早速、内容に入ってゆくが、かつて「女性」は「子ども」と並べられて当然に選挙権者から除外されていた。
ジェイムズ・ミル(『自由論』で有名なジョン・スチュアート・ミルの父)の『統治論』でも、
彼らの利益は他の人びとの利益に議論の余地なく含まれているので〈選挙権者から取り除くことが出来る〉とハッキリと書かれている。
子どもは親の利益の中に、女性は父親や夫の利益の中に含まれているというのである。
その後、20世紀に入って多くの国で女性には参政権が与えられたが、子どもには与えられなかった。何故、そうはならなかったのだろうか。

子どもに選挙権を付与しない「常識」的な論拠は、彼らが「能力」を欠いているからだ。
しかし、「能力」だけが問題なのだったら、認知機能に著しい問題のある老人にはなぜ参政権が付与されたままなのだろうか(対称性の議論)。
さらに言うなら、本当に「能力」が問題であるのなら、全有権者に定期的に何らかの能力テストを課すべきだということになってしまうのではないだろうか。
つまり、子どもに選挙権を与えることは論理的にはまったく 可能なのではないか、という話なのだ。

また、先述の人口ピラミッドの話からも分かる通り、若者は「構造的少数者」なのではないかという問題もある。
人種差別のような構造的少数者の問題に対して、われわれは立憲主義の下、民主的回路(多数決)において
は恒常的に多数派に敗北してしまう少数者を救うためには司法部に訴えるしかない。
しかし、シルバーデモクラシー(老人の専制)から若者を守るために、あらゆる方策を憲法的に保障するわけにはゆかないので、
民主主義の枠内での方策を検討せざるを得なくなる。

これに関して、たとえばベルギーのヴァン・パレイス(社会思想)は「老人の選挙権を剥奪する」という処方箋を呈示している。
ただ、これには様々な問題があるし、このような問題提起は少子高齢化社会では妥当かもしれないが、
多産で若年人口が拡大しつつある社会の場合には「苛烈な老人差別」を産み出すことにもなりかねない。

色々な可能性を検討してみても選挙については「年齢による重み付けのない普通選挙」をするしか無さそうである。
しかし、このような事態そのものを招来したのは老年層なのではないだろうか。彼らこそが「少子化」を引き起こした張本人たちなのである。
一定数の若年世代を再生産し、あるいはそれを可能にするような諸条件を整備する義務があったはずの彼らは、
この義務を履行せずに民主主義的決定の正統性を破壊した以上、少数派若年層に対して自分たちの集合的決定(多数決の結果)への服従を要求する資格はない。
安藤は〈いまや若年層は実力によって老年層を排除する抵抗権を有するだろう〉と記している。

これまで論じたようにデモクラシー(=多数決としての民主的回路)が有効に作動し得ない帰結として招来される
陰惨な事態(抵抗権にもとづく若者による老人たちの実力排除)を回避するためには、分配的正義の問題を直接に論じるしか無いのである。
たとえば、老年層が自発的に自分たちの医療費の削減などという形での分配的正義を実現しない限りは、
老人たちは若者たちから実力で放逐されても文句は言えないのではないだろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c14d10be3bf5e2a0606a1d5ddd406b701e4461c0