https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c4da838d33732766baa0172a99dc4df52d57e2

──ご尊父が日中戦争と第二次世界大戦での経験についてあまり語らなかったのは、
村上さんを戦争の暗い部分から守りたかったからなのでしょうか。
それとも当時の日本は父親と息子があまりコミュニケーションをとらない時代だったからなのでしょうか。

中国大陸における戦争は、まさに泥沼のような戦いだった。
広大な大陸の中で日本軍は終わりの見えない戦争に従事し、兵士たちは疲れ切っていた。
そのような中で数々の残虐な行為がおこなわれた。
父はそのような行為を数多く目撃し、一人の青年として、一人の僧侶として心を痛めたと思う。
彼はそのような話をほとんどしなかった。ただ毎朝、小さな仏像に向かって祈りを捧げていただけだった。
おそらく、息子に向かって何をどこまで話せばいいのか、彼自身にもわからなかったのだと思う。

──子供時代に戦争の悲劇を意識するようになったことは、村上さんご自身の人生や
仕事に無意識のうちに影響を与えたりしたのでしょうか。

僕が成長する過程で──ありがたいことに日本は国家として直接参加はしなかったけれど──数多くの「泥沼のような戦争」を目にしてきた。
アルジェリアでのフランス軍の戦い、ヴェトナムでのアメリカ軍の戦い、アフガニスタンでのソヴィエト軍の戦い……そういう意味のない、
あるいは意義の不明な(としか思えない)戦争を目にするたびに強い空しさに襲われることになった。
また過去の戦争を美化しようとする一部の人々の企てにも、強い怒りを感じる。
あるいはそれは、祈りを捧げる父親の後ろ姿を見てきたせいであるかもしれない。