当初は若いロシア兵ばかりだったが、2週間後には40歳以上とみられる年配の兵士も加わった。「彼らは残忍で、皆を虐待した。その時から虐殺が始まった」。オレナさんはそう語ると、暗い表情で黙り込んだ。

 年配の兵士たちは良い装備を持ち、ロシアの標準的な軍服とは異なる黒と濃い緑色の服を着ていた。ロシア兵の中には「良い人」もいたが、特にロシア連邦保安局(FSB)の職員は「非常に荒っぽかった」という。

「子どもに何を食べさせたらいいのかと兵士たちに尋ねに行くと、配給品や食料を持ってきてくれた。その兵士たちが、住民の移動を禁止したのはFSBで、とても暴力的な特殊部隊だと教えてくれた。ロシア人がロシア人のことをこんな風に言うなんて!」

 水や食料の調達が許可されているのは女性だけで、男性は外出を禁じられていた。「近所の人が午後5時ごろ、ごみを出しに出た。男性2人と女性1人で、男性1人は従軍経験があった。その人たちは戻ってこなかった。
この建物に住んでいる女性たちが中庭にまきを取りに行ったところ、その人たちの遺体を発見した。血まみれで地面に横たわり、銃弾の跡があった」

 オレナさんは、やってきたFSB職員に「なぜ立ち去らなかったのか?」と尋ねられると、「私は43年間ここに住み、平穏な生活を送ってきた。いまさらどこへ行けと?」と言い返した。するとFSB職員は、街にとどまったオレナさんらを「裏切り者」と呼び始めたという。

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