コロナ禍、それは末期がんの家族と面会すらできないんだぜ [805596214]
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親父もコロナで面会禁止中に一年顔合わせれなくてあっさり死んだわ
かわいそうだった 善良な一般市民じゃなくてケンモメンが死ねば良いのにな 昨年春・・ちょうど一年前に白血病になった。ジジイなのでオワタと感じた。
病気の性質上俺は完全無菌室の個室に入院。入院期間は平均で半年と言われた。
家族との面会は当然一切無し。一人孤独ときつい治療に耐える日々。頭がおか
しくなりそうだった。現におかしくなってたかも?俺の状況を見ていた医師が
夏に治療の合間に3週間の自宅待機を設けてくれた。足は細くジジイ丸出しの
皺だらけ。良く歩けるなと思えるほど細かった。帰宅して一週間で容体急変。
家内が病院に電話したら救急車を呼んですぐに来院するようにとの指示。
救急車に乗り込み状況を説明したら病院から指示が来ているので大丈夫です。
そう言われて入院していた病院へ直行。僅か1週間だったが家族と過ごせて
これが最後かな?なんて考えてた。再入院で再び厳しい抗ガン治療が開始。
医師に何度も苦しいから治療をやめて欲しいと願い出た。その度に担当の看護師や
医師団が病室に集結して「治る見込みが無いなら最初から治療はしません。〇〇さん
は治る可能性が高いから治療を続けています。もう少しの我慢をお願いします。」
それを聞いてオイオイと泣いた。秋になって治療があと半月で終わると告げられた。
苦しいことに変化は無かったが退院できると言う。腕のように細かったふくらはぎも
少しふっくらした感じはある。リハビリと治療で忙しい期間が2週間続いた。
途中で悪性リンパ腫にもかかり歩けなかった俺が、半月で歩けるようになり階段も
上がれた。家が低層マンションで階段しかない。階段を上がれないと退院しても外出も
出来ない。急激な体力の回復には自分でも驚いた。数か月ぶりに歩けた時はもしかしたら
本当に助かるのかも??そう思えた。最後の方の治療は維持で頑張り切った。木々の葉が
色付く頃、とうとう退院に漕ぎ付けた。嬉しくて家内と子供たち(とっくに成人済み)の
前でまた泣いてしまった。 癌に限らず今の時期の入院は患者にとっても家族にとっても地獄でしかない。なんせ一切
会えないのだから。ほぼすべての病院が面会禁止を続けている。一番大変なのは小児科だ。
親と幼い子が引き離され会うことが出来ない。コロナ以前より病室で泣き続ける子供が増
えたと聞く。当然だろう。大人だって辛いのだから。
そんな中、入院した日を最後に生きたままでは二度と会うことが出来ない患者と家族だって
相当数存在すると思う。コロナ禍とは言うが、コロナ以外でも重い病気には気を付けた方が良い。
方法は・・普段の健康管理なのだろう。そうとしか言えない。白血病とかは発病原因が一切不明。
発病した時点でステージ4の末期判定を受ける病気。しかし日々上達する医療の発達で多くの命が
助けられるようになっているのも事実。自分ががんになって初めて気づいたこと多々あって話し
切れない。癌は医師に判断をゆだねるしかない病。医師はほとんどの場合で的確な判断を下す。
予後不良の場合は、余命宣告を即座にするそうだ。そして家族と過ごすことが可能なホスピス
への移動を勧める。治療可能であれば治療方法の説明を淡々と家族と患者に伝える。途中で起こる
可能性のあるアクシデントでの対応の説明まで細かに伝える。
私の場合、かかりつけ医がいたおかげで国立病院を紹介され、そこがコロナ禍で入院不可能となり
即座に都立病院へ搬送された。公立病院故医師が多く診断は科の全員で行うのだそう。
旧式の治療では存命率が低いと言うことで治癒率の高いと言う試験医療を選択して厚労省の認証前
の超高額医療が通常費用で受けられるラッキーもあった。 PCR抑制論とかいうキチガイがジャップランドを壊したな
ダイプリの頃からpcrして隔離しまくっとけば今頃中国父さんみたいになれただろうに 私が掛かった白血病は1997年に発見された新しい分野の白血病で、1997年以前の
治癒率0%。発症者の死亡率100%と言う未知の白血病だったのだそう。
古くは夏目雅子、少し前のアンディー・フグと同じ白血病だった。最近では岡村孝子が
同じ白血病で彼女は今は寛解している。前者2名はあの当時治療方法すら存在せず死を待つ
だけだったと聞いた。岡村孝子も治療方法が旧式しか無い時期の発病なので回復に時間が
かかってたようだ。私より2年早く発病した岡村孝子と現在の私がほぼ同じ状況のようなので
新治療法の優れた部分が証明されたとも言える。厚労省の認証が今年中にも出ると言う話を
聞いた。ちなみに初期段階の治療が凄まじい。1日のうち15時間以上に渡り輸血と抗がん剤の
投与が続く。朝5時に始まる点滴からその日最後の点滴が終わるのが午前2時。こんな状態が
1か月近く休みなく連日続く。血液検査も毎日。約1か月続いた。ベテランの看護師が月に
30回の血液検査した患者さんは初めて見たと言っていた。そりゃ全国でまだ400例しか
助かる治療を受けた患者のいない病気。使う抗がん剤も日々内容が変わると聞いた。
朝方取った血液検査の結果を見て毎日処方される抗がん剤が病院内で作られる。血液も日々の検査の
結果で一度として同じ輸血が行われない。毎朝日赤に必要な成分の輸血血液を作って頂いてそれが
到着して解凍が済んでから輸血される。たぶん最初の1週間で身体の全血液が輸血血液と入れ替わった
くらい輸血が続いた。医師からは最初の1ヶ月だけでも数百万の治療費が掛かったと聞いた。
それが国からの補助でほぼ賄われる。まだ生き残れるとは思っていなかった俺でもありがたいと思った。
治療法も日々変わるのが先端医療。こうなると医師を信じるしかない。今私は夏までに社会復帰を
考えている。会社は私を見捨てず迎えてくれると言ってくれた。会社が傷病手当の手筈迄行ってくれて
家族の生活も何とかなってる。今は一日でも早く社会復帰して会社からの恩を少しでも返したいと思う。 長々と失礼しました。
言いたかったことは、コロナ禍の入院の患者と家族の辛さ。
癌と言う病気になり死を真剣に考える時間が数か月続いた男の戯言。
生の声として誰かに響けば書いた甲斐があったかな?そんな感じ。
生きていると言うことの尊さ。自分と家族の健康管理。
多くの諸先輩たちが言い残していった「無理しちゃダメだよ。」これは正しい。
皆が健康でコロナ禍を通り過ぎることが出来るように・・祈ります。
オワリ 病院や高齢者施設は本当に面会できないな
荷物持っていっても職員に預けて帰るだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています