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引き裂かれた20年…天皇になる"かもしれない"愛子さまを天皇家はどう育ててきたか

昨年12月に20歳を迎えた愛子さまは、女性であるがゆえに、生まれたときから「将来は天皇になるかもしれない、ならないかもしれない」という立場にある。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「(愛子さまの)ご将来をいつまでも宙ぶらりんなまま放置する残酷さに、そろそろ人々は気づく必要がある」とい

■国民の8割は“女性天皇”を支持

 3月17日に行われた敬宮(愛子内親王)殿下の記者会見は、幅広い国民に清らかな感動を与えた。

 ご誠実さとユーモア、穏やかで優美な雰囲気が、ご会見を印象深いものにした。国民が皇室に対して漠然と抱いているイメージや憧れを、目に見えるお姿、挙措動作によって、鮮やかに具現化された。これぞ“皇室直系”との感を深くした人も少なくなかっただろう。

 もともと国民の間には、「女性天皇」という選択肢への支持は高い。たとえば令和3年(2021年)4月に共同通信が実施した世論調査では、賛成が87%、反対が12%という数字だった。そのような素地があった上で、光輝くようなご会見が行われた。そのために、“愛子天皇”待望論がますます高まったのは、ある意味では当然とも言えよう。

 これは誰彼と比較しての話ではない。天皇陛下のお子様が、お健やかでご聡明というレベルを超えた、まばゆいばかりの“輝き”をお放ちになった。それを目の前で拝見した国民として、ごく自然な反応だろう。

■“愛子天皇”待望論は「一時的なもの」ではない

 人々は、昭和天皇から上皇陛下が受け継がれた高貴な精神が、天皇陛下からさらに敬宮殿下へと、しっかり継承されているのを自ずと感じ取った。その結果、単に「女性だから」という“だけ”の理由で、天皇陛下のお子様なのに皇位継承のラインから外される、現代の価値観とも国民多数の心情とも“かけ離れた”今の皇室典範のルールに、強烈な違和感を覚えることになった。

 一部には、“愛子天皇”待望論について「無責任な大衆の感情的で一時的な反応にすぎない」という声もあるようだ。しかし、これまでの各種世論調査の結果では、「女性天皇」という選択肢への支持は一貫して7割から9割前後という高い水準で推移している。決して“一時的”とは言えない。

 また、敬宮殿下の先日のご会見でのご様子や、ご成年行事に際して恒例となっていたティアラの新調をコロナ禍に苦しむ国民へのご配慮から見合せられたことなどから、天皇陛下のお子様でいらっしゃる事実を踏まえ、男女の性別に関わりなく、「このような方こそ天皇になっていただきたい」と願うことは、国民として至って真っ当な感性ではあるまいか。
■明治時代の“男尊女卑”から生まれた現行ルール

 そもそも、わが国では前近代に10代8人の女性天皇がおられた(2代は重祚(ちょうそ)〔いったん退位した天皇が重ねて即位されること〕)。それを「男系の男子」にしか皇位継承資格を認めないルールにはじめて“変更”したのは、明治の皇室典範だった。その背景には、当時の“男尊女卑”の風潮が強く影響していた。

 しかもそれは、正妻以外の女性(いわゆる側室)のお子様(非嫡出子)やその子孫(非嫡系)にも皇位継承資格をゆるやかに認めるルールがあって、はじめて「持続可能」な仕組みだった。

 ところが現在の皇室典範ではもちろん、側室制度を前提とした非嫡出子や非嫡系による継承の可能性は認めていない。つまり継承資格の「男系の男子」限定は、今や持続“不可能”なルールに変質している。にもかかわらず、そのような欠陥を抱えたルールをいつまでも金科玉条のように扱って、“愛子天皇”待望論を封殺することの方が、かえって皇室の将来を危うくするのを知るべきだ。

■「上皇陛下も“愛子天皇”をご希望」との証言

 世界中の君主国の中で、今も「一夫多妻」を認めるサウジアラビアやヨルダンなどを除き、日本以外に「男系の男子」という特殊な制約を維持しているのは、人口わずか4万人弱の“ミニ国家”リヒテンシュタインぐらいだ。同国は1984年まで女性の参政権が否定されていたような国だ。

 そんな明らかに「時代遅れ」なルールにしがみついて、皇室自体の存続を危険に晒(さら)してまで“愛子天皇”の可能性をかたくなに排除しなければならない理由が、一体どこにあるのだろうか。

 上皇陛下ご自身が「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい」と願っておられるとの重大証言もある(奥野修司氏『天皇の憂鬱』新潮新書)。匿名の証言ながら、このことを伝えた奥野氏のこれまでのジャーナリストとしての堅実な仕事ぶりから、ほぼ事実と信じてよいだろう