ラーメン二郎に通い続けると聞こえてくる「やさしさ」という“二郎の基本精神”
4/3(日) 11:02配信

■基本の精神が聞こえてくる

 ラーメン二郎に足繁く通っていると、ラーメン二郎の基本の精神が聞こえてくるようなことがある。
 足繁くというのは、数字でいうなら2019年は126回、2020年は191回、2021年は121回ラーメン二郎に通っている。
 いちおうラーメン二郎の本店と直系店だけの回数である。インスパイア、二郎系(ニセモノ二郎)は入れてない。
 ただ、これは、二郎に日常的に行かない人にとっては驚きの数字かもしれないが、本気本物のジロリアン(ラーメン二郎マニア)からすれば、ははーん、それぐらいですか、と半笑いで見られそうな回数でもある。
 私も、二郎好きとして、特別すごくよく通っているとはおもっていない。
 ボクサーのジロリアン陸は年に300回と言っていたから、足元にも及んでいない。
 だいたい週二回から三回ほどのペース、ふつうの生活を守りつつ、忘れず二郎に行ってるな、というレベルだとおもっている。本人としては、まだ、危ない領域には入ってないつもりである。
 この世には、もっと危ない人がたくさんいるのだ。
 行く回数が多い人は近くに二郎がある場合が多い。
 同じ店に毎日簡単に行けるという人だ(ジロリアン陸もすごく近くにあったらしい)。
 そうなると回数が多くなる。
 だから、私は敢えて全店をくまなく平均してまわっている。
 日本全国全店をまわっている。現在42店舗。
 そこは少しがんばっている。
 一番新しい店と、しばらく休んでいる店をのぞいて、全店12回まわった。いま13周目である(もっとも多く行っているのは京都店の22回)。
 直系店には、どの店もラーメン二郎の精神が貫かれている。
 少しはずれたところへ行くと、ちょっと違う店内の雰囲気のところもあるが、でも基本精神はぜんぶ同じである。
 私に聞こえてくるラーメン二郎の基本精神はこれである。
 「食べられるなら、たくさん、食っていきなよ」
 そういう声である。

■「働いてるんだよ、時給330円で」
 三田本店に行くと、「総帥」と呼ばれている創業者に会える。山田拓美氏。
 先だってドキュメンタリー『ラーメン二郎という奇跡〜総帥・山田拓美の“遺言”〜』が放送されていた(2022年3月30日深夜・フジ系列「NONFIX」)。
 カリスマ的存在である。
 朝は、店に立ってラーメンを作っている。午後にも手伝っている姿を見かける。
 厨房内の人が少ないときは、総帥自身が「助手」をつとめていることもある。
 人が多いと、ただ立って喋っていたり、雑用をしていたりする。
 いちど、日傘を運んでるのを見たことがある。
 2020年の9月9日、30度を越える暑い日。
 三田本店では、日射しのきついときには「日傘」を貸してくれる。列の最後尾あたりに日傘が大きなバケツにざっくり差されていて、それを借りて、並んでるあいだ、差していていいんである。入口脇に返すバケツがある。
 その返された日傘の束を、最後尾のバケツまで、総帥みずからが運んでいたのだ。
 そのおり常連客に、そんなことやってるんですかと声を掛けられ、嬉しそうに総帥は「働いてるんだよ、時給330円で働いているんだ、時給330円」と答えていた。
 総帥は、いつも何だか楽しげな雰囲気の人で、おもいついたことを楽しそうに何度でも喋っている。見てるだけで楽しくなる。
 時給330円と聞いて、中でラーメンを作っていた若旦那(総帥の息子)が、そんな安いわけないだろ、と呟いていたのだが、ずっと時給330円を繰り返していた。
 時給330円というのは、1970年代の時給である。
 3時間働いて1000円、という賃金だ。1970年代前半から半ばころの学生アルバイトの時給はそんなものだった。
 1978年、東京に出て来た直後、印刷会社での安いバイト料金がまだ300円台だった。
 たしか9時間働いて日給3500円くらいで、時給400円にならないのか、とおもった覚えがある。ただこの工場は、朝から9時間働くと、その日のうちに日払いで払ってくれるのだ。
 いわゆる取っ払い。日雇いバイトである。
 手持ちの金がなく、すぐに欲しいとき、時給が安いとわかっていてもその仕事にいった。機械から出てくる印刷物を次の機械に運ぶというかなり過酷な労働だったけれど(機械が停止しないかぎり休めない)、でも日払いの魅力には勝てなかった。
 それが1978年の300円台の仕事であった。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/8d4c425fc467f786213b15c2166bccd49da0a7e9