既に1944年(昭和19年)には、ドイツ空軍でFi-103(V-1)を有人化して対艦攻撃に用いるFi-103Rライヒェンベルクが開発、製造されていた。
大日本帝国海軍でも、敵の上陸用舟艇を攻撃する特攻滑空機を開発することとなり、川西航空機が藤井巧男技師を主務者として開発に着手していた。
1945年(昭和20年)7月、同じ東大航空研究所の小川太一郎博士らがそのラムジェットエンジンを搭載した量産向きの特攻機の計画を提案したことが
「梅花」の始まりである。
参考
ドイツ Fi-103(V-1)
計画としては、第200爆撃航空団(KG 200)第5飛行中隊、通称レオニダス飛行中隊(1944年4月創設)によって運用される予定だったものの、
これを人命と資源の浪費と考える第200爆撃航空団司令ヴェルナー・バウムバッハ大佐などのサボタージュにより実戦投入されずに終わった。
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