稲田 『映画を早送りで観る人たち』には、早送りされる背景のひとつとして「映像作品の供給過多」を挙げました。動画配信サービスの登場によって安く大量に作品が観られるようになり、人々の時間が足りなくなった、と。これについてはどう思われますか?

小林 現代人は忙しい。わずかな隙間時間を、さまざまな娯楽が奪い合っている状態ですよね。ただ、多くの映画ファンはNetflixとプライムビデオが普及しはじめたときに喜んだと思うんですけど、僕は絶望の方が大きかったんです。

稲田 なぜですか?

小林 「ああ、これで観たい映画やドラマやアニメを一生かけても全部観きれなくなった……」って。

稲田 (笑)。「積ん読」してある本の上に、さらに追加で本が積まれた感じだ。

小林 そうそう。あともうひとつ感じたのは、「自分がこれから脚本を書く新作も、この膨大な作品群の中に埋もれていくんだな」という絶望です。予算が潤沢にあった過去の名作・傑作と、常に比較され続けることになる。星の数ほどある作品の中から、自分の作品を選んでもらえる可能性は、果たしてどれくらいあるんだろうか。もっと言うと、本当に楽しんでもらえるんだろうか、と。

稲田 つまり、受け手としても作り手としても絶望したと。

小林 『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著)という本には、「人間は選択肢が多すぎるとかえって幸福を感じにくくなる」と書かれています。なぜかというと、「選ばなかった大多数のものの中に、もっと良い選択肢があったに違いない」と未練を抱いてしまうから。

現代人は出会い系アプリなどで人と出会うチャンスは無限に広がりましたが、それで恋愛や結婚、対人関係への人間の幸福度が上がったかというと、必ずしもそうではないですよね。むしろ孤独になった人は多い。食べ放題の店に行ったら、一生通い続けても絶対に食べ切れない膨大な種類の料理が並んでいて、とうとう本当に美味しいものにはありつけず、絶望を味わうようなものです。

稲田 映像作品が安価かつ無尽蔵に観られる状態というのは、人類にとって必ずしも幸せとは言えないのかもしれませんね。非常に含みのある話です。

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