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リトルチャイナ西川口編(2) 石原都政にならい壊滅NK流&卵ュ店 大量の空き店舗に入り込んだ中国系スモールビジネス

ディープな中国料理が味わえる料理店から、中国系違法ビジネスが乱立する西川口(埼玉県川口市)。まず、この街がリトルチャイナになるまでの変遷について触れておく。

明治時代に産業革命が起きると、染織業が盛んとなった川口一帯は、1932年に赤羽―大宮間を結ぶ国鉄京浜東北線が開業し、住宅地化が進んだ。さらに54年に京浜東北線の川口駅と蕨駅の中間に西川口駅が開設されると、駅周辺に無許可営業の屋台が軒を連ねるようになる。

60年代にはこうした屋台が駅西口にあった東電の鉄塔下に移設・集約され、「鉄塔横丁」という飲み屋街となり、地元民だけでなくオートレース場帰りの外来者も引き付けるようになった。

そして「飲む」「打つ」とくれば、「買う」である。

57年に売春防止法が施行されたことをきっかけに、当時、警察は、日本各地に点在していた「赤線」「青線」の撲滅に躍起だった。

そうした特区から駆逐された売春業者が求めたのは、新天地だ。当時、大宮駅や川口駅周辺にも赤線や青線が存在したが、そこから移動してきた売春業者が「サロン」などといった看板を掲げて営業を始めたのが、色街としての西川口の始まりとされている。

当時、赤線、青線の撲滅には執心していた警察も、なぜかこの街での売春行為は、黙認した。西川口を特区として存続させることで売春業者をそこに集中させ、県内の周辺の都市を浄化するという意味もあったと推測できる。

こうした警察による売春行為の黙認状態は、2000年代まで続いた。最盛期には「西川口(NK)流」をうたい文句に、200〜300のピンクサロンやヘルスが営業していた。

しかし事情が変わったのは04年11月。石原都政下での「歌舞伎町浄化作戦」に足並みをそろえるかのように、埼玉県警が西川口駅周辺を「風俗環境浄化重点推進地区」に指定したのだ。以降、西川口流は封印されることとなり、「正規」の店舗型風俗店としては数店のヘルスやソープランドを残すのみとなった。

こうして大量発生した空きテナントを埋めたのが、中国系の飲食店やマッサージ店なのだ。都心に比べ、テナント料が安く、さらに西川口やその周辺には住民に占める在日中国人の割合も高かったため、中国系のスモールビジネスにとっては都合が良かったわけだ。

1都3県に住む外国人は120万人とも言われ、東京は文字通りの多民族都市だ。ところが、多文化共生が進むロンドンやニューヨークと比べると、東京在住外国人たちはそれぞれ出身地別のコミュニティーのなかで生活していることが多い。中韓はもとより、ベトナム、ネパール、クルド系など無数の「異邦」が形成されているイメージだ。その境界をまたぎ歩き、東京に散在する異邦を垣間見ていく。境界の向こうでは、われわれもまたエイリアン(異邦人)という意味を込めて。