明治憲法「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」日本政府&国民「違う!天皇にはなーんも権利なかったの!ただのお飾りなの!」すまん、不敬では? [523957489]
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昭和天皇とヒトラー同列に ウクライナ政府が動画、後に削除
ウクライナ政府が昭和天皇を、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラー、イタリアのファシズム指導者ムソリーニと同列に扱った動画をツイッターに投稿し、日本政府の抗議を受けて問題の部分を削除していたことが25日、分かった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/23187c31481a5651d1c6f32bf0c8e395219f104f 大日本帝国憲法は軍の扱いに関しては致命的な欠陥があったわね 対外:東京裁判で不起訴
対内:憲法の神聖不可侵規定により無答責
もうこれで全て終了なんだよなあ
議論の余地すらない >>124
要するにアイドルなんだよ
ジジババにとっての 明治時代をもちあげる保守の女性議員のみなさんすごいよね
あの時代みなさん選挙権ないで( ´ ▽ ` )ノ >>146
安倍は選挙と国会で選ばれてるだろ
その結果を受けて天皇が任命してるだけ
大日本帝国は違う
東條英機を首相に任命したのは天皇の意志
しかもそのあと戦況悪化を受けて東條英機をクビにしたのも天皇の意志 明治憲法で唯一
五・七・五
の条文。
では、
現憲法で
五・七・五
となる条文は? ヒロちゃん「責任をとればいいと言うものではない!!」 >>3
そうはいうけど、この国にいいとこって一つでもあるか? ウヨ「昭和天皇の全責任は自分にあるとした態度にマッカーサーは感動した!」
↑
昭和天皇自身が認めているんでしょ?
なんで否定しようとするのさ >>72
いや権利内から機関じゃない
そもそも日本政府史が
@天皇王権時代である1221年まで
A天皇を反乱者、魔王といい鎌倉ー室町前半まで事実柵方、封建下の下位権力とする幽閉時代
B室町幕府の権限が実質細川あたりに移転された後、天皇の地位的価値は権威的にやや回復し、意見具申が増える
C信長ー徳川前半で権威的建前を回復するが下位権力になり意見具申する法皇状態
D徳川後半から大政奉還論、天皇帝王論が巻き起こる
E明治で帝王化するが、実験はなく政治的傀儡、軍ではなく、政党と官僚傀儡
これだけだね。ここで軍傀儡論は曲解とデマ
実態は政治的傀儡が戦前戦後の体制 >>163
何を言ってるだ!昭和天皇は心にもないことを言ったのでセーフ! >>156
元老や重臣会議の奏薦だぞ
憲法に規定はなかったけど慣習として定着してた
天皇に任命責任を負わせないように戦前もちゃんと工夫してるんだよ 原爆投下?戦争中のことだし仕方なくねw
とか会見の場で言っちゃうようなやつに意思能力を認めるのか? >>167
あのさぁ
例えば東條英機を退陣させた時とか
天皇の意を受けた内大臣木戸幸一が思いっきり関与してんだよ
要するに思いっきり自分の意思反映させてるわけ
こんな権力持ってるやつに責任がないわけないだろ
大正デモクラシー下で憲政の常道やってた時代は天皇はただの機関だが
それを国体明徴声明で放棄した後は天皇は正しく主権者 >>169
木戸は汲んだだけ
木戸も天皇の盾になれて本望だろう せや!対象を落としたら責任取らなくていいから落としまくって擁護したろ!
これ日本特有のガイジムーブじゃね とまあこんなふうにその時々の都合に合わせて、陛下のご意向であると国民に無茶振りしたり
陛下は関係なかったと責任逃れ出来る超便利なシステムなわけさ
もし非難されることになっても実際の為政者は問題を天皇に押し付けてノーダメでいられるしね
普通は国家の近代化似合わせて消え去るはずのシステムなんだが宗主国のアメリカが土人国民
を操るリモコンとして残してしまったのが運の尽きよ これは有名な話でしょ。
征夷大将軍の身分を源頼朝が事実上の天皇の上において
これが現代社会まで続いてる。征夷大将軍=内閣総理大臣 >>144
統帥権干犯言い出したのは森恪だな
対中拡大主義者で軍と仲良し
田中義一陸軍大将が政友会入りした時に一緒に連れてきた陰謀家みたいなやつ 「実権が無い」は確実に違うよな
極端な話ポツダム宣言が出された後すぐに天皇が独断で「受諾します」と声明を出したら
軍部がそれを拒否してクーデターが発生したとしてクーデター勢力との戦闘が継続したとしても
国際的には天皇が声明を出した日が大日本帝国が降伏した日として扱われると思うんだが
イタリアだって実際には45年のドイツの降伏直前まで枢軸国側で戦った勢力はいるが
一般的にイタリアが降伏したのは43年だと世界では認識されている ヤクザの論理に受け継がれる「下の者が勝手にやりました」ってやつとも似てるな。
親が「やれ」と指示しなくても子分が忖度して実行するというのが、ヤクザの巧妙なやり口。
ただ、さすがに最近は「使用者責任」が厳しく問われるから、身動きがとれなくなってるんだろ。 天皇は軍部の言われるがままの傀儡だったんです!無能なんです!カスなんです!クズなんです!
こっちのが不敬だろ…😰 >>169
シベリア出兵を主導して外交まで勝手にやった陸軍の独断は統帥権あってこそであり、ヒロヒト固有の問題ではない。
政党政治を美化しすぎ >>173
そうやってどんどん天皇から権威権力奪っていったのに反動で復活させたのが大日本帝国な
その時期の天皇には大きな力があった https://pbs.twimg.com/media/DeDHCVAU8AA6JYD.jpg
ヒロヒトが「全責任を負います」と言ったとマッカーサー回顧録や漫画(昭和天皇物語)などに書いてある
ヒロヒトはすべての戦争責任を認め罪を一人で背負おうとした男の中の男
つまり戦争責任はヒロヒト一人だけにある >>182
マッカーサーの元に訪問した美談が
きっかけで戦争責任を問われることが無くなったと思うか?
逆に訪問しなかったら責任を問われるかを考えてみろ。
検討の末、
問わないシナリオがあっただけだ。
子供かよ。。 >>183
漫画や回顧録みたいなゴミを真実だと思ってる奴を馬鹿にする目的で書いたんだけど
意図がわかりずらくてすまんな 統帥権干犯問題が諸悪の根源といったのは、司馬遼太郎であったねw 天皇が戦争に反対してたった言うのは調べればわかる御前会議の決定も形式的だったったいうのもわかるけど海外の人はそう捉えないよ
責任者だからね 天皇の助命と引き換えに日本は永遠にアメリカの下僕となることを受け入れた 戦争反対といいながら玉音放送ではアジア解放を言及してるよね ほんこれ
憲法に書いたことは全部嘘ですとか恥ずかしくないの? 幕府と帝の関係をそのまま書いただけだろ
幕府が内閣になったというだけで >>190
日本ではそういう認識だから日本人自身天皇を罰することができなかった
しかし海外からみたら日本人の考えはとても不思議な行動にしか思われない 大元帥たる昭和天皇「作戦にも介入」 吉田裕さんに聞く
https://www.asahi.com/articles/ASM7Q53QWM7QUPQJ00B.html
「45年2月に元首相の近衛文麿が戦争の終結を上奏したときに、天皇は『もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい』と答えています。その時点でも、まだ戦果を挙げられると信じていたんですね。米軍に打撃を与えて、できるだけ有利な条件で講和に持ち込むという『一撃講和論』をずっと支持していました。そのために戦争終結がずるずると遅れてしまった面はあると思います」 >>191
その詭弁が通用するのは国内政治だけなんだわ
侵略戦争やらかしてその言い訳通ると思ってるのはただのカス
事故で客に死者まで出した会社が社内政治云々を言い訳にして通用するか? いわゆるネトウヨって
こういう時に馬脚を露すよな
飼い犬の扱いに近いなって思う 天皇は「御下問」「御言葉」を通じて戦争指導・作戦指導に深く関わった。
天皇は作戦について統帥部の方針や作戦の進め方を無条件で認めていたわけではない。
とりわけ、次の事柄については大元帥・昭和天皇の発言は、
作戦計画あるいは具体的な作戦内容を左右する大きな影響を与えた。
熱河作戦の一時差し止め(1933年)
二・二六事件における反乱軍の武力鎮圧方針の決定(1936年)
日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定(1937年)
張鼓峰事件における武力行使方針の一時差し止め(1938年)
「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正(1939年)
宣昌再確保への作戦転換(1940年)
フィリピンバターン要塞への早期攻撃の実現(1942年)
重慶攻略の方針の決定と取りやめ(1942年)
カダルカナルをめぐる攻防戦における陸軍航空隊の進出(1942年)
ガダルカナル撤退後のニューギニアにおける新たな攻勢の実施(1943年)
統帥部内の中部ソロモン放棄論の棚上げ(1943年)
アッツ島玉砕後における海上決戦の度重なる要求と海軍の消極的姿勢への厳しい叱責による統帥部ひきしめ(1943年)
陸軍のニューギニア航空戦への没入(1943年)
「絶対国防圏」設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部の指示など、1943年〜1944年)
サイパン奪還計画の立案(1944年)
沖縄戦における攻勢作戦の実施(1945年)
朝鮮軍の関東軍への編入とりやめ(1945年)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480099716/ 「昭和天皇独白録」より
・第一次上海事変「私が白川に事件の不拡大を命じて置いた」
・第二次上海事変「私は盛に兵力の増加を督促した」
・阿部内閣組閣「私は梅津又は侍従武官の畑を陸軍に据ゑる事を阿部に命じた」
「私は日独同盟の反対者を武官長に任じようと思つてゐた……反対と云ふ事が確かめられたので、之を任命した」
・米内内閣組閣「米内はむしろ私の方から推薦した……日独同盟論を抑へる意味で米内を総理大臣に任命した」
・南仏印進駐「こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷める様に云つた」
・東条内閣組閣「若し皇族総理の際、万一戦争が起ると皇族が開戦の責任を採る事となるので良くないと思つた……陸軍の要求は之を退けて東条に組閣をさせた次第である」
・ローマ法皇庁使節派遣「開戦后法皇庁に初めて使節を派遣した、之は私の発意である」
・東条内閣の外交「最后にソビエト軍が兪ゝ独乙領に侵入した時、思切つて独ソの和睦を申入こませた」
・東条と云ふ人物「私はとう/\東条に内閣を生かす為には嶋田の海相を罷めさす可きだと話したので、東条も遂に彼を止めさせる事にした」
・小磯内閣組閣「小磯は……末次を軍令部長にすると云つてゐたが、私は末次の総長に反対した」
・沖縄決戦「沖縄で敗れた後は……「ビルマ」作戦と呼応して、雲南を叩けば、英米に対して、相当打撃を与へ得るのではないかと思つて、梅津に話した」 ◆天皇、ノリノリだった。「お言葉」の数々
1943年
「何んとかして『アメリカ』を叩きつけなければならない」(6月9日、『眞田穰一郎少将日記』)
「何処かでガチッと叩きつける工面は無いのかね」(7月8日、同上)
「何れの方面も良くない。米をピシャッとやることは出来ぬか?」(8月5日、同上)
いつ決戦か。いつ叩くのか。いつ攻撃をやるのか。天皇の矢のような催促は延々と続いた。
1944年に入っても、
「各方面悪い、今度来たら『ガン』と叩き度いものだね」(2月16日、上同)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58837?page=3 ◆天皇から軍人さんへの言いきかせ
「軍人勅諭」から
我国の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にぞある。
(略)
夫兵馬の大権は、朕が統ぶる所なれば、其司々をこそ臣下には任すなれ、
其大綱は朕親(みずから)之を攬り、肯て臣下に委ぬべきものにあらず。
子々孫々に至るまで篤く斯旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの義を存して、
再(ふたたび)中世以降の如き失体なからんことを望むなり。
朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。されば朕は汝等を股肱と頼み、
汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、其親は特に深かるべき。
(略)
↑の口語訳(拾い物)
我が国の軍隊は代々天皇が統率している。
(略)
そもそも軍隊を指揮する大きな権力は朕が統括するところなのだから、
その様々な役目を臣下に任せはするが、そのおおもとは朕みずからこれを執り、
あえて臣下に委ねるべきものではない。代々の子孫に至るまで深くこの旨を伝え、
天皇は政治と軍事の大きな権力を掌握するものである道理を後の世に残して、
再び中世以降のような誤りがないように望むのである。
朕はお前たち軍人の総大将である。
だから、朕はお前たちを手足のように信頼する臣下と頼み、
お前たちは朕を頭首と仰ぎ、その親しみは特に深くなることであろう。
(略) 日本は誰かが独裁してあれこれ指導してたわけじゃないのに
ファシズムを形成してたっていう稀な事例
近いのはイスラム原理主義と同じく、日本は天皇を教祖とする宗教国家だわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています