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聖徳太子の伝説、日本一多いのは滋賀? 訪れたかは不明なのに、なぜ
十七条憲法を定め、今年没後1400年を迎えた聖徳太子(574〜622)。その伝説は各地に残るが、滋賀県が「日本一多い」とPRしている。太子が開いたと伝わる寺社が100を超し、太子創建の法隆寺がある奈良県や四天王寺の大阪府をも上回るのだという。歴史上訪れたかどうかも定かではないのに、どういうことなのか――。
人魚を成仏、石になった馬……数々の伝説
西国三十三所の第32番札所・観音正寺(かんのんしょうじ)。滋賀県近江八幡市の繖山(きぬがさやま、標高433メートル)にある古刹(こさつ)には、不思議な太子伝説がある。
《太子は、琵琶湖から現れた人魚と出会う。人魚は訴えた。「前世は漁師でした。殺生をなりわいとしたため、こんな姿になりました」。繖山に寺を建てて成仏させてほしいという願いに応え、太子は自ら観音像を刻み、お堂を建立した》
繖山のふもと、隣の東近江市にある寺は、名前の由来が太子に関わる。
《馬の歩みが止まったので、太子が木に馬をつないで山に登った。山頂で啓示を受けて戻ると、馬がそばの池に沈んで石になっていた》。この出来事に霊気を感じた太子が建てたと伝わるのが石馬寺(いしばじ)だ。
東近江市には、太子が四天王寺の瓦10万6千枚以上を焼かせたと伝わる瓦屋禅寺(かわらやぜんじ)もある。合併前の旧市名「八日市(ようかいち)」は、この瓦造りで集まった人々に太子が交易を教え、「八」の日に市が開かれたことに由来する。
法隆寺の奈良、四天王寺の大阪よりも
こうした伝説は、各地で個別に伝わっていた。それを体系化しようという動きが2018年に始まった。
4年後に太子の没後1400年という節目を控えていた。観音正寺の岡村遍導(へんどう)住職が、県立安土城考古博物館の元副館長、大沼芳幸さん(琵琶湖文化史)に助言を求めた。大沼さんは20年、地元の観光振興団体の協力を得て、滋賀にどれくらいの太子の伝説があるかを調べた。
手がかりにしたのは、全国7万余りの寺院を収録する1916(大正5)年編纂(へんさん)の「大日本寺院総覧」だ。それによると、全国には太子が開基(創立)と伝わる寺が126、太子作と伝わる仏像のある寺院は269あった。このうち滋賀県だけで開基は27、仏像は25あった。奈良県(開基17、仏像6)や大阪府(開基15、仏像16)を大きく上回り、全国1位だった。
さらに各寺社を訪ねて現在の状況を調べると、伝承で太子開基の寺は99、太子作の仏像は94もあった。開基の神社も14あり、地名の由来なども加えた太子ゆかりの遺産は281件にのぼる。
なぜ滋賀には太子ゆかりの寺社が多いのか。なにしろ日本最古の正史「日本書紀」には、太子が滋賀に来たという記述はない。