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1850年代以降から、ヒバロー族のツァンツァの風習は金を求めて南アメリカ大陸奥地に進出したヨーロッパ人の知るところとなり、観光客や好事家たちは競ってヒバロー族を相手に干し首の交易を始めた。これらの需要の結果として、ヒバロー族は交易を目的とした干し首の制作と他部族との戦争を行うようになった。1930年代には干し首一つは約25ドルで取り引きされていた。また、ヒバロー族は干し首を獲得するための戦争に銃器を使用するようになり、必要な銃と弾薬は干し首の交易により白人から入手された。ペルーおよびエクアドルの政府が干し首の交易を禁止する法律を制定するまで、これらの交易は続いた。この後も好事家のために、ヨーロッパやアフリカ、アジアなど南アメリカ以外の地域で、病院の医師を抱きこんだ引取り人のない死体による干し首の制作が行われた。

現在では、観光客向けの土産物として、干し首の模造品が作成されている。これらの模造品は本物の干し首に似せて刻まれた革や獣皮から作られている。干し首の模造品はその刺激的な特徴により、ホットロッド・カルチャーの間でも好まれており、ホットロッドの愛好者はしばしば装飾品として、バックミラーからこの模造品をぶら下げていることがある。

鼻毛の有無が、ある干し首が本物であるか模造品であるかを見分ける手掛かりの一つである。本物の干し首の最大のコレクションは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルにあるイェ・オールド骨董店に展示されており、そこには7体の干し首が飾られている。また、この店にはテニスボール大の大きさしかない世界最小の干し首も展示されている。

日本国外務省の海外安全ホームページによると、2009年にエクアドルのモロナ・サンティアゴ県及びパスタサ県において発見された数体の首無し死体について、切断された首はシュアル族の間に伝わる方法によって干し首にされ、インターネット販売されている可能性があるという。

第二次世界大戦中には、ドイツの強制収容所において囚人の頭部を使用した干し首が作られていたことが報告されている。最も有名な報告はブーヘンヴァルト強制収容所で行われたもので、そこでは他の囚人を威嚇するために収容所の中央に干し首が掲げられていた。