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自動車ブランドSAABなぜ消えた? アカデミー賞で話題 車が有名すぎる戦闘機メーカーの悩み
根っからの戦闘機メーカーだったサーブ なぜクルマに?
2022年3月28日、濱口竜介氏が監督した映画「ドライブ・マイ・カー」が、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞しました。この作品ではスウェーデン製の乗用車「サーブ900」が重要な役割を果たしています。
サーブは1937(昭和12)年に、当時スウェーデンが国是としていた重武装中立の維持に不可欠な、軍用航空機を開発・製造するために設立された企業です。同社は第二次世界大戦中に単発偵察爆撃機のサーブ17、双発爆撃機のサーブ18、戦闘機のサーブ21を開発し、これらの軍用機はスウェーデン空軍に採用されました。
しかし第二次世界大戦の終結に伴い、スウェーデン空軍からの受注が減少したことから、サーブは1947(昭和22)年に自動車事業への進出を決断し、サーブ・オートモビルを設立します。
同社が1950年代に発表した最初の量産乗用車「サーブ92」は、空力性能を追及した水滴型のボディや、モノコック構造など、航空機の技術をフル活用していました。ちなみにサーブ92の初期生産分はすべて濃緑色で塗装されていました。これは、スウェーデン空軍からの大量発注を見込んでいたものの受注削減により余ってしまったサーブ21など、戦闘機の塗料を流用したためとも言われています。
1968(昭和43)年から製造が開始された「サーブ99」は、実用車として世界で初めてターボチャージャー付きエンジンを採用。1984(昭和59)年まで製造が継続されたロングセラーモデルとなりました。
サーブ99の登場以降、サーブ・オートモビルは母体が航空機メーカーである事を前面に打ち出すようになり、サーブが開発した「ビゲン」戦闘機が登場するサーブ車のCMも制作されています
乗ればモテた? 日本のバブル期のSAAB
サーブ99の発展型として1978(昭和53)年に登場したサーブ900は、サーブ99の特徴であった独特のデザインと、ターボチャージャー付きエンジンによる高い走行性能に加えて、アメリカ市場を意識した2ドアカブリオレモデルが好評を博したこともあって、生産終了までに90万8817台が生産されるヒット作となりました。
サーブ900はバブル経済期の日本でも、作家の五木寛之氏が作品で取り上げたことや、広告のイメージキャラクターとして使用されたことなどから、当時流行していたBMW3シリーズやトヨタ「ソアラ」などのハイソサエティー・カーとは一味違うクルマを求めていたユーザーからの人気を集め、当時は女性ウケの良い「モテ車」にその名を連ねていました。
サーブ900が「モテ車」となっていた1980年代中期から後期にかけての筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は、モテたいがために軍事趣味を封印しており、その頃サーブが新戦闘機JAS39「グリペン」を開発していたことなど一切知らず、「サーブ900を買ったらモテるかも……」と考えていたことを白状しておきます。