(ヽ´ん`)「米相場で破産した・・・作り方知らないけどようかん作れそうな気がする」(ヽ゚ん゚)「出来た」→井村屋誕生 [609050425]
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井村屋の誕生は、明治時代の中期にさかのぼる。
日清戦争が終わり、下関条約が調印されて勝利の余韻がさめやらぬ1896年、
井村和蔵によって菓子舗「井村屋」が三重県飯南郡松阪町(現在の松阪市中町)で開業した。
当時、米相場で失敗した井村和蔵は、全く経験も無い和菓子製造に興味を持ち、「作れそうな気がする」と言う理由だけで商品を「ようかん」と決め、
わずか1円50銭の元手で、小豆、砂糖、寒天を購入し、見よう見まねでようかん作りに取りかかった。
釜でようかんを煮詰めたのはいいが、ようかんを流し込み、固める型はどうするか。
生来のアイデアマン・和蔵が思いついたのは、どこの家庭にもある「山田膳」、これを「ようかん舟」に利用したのである。
こうして試行錯誤を繰り返して、井村屋特製の「山田膳流しようかん」が誕生した。
https://www.imuraya-group.com/outline/history/%e8%8f%93%e5%ad%90%e8%88%97%e3%80%8c%e4%ba%95%e6%9d%91%e5%b1%8b%e3%80%8d%e3%81%ae%e8%aa%95%e7%94%9f/ 山本一力は億の借金ができたあとで小説家になろうと決めたらしいな この時代だからこそ成功できたってのはあるんだろうが
思いつきだけでやりきったのはすごいな ようかん(使用済み)
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// 動機は近頃の食パン屋と同じだな
これが生存バイアスか >>5
意識高い人は一夜で意識高くならねーよ
全員意識高い系から始まる
口に出すか出さないかの違いだな 「皆さんご存知の山田膳」みたいな書き方だけど検索しても井村屋のエピソードしかヒットしないぞ 光ある所に影がある
まこと栄光の影に数知れぬケンモメンの姿があった 最近、アメリカの起業番組とか見たけど
やっぱ、規制が緩いんだよね
例えば>>1だって
今なら、まずは食品衛生免許必要でしょ?
販売店としてどこに店を出すかも住宅地域だと無理
アメリカではいきなり
ゴミから古物商やったり、中古車の転売とかしてるからね
免許が日本ではどれもいる 現代でもFXや先物で破産した後に新規ビジネス興して大成功する奴が現れるかもしれないな >>20
わーくに他国と違ってブラックリスト入りするから
破産したら全部リセットできないので無理ぃ なお米相場ってのは世界最古の先物取引市場だと言われている 山田膳が分からねえし
破産した素人のおっさんが適当に作ったようかんなんか普通売れねえだろ
どうやって売ったんだよ 山田膳ってなんだ?って検索したら>>1の逸話ばっかり出てくるのが笑える 情報商材で鳴かず飛ばずで
youtuberで大当たり
ヒカルみたいなもんやろ 三重県の小学校での社会見学はマツダ食品(現おやつカンパニー)とココだった
いっぱいお菓子貰えた カルピスなんかもモンゴルへ仕事で行った時に
馬の発酵した飲み物(酸乳)を飲んでそれからヒントを得て
試行錯誤して作ったら大当たりしたらしいぞ
「カルピス」の生みの親・三島海雲(かいうん)は
1878(明治11)年7月2日、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。
西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが
入学後間もなく、大学から中国へ渡ることをすすめられ
1902(明治35)年、当時日本の青少年の憧れの地であった
中国大陸に無限の可能性と夢を求めて渡っていきました。
酸乳との出会い
中国で教師をしていた後、日華洋行という雑貨商の事業を行なうことになりました。
あるとき、仕事で北京から内モンゴルに入った海雲は、そこで「カルピス」の原点である酸乳と出会いました。
当地の遊牧民たちが毎日のように飲んでいた酸っぱい乳をすすめられるまま口にしたところ
そのおいしさと健康効果に驚きを受けました。
長旅ですっかり弱っていた胃腸の調子が整い、体も頭もすっきりしてきたのです。
その酸っぱい乳が乳酸菌で発酵させた“酸乳”だったのです。
酸乳を日常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き
自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。
日本初の乳酸菌飲料「カルピス」の発売
1917(大正6)年10月には、生きた乳酸菌入りキャラメル「ラクトーキャラメル」を発売しました。
しかし、「醍醐味」「醍醐素」「ラクトーキャラメル」とも
原料となる牛乳収集の困難さや商品が生菌だったこと、キャラメルの溶解などにより失敗に終わります。
そのなか、「醍醐素」を改良したおいしく体に良い飲み物として開発したのが
日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。
海雲は、「カルピス」の本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。
1919(大正8)年7月7日の発売以降、「カルピス」は時代を経て、やがて“国民飲料”として愛される商品へと成長しました。
https://www.calpis.info/knowledge/developer/ 三重県の小学校での社会見学はマツダ食品(現おやつカンパニー)とココだった
いっぱいお菓子貰えた >>30
人に馬鹿だと思われないことだけが目標の人生 売り方が気になるな
結局ゴミだろうが売れるものって多いし 山田膳って四角いおぼんのことか
漆器の老舗メーカーに山田平安堂ってのがあるみたいだからそこのお盆を「山田膳」って呼んでたのか? シャトレーゼも元々は弟が菓子店やってて
それが不調だっつーから手伝ってるうちにピンと来て
自分で店作ったのが始まりらしいしな
そんなもんよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています