【歴史】 弥生時代の「硯(すずり)」が高知で出土。四国最古の文字が使われていた模様 [799215407]
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弥生期の硯片発見
2022/04/27 05:00
四万十市など3遺跡 県内初
文字が使われた可能性
四万十市の古津賀遺跡群から、弥生時代中期末から後期初頭にかけてのものとみられる
硯(すずり)の一部が出土していたことが確認され、県立埋蔵文化財センター(南国市)と四万十市教育委員会が26日発表した。
県内で弥生時代の硯が見つかるのは初めてで、紀元前後に県内に文字を理解できる人がいた可能性を示す。
同センターは「この地域の弥生時代像を見直すきっかけになる」としている。(飯田拓)
https://www.yomiuri.co.jp/local/kochi/news/20220426-OYTNT50115/ 邪馬台国は畿内を中心として西日本全域だったんだろうな そういや邪馬台国徳島説言ってた有名なヤバいおっさんいたよな
邪馬台国ブームの時に昔一時有名だった人
マジだったんだ こういうのって発掘されてすぐに何の道具か断定されてるけど本当にそれで正しいの?間違ってることはありえないの? ゴッドハンドのせいでまず疑わないといけなくなったのマジ糞だわ 弥生時代の遺跡でどうやって捏造するのか逆に聞きたいわ
馬鹿の一つ覚えみたくゴッドハンドゴッドハンド言ってる連中よ もっとも弥生時代=半島大陸から技術者が渡って来た経緯があるけど 明らかに中国のほうが文明が栄えていたのは否めない
そいつらが日本という未開の地に遭難して、こいつら、なにこれバカ?と
なろう小説ばりの当たり前知識で成り上がり貴族に昇格、ゆうゆうと暮らすというね この頃から中国からの渡来人いたってことでしょ
というか弥生人がそうなんでしょ あー、結論ありきで研究してる感じか
弥生時代にも文字が使われてたはず
その証拠が硯だ
みたいな
ダメじゃんww >>1
へー
瀬戸内海沿岸ではなくこんな端っこでか まじか、本当だったら教科書より先に文字が日本に入ってる! 最近というかここ数年
この手の硯の発見多いね
すでに発掘されていたものがアレこれそうじゃねって形でのものばっかだけど むしろ逆だろ
なんで漢字が刻まれた銅鐸や土器が弥生期から古墳期にかけて全くないのかってほうが不思議なことだわ
稲荷山古墳の鉄剣には当て字の漢字が使われているんだからそれまでに漢字の慣例的な使い方が確立していただろうにそういう経過をしめすものが出てこない まあなんです
弥生時代の硯と砥石は紙一重
ここが一番重要なんだw 弥生時代の期間勝手に変えるから訳分らん
俺らの頃はこんな昔じゃなかったのに ゴッドハンドは縁起悪いからゴッドアームって呼ばれてたのか 渡来人が使ってたやつか、交易で威信材として手に入れたやつ 文字を書く道具はあっても文字自体がなかったって馬鹿みたいじゃん 文字のあるなしって既に見つかってる土器や古墳でわかりそうなものだけどな
中国やら朝鮮からの渡来人が硯持ってきたパターンなのでは? >>36
漢字伝わる前の古代文字はいまだにあるとかないとか言われてるよな >>43
水耕時代の始まりが弥生時代と定義したんだから
遡るほど古い遺跡が見つかれば弥生時期の開始時期も早まる 日本に漢字が伝来したのは4世紀後半だって言われてるけど
弥生時代中期〜後期なら1世紀ごろには文字が使われていた可能性があるってことだよね >>54
着眼点は面白い
ただ古代の硯が発見されたのが当時の文化先進地域(福岡県沿岸部、畿内、出雲、吉備あたり)だから
やっぱ何らかの文字を書くためのものと考えたほうがいいように思う >>51
歴史修正を堂々と正当化するやつはじめてみた >>57
時代区分なんて現代人が勝手に定義したものだから幾らでも変わるわ
ネットに毒されてんなあ >>58
その調子で日の丸を振り回す人生送ってねw >>55
しかし文字の書かれた木簡の一個くらい見つかっても良さそうなもんだが全然見つからないよな >>36
弥生後期なら文字の入った土器は見つかってる 絵とか呪符とかのためかもしらん
文字とはかぎらない >>59
硯を買った人には漢字を教えるよ
って言って売ったのかな 紀元前後なら中心的などこかで硯が実用的に使用されていてもおかしくないし、その何十年後かに実用性不明な骨董品として僻地にあってもおかしくない >>69
1%もあったらすごすぎる
0.1%もないんじゃね >>11
実際この国学院の教授あやしいぞ
九州を中心にあちこちで石片を硯と主張して回ってる
こんなことを言ってるのこの人だけ >>28
なんか中国の人らが貴重っぽい物をくれた、よくわからんけど大事に飾っとこう
こんくらいのことだった可能性もあるよな >>36
仮に古代ジャップランド人に文字があったとして飛鳥時代にあっという間に漢字圏の渡来系に駆逐されたんだから俺らの祖先なんてお察しだよな >>32
今はない
脳が退化して猿と人間の中間ぐらいの生き物しか住んでないらしい 弥生時代は馬鹿にできない
国家機構とか文字がないだけで、生活のテクノロジーはかなり
しっかりあるのが、青谷上寺地遺跡の出土品からわかる
いまでも使ってる木工用具もあれば、どうやって使うのか
今の職人には見当のつかない道具などが出てる >>46
プログラムを書く道具はあってもソフトはつくれないみたいな感じか
間違いなく俺らの祖先だな >>12
だから弥生人は大陸から渡ってきた渡来人なんだろ。
多分大陸での政争に破れて落ち延びた人達、そら稲も硯も持ち込む。 >>26
弥生人は大陸から渡ってきたんだから、渡来したすぐの頃は読めたろ。
ただ現地で文字使わない生活やってたら一度失伝した可能性はある。
国の形を作り出して復活させた。 縄文「や、弥生ちゃん!急に文化レベル上げないで!」
弥生「うるさい土着民ですね…」シュッシュッ さかもと‐いし【坂本石】
〘名〙 高知県室戸市室戸岬町の坂本から切り出される紫色の石。硯(すずり)の材料にされる。 室戸市元
新村
33.300753,134.108348^_^
元村の海辺を言ふ
今よりはかきも集めんもしほ草
硯石取る土佐の海辺に
今は硯ケ浦と言う。空海が入唐求法の後帰国し、行当崎硯ケ浦に舟を着けて西寺に登り、金剛頂寺を創建している。その時石を取って石と石を磨き合わせて硯を作り日記を書いたのが初めで、以来天下の名硯と呼ばれ、南路志には大阪の硯屋で土佐黒石または衣滴石と呼ぶとある。名のとおり無双の硯を産出したので硯ケ浦となり、毎年三月三日に採石していた。
(校注土佐一覧記p56) 徐福以降、中国人がたびたび来訪してるだろうに、日本に硯や文字が無かった方がおかしい 少しでも表面に墨が残ってるんなら
信憑性あるんじゃない? >>26
普通には読めないんじゃないか
それなりに普及してたら石に刻んだり土器に残したりするだろうし
海外から来た読み書きできる人は居ても少数過ぎて広まるに至らなかったのでは >>36
あの古墳よく盗掘されなかったなと思う
石田三成が陣を敷くくらいには昔から知られた存在だったろうに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています