で相手の実家に押しかけるも「やっばい! こいつしつこい! もう帰って!」と相手の家族から言われてオランダ・ハーグに移って画家コミュニティに揉まれるようになる。
でも「ちょっとだけ、ここ変えてみたら?もっと良くなりそうだよ」と他の画家から指摘されると「ああ?てんめーこら! 誰にものいってんだこら!」とガチギレするのでハブられる。
しかもテオからの仕送りが遅れると「お前が金をよこさねーからモデルの娼婦雇えねえだろうが!さっさと金よこせこら!」と立派すぎるヒモっぷりを見せつけた。
ゴッホ、このとき29歳。やばすぎるアラサー。
三十路になってからも、周りの画家たちと喧嘩し、求婚しては振られ、家族から見放され、同居を始めたテオからの金で生活をしていた。
テオは心労のあまり妹に「もう限界だわ。早よ出ていかねえかなあの三十路の穀潰し」と相談している。
で、35歳にして南フランスのアルルに移住。ゴーギャンとの共同生活が始まるわけだ。
ケンモメンでしょ、これはもう 暗い青で全体塗るじゃん?
そこに光を描くとき素人が白く塗るところを補色の黄色にするだけでより光って見えるんだよ。お試しあれ。 誰の事か分からんかったわ
せめてホッホと言って欲しいな >>73
それやった時点でゴッホのパクリになっちゃう😢 求婚してフラれたのに相手の家にいって
ランプの炎の上に手を置いて
「私が炎に手を置いていられる間、彼女に会わせてください」
と相手の両親に頼み込むもランプを消されて無碍に断られるというエピソード好き ゴッホの絵は色盲だったんじゃないかとも噂されている独特の色彩感覚と
浮世絵の影響と言われる平面的な表現や輪郭線によって
どことなくポップな印象を与えるいっぽうで
驚くほどの厚塗りをしているその荒々しいタッチによって
強烈なアナログ感が加わって独自の芸術作品となっているという印象
絵画展行ったことあるけど実物を見ると想像以上に魅力的に感じた 浮世絵を猿真似しただけなのに評価されてる馬鹿さ加減好き。 >>76
別にゴッホが開発したわけじゃないから良くね?
ピクシブ見てもちょっと知識入れたやつが馬鹿の一つ覚えみたいに大抵のやつはやってるテクだし。 ゴッホは地獄だったんだよ
女に縁がなく彼女もいない結婚もできない
たまに行く売春婦しか相手は居なかった
ゴッホは黄色は最も調子の高い色だと言って好んで使っていた
オーラの色で言えば金色・ゴールドは天国の色彩でゴッホの言う黄色というのはこれに対しての憧れのものと言えるかもしれない
どうしようもない地獄でクズな人生から天国の色彩に包まれた生活を渇望する一念を絵に表現した
ゴッホの寝室とか
世の権力者にはそれが痛いほどわかるんだろうね 山田五郎は名越康文呼んでゴッホの絵見ながら精神分析する回やれ。必ずやれ。 ゴッホ「生きてる時はまるで評価されなかったんよ…」 死んでから評価されたっていうけどよくそんなやつの絵が残ってたな ゴッホの絵単体では評価されてない
だから生前は無視されてた
ゴッホは絵描き自身の人間性・キャラクターがセットになってる芸術で
絵自体よりもバックボーンの方が本体なのだ >>93
実は死ぬちょっと前に初めて一枚売れて
評価され始めたとこだった >>84
ゴッホ論を書いた小林秀雄がこの麦畑の絵に衝撃うけて蹲った話は有名であるねw
ゴッホの手紙と複製だけで評論書いたが、実物見て評論で作り上げたイメージと全然違うというのでショック受けたという話であったねw ゴッホの絵はキャラクターグッズと言って良い
誰が描いたかが大事なのだ 貧困と孤独のうちに死に、死後に天才として名を馳せる。 貧困と孤独のうちに
死ぬのはケンモメンと共通していそうであるねw 山田五郎に教えてもらった
耳切って風俗嬢へプレゼント🎁 ゴッホのストーリーが死後面白がられただけで
絵の価値は画商がつけたもの キチガイも絵は描くが、ゴッホの絵は自らの狂気を完全に自覚している
狂人の絵であると批評されるねw ゴッホは色の使い方とかぐるぐるとか余り好きじゃない
でもあれがいい人もいるんだろうから絵って本当に好き好き >>25
オメーどうしてそんなにいつもつまらないレスばかりできるの?
死んだほうがいいよ ラーメンハゲと同じだよ
絵じゃなくて情報を見てるんだよ
モナ・リザもダビンチの作品の中ではまったく注目されていない駄作扱いだったが
いちど盗まれた事と、その時に有名だった爵位持ちの美術評論家のサー、ケネス・クラークって人が人類史上最高の絵画とかべた褒めして値段がつり上がって今の位置になった
美術品の価値というのはその程度だよ >>100
>山田五郎
ぶらぶら美術館毎回楽しみだけど
おぎやはぎもかなり微妙なんだが
女の誰かシラン奴あれ要るの?
まあそれはそれとして
山田五郎の博識はスゴイね >>109
そんなもの加工したから遠近感が産まれてるだけにしか見えん 生前はさっぱり評価されてなかったからな
そんなもんだよ ゴッホの作品だっていいのとそんなによくないのとがあるよ
日本がバブルな頃に大金はたいて買ったやつは絵画史的・批評的・構図的に
絵としてはそんなによくないのばかり。
損保ジャパンで後生大事に飾られてるやつとかさ
いいのは大抵世界有数の美術館にしかない
ただ名で釣られて騙されたと思いたくないから
必死に教科書とかに値打ちもんとして載せて国民を洗脳してるだけで
ああいう教育が絵画の価値と鑑賞者の自由ってものを狭めて
裸の王様的に名が付きゃ画面の中身なんぞ見ないで盲目的に有難がるアホを生む ありていに言えばビットコインみたいなもの
投機対象としか見てない者達がその価値を吹聴し続けてきた
嘘も百遍言えば真になるゲッベルスや池田大作と同じ手口
死んだ奴の絵画はもう増えない
後は小難しそうな屁理屈を添えれば希少性を珍重するバカ共が釣れる
>>113
これ、「ゴッホの絵だから買う」とか言ってた日本人は
モンキーだったw >>93
弟が有能な画商だったから、絵は一応保管してた
その有能画商の力を持ってしても、全く売れなかったがな
ちなみにゴッホの絵が絵の具でベトベトなのは、
弟が高価な絵の具を大量に送ってくれたから
だからあんなコスト度外視の無駄な厚塗りができた
あれは意図があって厚塗したのではなく、
たまたま絵の具が沢山あったからってだけ ど下手くそで有名なアンリ・ルソーの絵は、
ただの趣味で絵を描くオッサンだったのに、
飲み友達のピカソとかが、あまりに下手な絵を見て
冗談で「アンリ・ルソー天才だわ」ってからかって遊んでたら、
なぜかそのゴミみたいな絵に価値がついてしまった
実際にはゴミ コロナ前は上野の国立博物館よく行ってたな。
コロナ前年頃だっけゴッホの企画展示もあったな。
あれ家で飾る場合は印刷物じゃなくて立体造形物みたいな感じにしないとだめだと思う。 >>120
照明を斜め下から当てるとか
なんか凸凹を強調させたいよね ゴテゴテの厚塗りでしょ
あれやってるやつゴッホが現れるまでいなかったらしいよ >>130
パースもデッサン狂ってるし正面からしか描けないのを独特の雰囲気という言葉で無理に持ち上げる風潮やめろw >>132
まあぱっと見下手だけど色使いとか綺麗でごまかせてはいるんじゃね ルソーはその辺のデッサンが整った絵より魅力的に見えるから困る
デッサンが微妙だけどやたら抜けるエロマンガに近い ゴッホ展はちょくちょく行くけど
初期は本当に単に絵が下手なおっさんで
気が狂い始めてからわかりやすいくらいに魅力が増してくる ゴッホかゴーギャンか忘れたが、そいつらが主体の映画があったから観たら
セックス!セックス!セックス!
って感じだったわ >>138
ピカソは普通に上手い
15歳で描いた科学と慈愛とか上手すぎる
だから崩しても意味があるんだろうとみんな深読みする 値段が高くて話題性があるからや
バンクシーのイラストがシュレッダーにかけられたら値段上がったんやぞ >>120
実物見て初めてその凄さが分かるんだよな。 今はみんな知ってるでしょ😓
そう、FGOプレイヤーだからね🥴 ゴッホはガチ色盲でそのせいで独特の世界観になってる。 ルソーとかエルンストとか見てると端整さや正確さが絵画の魅力の全てでは無いと思える 既存の表現に立脚しながらも乗り越えて、かつ次代の礎になったとみなされたから 印象派の時代に、いずれ来ると予告された「フォーブ(野獣派)の完成形」ってのがあって、
それにピッタリ合致するものとして見出された画家がゴッホだったんよね
よって、後代の画家はピカソにせよ誰にせよみんなゴッホの影響というか、
理論的標準としてゴッホを見ていた節がある
業界的有名人、という評は結構ピッタリなところで、
いまの絵師がみつみ美里とかコーネリアスあたりのエロゲ原画師の影響を一度はくぐってる(まあ年配の絵師に限るけど)、
みたいな感じかもしれん なんかさ絵画の世界ってよくわからんよな。いつだったか世界の巨匠とやら集う展覧会で
バイトしたことあるけど、一見したら落書きにしか見えないのも確かにあった。なんかあれが
芸術だった俺にも書けそうなんだが??? ゴッホは色盲ではないよ
若い頃の絵見たらすぐにわかること
ゴッホの色に関してはひまわりの黄色が重要とは言われる
印象派にとって第一に重視するものは光なんだけれど、
ゴッホの黄色は光を意味するものとして歓迎された ゴッホは色盲、っつう専門家の誰も支持してない説を
得意気に掲げて解説しちゃうのがケンモの悪い癖 美術史的には「後期印象派」の代表格
この「後期印象派」は印象派の継承っぽいけど、
正確には「脱(ポスト)印象派」とするのが正しい
印象派があくまで世界のリアルを追求し、
自然彩光下の豊かな色彩の再現を試みたのに対して、
後期印象派はこの豊かな彩色を再び主観テーマへと転換してる
(ゴッホが色盲だかいうトンデモ説が出てくるのはこのため)
ここから主観重視の現代美術は始まるわけで、
ちょうどゴッホやセザンヌあたりから「理解できない」「難しい」「現代美術は嫌い」って声が始まる
ゴッホ、セザンヌがちょうど現代美術の入口なのな
これ嫌いな人は現代美術も嫌い、とかいう分水嶺 >>132
パースおかしいのはゴッホもそう
というかまともに美術史学んでたら
絵の評価にパースやデッサンの正確さなんて関係ないとわかってるはずだけどな
叩くときにしか使われない指標 芸術性や感性に加えて人間力がゴミだと理解出来ない画家
それがゴッホ >>152
ゴッホが描いた絵と俺の描いた絵、
どこが違うかといえば、美術館が認めてるかどうかなんよ
ただそれだけの違い
わかりやすく言えば、一万円札と、コピーの一万円札がある
どちらも同じ「印刷された紙」だが、
コピーに一万円の価値は無い
なぜなら、国が認めてないから
絵画の価値は、美術館が決める
ゴッホに価値があると美術館が認めているから価値がある
美術館が認めない絵には価値は無い >>152そうさ あなたも鑑賞側から描いてみていいんだよ
基礎とか教養とか学習がどうとかなんてまずは放っておいてさ
そして現代の芸術のわけわからなさの世界にさらに生身でダイブすればいい
きっと自分が思ってたわけのわからなさなんてまだ全然わかるほうだったってくらい
ガチ意味不明なもの(なのに芸術と自称しているもの)にたくさん出くわすからさ ここのやつらには分からんよ
誰もゴッホの言うことに耳を傾けようとしないしこれから先ずっとそうなんだろう ゴッホのひまわりに意味なんてない
あれは、みんなが集まる食堂の壁に飾る
いい感じの装飾のつもりで描いただけだから
弟が沢山絵の具くれるから、黄色を塗りたくっただけだから
当時の絵の具はめちゃくちゃ高価だから、
売り物でもない絵にあんなもったいない使い方はしない
ただ、絵の具がいっぱいあったから塗りたくっただけ 誰でもひと目見て「ゴッホの絵だ」って解るだろ
イラストレーターでも一緒じゃん 美しくもない、技術的にもすごくない
そんなものを芸術と呼べるのか? >>158
人や物が浮いてるように見える酷いパースの狂いだから擁護できんやろ ていうかパースどうこう言う人ってアスペなんだろうな
美術の評価に一定の確かな指標があると思ってる >>1
こういう評価が気になってる奴って実際にゴッホの絵なんか見たことないんだろうな
星月夜とか実物見た時は感動したわ >>172
で、その感動を表したところで評価になんかならないだろ どうにも「評価」や「価値」を大それたものと考えてるやつがいるな
すでにそこからズレてる 美術品の市場価値は、歴史遺産としての価値も含んでるからな
いくら咎したところでシーザーや織田信長の歴史上の位置が変わらないのと同じで、
個人が抱く良し悪しの感性とは離れた場所に歴史的な価値はあるからね
ゴッホなんかはもうその領域だから、評価で見るのもまあある程度間違いではないよ
市場評価に惑わされてはならないのは、現行作家の市場価値についてだ 貧乏だったのによく画材だけは揃えられたよな
そこが不思議 >>160
美術館というか、決めるのは「美術史」。美術館や大学はそのための機関
ぶっちゃけ、ゴッホあたりなら
ツタンカーメン像とかピラミッド見て「エジプト人すげえ〜」ってな感じの受け取り方で良いわけだけど、
美術館が決めるだの市場価値だの、美の絶対性(真の美は必ず全ての真実と感動につながる)だの難しく考えるからかえって意味がわからない
近代芸術の終わり、現代芸術の勃興期、19世紀末西欧文化のビジョンの一つを見りゃいいわけで、
素直に、「ほええ、こういうもんなんか〜」でええねんで パリで出会った若い娘おっかけてアルルまで来て住み着いて
耳切ってその娘に渡すとかもう芸術家の鏡じゃん
やっぱこういうエピソードあってこそ作品と共に語り継がれる存在になれると思うの ゴッホだって売れたのはパトロン(画商)がいたからだろ
画商がいなければいつまでも無名の絵描きのまんま
運がよかったんだよ はっきり言って >>179
この時期は新開発でどんどん画材が安くなっていく時期
いまで言うなら液晶タブレットとかが安くなって
大量にネット絵師が生まれるとか、そういうのに当たる時期だよ
そうして生まれた市井の無名画家がゴッホだった
とはいえ、弟が画商だったりして伝手はあったわけだけれど ゴッホってホモだったの?
パトロンがいたらしいけど 昔ひまわりを見たけど油絵の具がこんもり塗られてて立体的に見えるのが凄いなぁってなったわ
でもまぁ、それにウン十億の値段がつくのは作品の出来より投機的な意味合いの方が大きいんだとは今でも思うが >>186
売春婦にストーカーしてて、自分の耳切取ってプレゼントしたんだが >>182
画商って弟だし、弟はガチ有能な画商だったけど、
がんばって兄貴の絵を売ろうとしたけど売れなかったし
ゴッホの生活費も病院代も画材も全部弟が出してた
兄はいわゆる、なにやってもダメな人間で、
絵もうまくは無いけど、とりあえず何もすることないから画材与えて
「兄ちゃんは絵でも描いててよ」ってこと >>186
パトロンって資金援助してくれる後援者っていう意味だぞ馬鹿 ドラッグを使ってから一ヶ月くらい夢が鮮明でキラキラして見えたりした
その期間に美術館でゴッホの絵を見たんだけど遠くからでも禍々しい妖気が見えて怖くて直視できなかった 死後評価された→間違い
同業者や評論家からの評価が高まりこれから人気画家になるぞって時に死んだ→正解
ブルース・リーにとかに近い感じ >>190
多分そこまで突き放した感じじゃなくて
テオはテオで兄貴の絵には何か魅力を感じてたんだと思うぞ
じゃなけりゃあんなに頑張って売ろうとはしないだろ >>193
わかる
見たくて行ったのに怖くて糸杉なんかは5秒しか見れなかった >>94
自分もそんなイメージだな
画商一家の中にちょっと頭オカシイ独特な絵を書く変人がいて
絵を沢山残して死んだからエピソード込みで売り出した >>171
パースどうこう言ってる人は
漫画やアニメを発行部数や売り上げでマウント取ったり叩いたりしてる人と一緒だと思うわ >>199
ゴッホ自身、割と同時代の画家たちと交流もってるし
>>195が書いてるように晩年にはもう高く評価されかかってた
そもそもゴッホの絵で評価されてる作品は晩年の2年に集中してんだな
佐伯祐三が最後のパリ4年に評価作品が集中してるのに似てる
作家、画家は大抵そういうもので、最高傑作の「海の幸」から以降、駄作だと評される青木繁のような例もあるし、
要するに死んだからというより割と多くの画家の旬は短いってだけの話じゃないかと思う
長く活躍したピカソなんかは異常だよ ゴッホの絵は太陽や光や植物のエネルギーを表現したんだと思うよ 簡単に言えば価値はないよ
価値があると思ってる人が
価値を創造している >>201
他の画家から嫌われてたやん
フランスに一軒家借りて、画家のみんなで一緒に住んで作品作ろうぜ
って手紙送りまくったのにみんなに断られて
唯一、金と住むところ無くて困ってたゴーギャンが来てくれたけど、
3ヶ月で「ゴッホ糞だわ」って出ていった
その家の食堂に飾っていたのがひまわり >>207
「誘える」だけでどれだけ画家たちと立場が近かったかがわかるってことだけど
そこらの素人ではなかったってことだよ。「嫌われる」ぐらい顔見知りで近い立場にあったってことさね
いろんな画家については喧嘩し、をやってるわけだけど、
それぐらいの実績はあったのな >>205
南京大虐殺はなかった、捏造だとかいう<歴史の真実>を信じてそう ゆうてもデッサンとか見るとやっぱ上手いとは思うわ
それでも歴史に名を残してる画家と比較すると微妙だよね >>205現代アートの価値の指針である「文脈」という煉獄に至る
ちょうど岐路的な存在をゴッホと位置づけるのなら
その論もあながち間違いでないかもしれん 別にコンセプチュアル・アートが現代美術の全てではないし
聖書や神話を知らなければ意味がわからない古典絵画のほうがよほど文脈だらけな気がしないでもないけど
ゴッホなんてわかやすいほうじゃないかい
RGB彩色な鮮やかなモニタに慣れた現代人が
ゴッホの色彩の鮮やかさに驚くのは難しいことかもしれんけど >>208
今の個人情報の管理社会とは違うから、
有名人がどこに住んでるかなんてみんな知ってるし
手紙だって出せる
所属事務所なんて無いから仕事の発注も直接個人宛だし
要は素人が、プロ画家に「うちの家で一緒に絵を描きませんか」
て手紙出しまくったようなもの
で、返事はゴーギャン以外来なかった このスレ見てるだけでも自分の心と完全に不可分になってるレベルというか
「どいつもこいつもまるでゴッホの良さをわかっちゃいない 俺と違って」的な
熱烈ファンが少なくなく見受けられるからやっぱ引き寄せるものは宿ってるんだなとは思う
そこは素直にスゲーと思う >>215
全く違うよ
後に有名になる画家たちと「絵描き仲間だった」のがゴッホの位置
そもそもそれなり著名な画家にゴッホは習いをうけてるわけで、
その門下にいたような連中とは知り合いだった
別にゴッホはまったくキャリアのない画家とは違うで
単に売れない画家だったってだけで >>215
ついでにもう少し正確に言うと、アルルでの協同組合の提案は、モネ、ルノワール、シスレー、ドガといった
既にあまりに大家になってる画家たちに声かけたから断られてるわけで、
それ以外に普通に若い画家たちとは交流持ってるよ
ラッセルやベルナール、ロートレックとの交友が有名じゃね(だから彼らが描いたゴッホの肖像画が残ってる)
簡潔に言うなら、ラッセルやロートレックあたりの、後に名を遺す画家たちと絵描き仲間だったわけで、
そこらへんのことを>>201では言ってるんだよ あと、さらに「所属事務所なんて無い」はなくて、
画商が画家にとっての所属事務所のようなもの
アルルの協同組合も弟テオほかの画商込みでの話
この意味でも、身内にテオがいて一応「取り扱い作家」になってるゴッホは実は素人ではないのな >>220
親父が宣教師で、強く影響を受けたゴッホは
神学校に行きたいのに勉強はしないしお金はないしで
結局養成所に通って伝道師になった
26歳頃に短期間だけ美術学校に行ってたけど
教師と喧嘩して終わってる
ケンモメンよりケンモメンな男ゴッホ >>1
ゴッホがまず何を描いたかというと、人間社会で何がリアルに行われ、その中で何が美しく輝き(輝かず)、何が大事されている(されていない)か。
彼は貧困社会や、いわゆる下町といったような、底辺社会をよく描いた。
「落穂拾い」で有名なミレーとよく似ていると思います。彼らは、そういったリアルな社会(貴族社会などの”特別な社会”ではなく”一般社会”)に生きる人間のリアルな生活、その中の宗教観や美しさ(醜さ)に、表現すべき意味をみつけました。
ミレーとゴッホの違いは表現方法です。ミレーの属するインプレッショニズムのバルビゾン派の人たちは、美しいと感じるものを神々しくも感じるかのような筆のタッチで描きました。その筆の繊細さで、モデルになる人たちやその生活の中の美を現したのです。しかしゴッホの方法は荒々しく原始的なタッチで、そのモデルの悲劇性や苦悩、陰鬱をも表現しました。
ゴッホは美しいだけではない、本当にリアルな底辺社会を表現するときに、その筆使いだけでではなく、原始的な印象を与える方法(西洋以外の絵画の方法-プリミティヴィズム-も含む)を使いました。そういった彼の模索が後の20世紀のペインターに大きな影響を与えました。キュビズムのピカソや、フォービズムのマティスなどです。
アートの価値は後アーティストへのみでなく、音楽や演芸、更には社会一般にどういった影響を与えたか、ということが大きな指標になると思います。新しい独自のアイデアで、社会の人々に(様々な分野で)気付きを与えるというのが、アーティストの役割なんだと思います。 ルオーとシャガールも日本では人気高いよな
作欲旺盛で版画作品点数もたくさんあるからだろうけど
数年前のブラマンク展関東にも巡回来てほしかったわ >>220
>>222
その後29歳頃に写実派(ハーグ派)画家の指導を受け、
33歳頃からパリに出てコルモンの画塾に通ってる
このコルモン門下だったのがラッセルとロートレックで、
彼らと一緒に印象派大家の「大並木通り」(派)に対抗して
「小並木通り」(派)をぶち上げてグループ展を開いたりしてる
当時の「芸術の都」パリで売り出そうとしていた有象の画家の一人、
というのがゴッホの実像であって、
徒手空拳なケンモだと描き過ぎるのは実像に合ってない
そもそも伝道師になる前にクビになった仕事って、画商だし。最初からある程度の界隈の関係者ではあるよ ゴッホが分からんようではピカソは尚更分からんだろ?
底文化人。 をれがほんものを直かに観たいのはみっつだけなのよ。
クリムトのダナエー、ピカソのゲルニカ、サモトラケのニケ。 妻にな
クリムトのダナエー ええやろ、と画集で示したらさ
むくれてんの。なんで?とおもたが
妻はクリムトのダナエーであろうとライバルなのだなと、十数年後察した。 をれの描画能力はこれくらい。
https://i.imgur.com/4kqakQN.jpgアンジュルムの上國料萌衣さんが、モチーフ。 似てないけどね。ハロプロでないと、こうゆうこ居ないんじゃないの。https://youtu.be/LIBv5PDixB4 >>210
事実かどうか争うのと
アートには固有の価値はなくて
価値を付けているだけという真理は
それなんか関係有るの? >>236
ゴッホは既に歴史的事象だって話でしよ
美術史上のエポック
いまさら無価値とかいう話にはならんってこったな ゴッホの功績は、今でこそ黄色5号は当たり前に
調合された色だが、実はゴッホが最初に調合した色で、
それから世界に普及していき、いまでは調理家電から靴にまで
そのカラーが使われていること。
日本カラー協会のマークはその功績を称えてゴッホのGと数字の5を合わせている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています