カーバ神殿にはシヴァ神が祀られていた イスラム教の聖地は大昔ヒンドゥー教の祭壇だった てインド人留学生が言ってたんだが本当? [426566211]
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あの辺の各地の多神を祀ってて、そんなかにインドの神様もいたかも知れない 当初は多神教の神殿だったからシヴァに吸収された神格のどれかが祀られてた可能性がなくもないとか? >>8
インドより中東の方が歴史が古い。
古代イランにはいろんな神やモンスターがいる。
日本の狛犬や中国の龍はその一つ。 ヒンドゥーも輸入品の神が多いから土着宗教の神が含まれてるだけだろう ヒンドゥーの神ってのは眉唾だけど、カーバ神殿が多神教神殿だったのは事実だよ。
多神教ってのはそれぞれの血族とからめて、社会階層と貧富の差を正当化する悪い面がある。
例えば、日本だと天皇家は最高神の天照大御神
当時のアラビアだとクライシュ族が力を持っていて、多神教の中の力のある神の子孫だと
自分たちの力の強さと社会的な優位性を得ていた。
ところが、それじゃ駄目だよ。
人間は唯一の神の下では平等だぞと言い始めたのがムハンマド。
クライシュ族や他の有力部族と戦って勝ち、カーバ神殿をイスラムの聖地にした。 イエスとアラーの共通の父がテラ
日本でもアマ【テラ】スって形で
片鱗が見えるね。 >>1
真っ赤なウソ。
祀られていたのはイスラム以前のアラブ人の民族多神教の神像。
イスラム教徒は、イスラム以前のアラブ人の民族多神教を「多神教」と称し、ヒンドゥー教も「多神教」と称している。
それを逆手に取って(?)「イスラム以前はカアバにはヒンドゥー教の神々が祀られていた」と言い出しただけ。 イスラムは嘘だがジャップランドの寺院にはヒンドゥーの神様祀られてるぞ ムハンマドがメッカ征服したときに、まず最初にカーヴァ神殿にまつられていた
多神教の神々を全部ぶちこわしたんでしょ? そもそもシヴァ自体アーリアン的な神だったし
その原形的な信仰はペルシア〜北インド地域にかけて多く見られた
それに古代アラブの経済スタイルは専ら交易によるものだし
それは半島各地の都市や氏族は当然としてローマやササン朝も相手だった
そうすれば自然マッカのカーバに祀られる神々は多様なものになったろうし、
そこにシヴァがいてもおかしくはない
そもそもカーバの黒石もギリシア的な隕石信仰から来るとも言われているし
というか元々が多神教的なアラブ人の聖地なのだからジャーヒリーヤの時代に単元的な信仰を求めてもしかたない
なんにせよ特定の宗教の祭壇だったとは言えないのでは
ただイスラム以降の名族であるクライシュ族がマッカを支配する以前はマッカも半島最高の聖地と言うわけではなかったらしいし
むしろパトラやサバアのような古来の都市の方が名望が高かったともされている
結局クライシュ族が交易で出色の立身を図る過程でハブとなったマッカが戦略的にアラブ最大の神殿都市とされたに過ぎない
ムハンマドも当初はキブラをエルサレムとしていたというし
マッカの信仰的位置付けがイスラム以前に果たしてどういうものだったのか
その重要性は推し量り難いんじゃないか
つまるところあってもおかしくはないが
だからどうだという事もない程度だろう ディーバだかダェーワはヨーロッパとインドでは善神であの辺だけ悪神らしい
昔の勢力図が何となく分かりますね
これは本当
ヒッタイトとインドは当時の技術であった
宗教交換を行っていてインド方面へ
移動した宗教神 ウソだよ
バラモン教→ヒンズ教はアーリア人
アーリア人はイランとインドに南下しただけ
実質のところ古代アーリア人の宗教横断は
解明されておらず正確には断定できない
クセルクセス神殿のことさえも
本当のところはわからないのに カーバ神殿を管理してたクライシュ族はインド方面とも交易があったけど神の逆輸入は乱暴すぎ
神殿には偶像が360体あったとされるがインスピレーションを受けた像はあってもシヴァそのものを祀ってたとかは無いだろう 古代ペルシャと古代インドは共通の神様が居たし、古代アラビアとも共通の神が居ても不思議じゃないが、だからなんだっていうね
インドと中国と日本にも共通の神様いるし 嘘
インドは嘗て数少ないムスリムに統治されていた
だからこういうトンデモをいう奴が出てくるのだろう
インスピレーションを受けていた可能性は否定できない
断定ではなく否定できない 仏教のゴータマ・シッタルダもシバの化身なんだから
お前ら早くヒンドゥー教徒になっちゃえよ〜とは言われた事あり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています