毛利輝元「美作で勝っているから、羽柴と再び戦っても勝てるお!」恵瓊「無理に決まってるだろ常識的に考えて」 [266239974]
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秀吉が恵瓊に宛てた5月7日付の書状では、輝元に美作・備中・伯耆の三国を割譲することなどを条件に講和を迫り、もしこれを拒否した場合は毛利氏を滅ぼす、という旨が記されており、輝元に決断を迫った
輝元は恵瓊から説得を受けたものの、元春や隆景が領地の割譲に反対し、国境の画定交渉は難航した。加えて、割譲を求められた美作・備中・伯耆の三国では、毛利氏配下の国人たちが領有地域からの退去に抵抗し、その説得のためには安易な妥協はできなかった。美作では、毛利氏配下の草刈氏や中村氏が宇喜多勢の侵攻を撃退しており、輝元自身は秀吉との軍事衝突に突入しても互角に戦えると判断していた。だが、恵瓊は秀吉と戦闘に入った場合、9月16日付の書状では「十に七・八は負ける」と判断しており、輝元に軍事衝突を避けるように説得し続けた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E8%BC%9D%E5%85%83#%E4%BF%A1%E9%95%B7%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2%E3%81%AE%E7%93%A6%E8%A7%A3%E3%83%BB%E7%A7%80%E5%90%89%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%94%BB%E9%98%B2 [宇喜多勢の侵攻を撃退しており、
輝元自身は秀吉との軍事衝突に突入しても互角に戦えると判断していた]
この撃退てたいそうなもんだったのか? 毛利元就さえ存命なら家康ぶっ殺して広島幕府できただろうに惜しいな 秀吉に潰されなかったし五大老に選ばれたし毛利氏は、強大な秀吉勢力に対してかなりうまくやったと思う これ毛利が最高にアホだった講話だよね?
関ケ原の日和見で大大名から転がり落ちたけど
個人的にはこの講話締結が最高にアホだともうわ >>11
元就の息子の隆元隆景元春はそれぞれが優秀な3兄弟だぞ
そして輝元は隆元の息子で3世 高松城の時も物資や兵力も不足してろくに救援できず
羽柴とぶつかってたら負けるに決まってんじゃん 秀吉も単体ではあんまり強く無いよな
毛利が勝ってたんでは 単体じゃないから勝てないんだが
この時の羽柴に勝てるんだったら
備中高松城でも勝ててる 宇喜多秀家はまだ子供だから直家の弟や重臣が宇喜多家の中心だった。 本能寺の変が起きなかったら
毛利は武田みたいになってたんじゃないか 仮に輝元の能力が高かったとしても、織田(羽柴)軍団には勝てなかったよな
毛利の体制は国人連合だろ 宇喜多が寝返ったんだから三村切り捨てたのは失敗だろ 織豊勢は毛利を過大評価し過ぎだよ鳥取の太閤ヶ平や陣城群を見てるとそう思う >>5
まあなんだかんだで秀吉に「毛利を落とすのは難しい」と判断させた事実はあるわな
その後の四国や九州には、立場は違うとはいえ完全に速攻で「落とせる」と想定して動いていたのに対し 鳥取高松で勝てなかったのになんで次は勝てると思うんだよ
その時から兵力が増えるどころか減ってるのに、普通はそのまま押し込まれると予測できるだろ >>16
とは言え実際に秀吉は信長の後を継いだ後も毛利を攻めてはいないし家康のように転封さえ命じなかった
これが意味するところはなにか、なんだけど 秀吉は徹底的に滅ぼして安倍晋三の祖先を殺しておくべきだった
後世に悪名を残したな >>31
高松ってあれ実際めちゃくちゃ無理な攻め方じゃん
そして、それをやって要害陥落させても毛利側に降伏の気配が見えなかったところで秀吉は毛利を軍事的に落とすことは諦めたんだろう >>32
毛利家乗っ取ろうとしてたやんおねの甥養子に出して。 >>35
それはもちろんやるでしょw
でも要は政略結婚で内部に取り込むべきという判断はされたと見る 漫画のイメージで宇喜多=暗殺なんだけど実際はどうなの? 教えて歴モメン 関ヶ原で毛利の大軍が真面目に戦えば西軍圧勝
関ヶ原で負けてても巨大な大阪城に籠もってたら絶対に負けてない
毛利輝元の無能さは底抜け そもそも羽柴時代はあくまで織田の1方面軍なんだよな
これに勝ったところでソ連軍のごとく無限に兵士が湧いてくるわけで 恵瓊は実家の武田を滅ぼした毛利家を滅亡させることが目的だった 輝元さん、関ケ原でも領土拡大する気満々だしあいつちょっと野心家すぎるんじゃないか。
ボンボンなんだから足るを知るって感じが普通だと思うんだけど >>38
元就は後世の評価者の方が思考に追いついてなくて
今でも過小評価
輝元は逆に今でも毛利120万石とか五大老って立場からくる過大評価乗ってると思うわ
なんつうか現代の世襲政治家や経営者への評価と併せて
色々考えさせられるね >>26
題名は忘れたがとある本に吉川元春が三村は毛利が憎くて
此度のことをしたのではないと言って三村に同情的だったけど、
小早川隆景は三村の事情は一切無視して宇喜多に味方して三村を
自ら攻めて滅ぼしていたと書いてあったね。 https://youtu.be/xrrV2rKEPBA?t=464
やっぱ、柳生は徳川のスパイだったと思う。
(柳生だけじゃなく、上泉秀綱からして武田のスパイで)
ようは、当時の剣術家ってのが自由に動いてる様に見せて
実際は各地の武士と師弟関係を結び、
たれこませて、その情報をパトロンに送ってたろう。
当時の戦国武将が、こんな便利なツールを
見のがすはずがない。
毛利輝元もスパイとわかった上で受け入れて、ぎゃくに
柳生宗厳も何かあれば殺される覚悟が有ったんじゃ無いかと。
>文禄3年(1594年)5月、
>徳川家康に招かれ、家康本人を相手に無刀取りの術技を示す。
>家康はその場で宗厳に入門の誓詞を提出し、二百石の俸禄を給した。
>この頃宗厳は、家康と同じ五大老の毛利輝元に対しても、
>兵法を継続的に教授しており、文禄4年(1595年)からの
>数年間で複数の伝書を授与している。
>兵法を通じて徳川と毛利両家からの援助を得ても、
>依然として柳生家は困窮しており、文禄4年7月には
>旅先から妻に宛てて、もし自分が死ぬことがあれば
>茶道具を売り払って葬儀の費用に当てるよう、遺言を残している。 読んでみると毛利側と織田側じゃ継戦能力が段違い、みたいに書いてあるけど
この違いは何から来るの 本能寺の後に秀吉追撃すれば確実にワンチャンあったと思うが、
それをやらなかったのが謎
多分毛利が天下取れるとしたらそのタイミングしか無かったと思うがなぁ・・・ >>46
経済力
農本主義だと資本は一年に一回しか回転しない >>51
商業交易が最も盛んだった瀬戸内を抑えてた西国毛利より
尾張美濃の織田の方が商業盛んだったという幻想 >>52
でも実際織田の経済力がほかを圧倒してた事実があるわけで・・・・ >>54
検地による石高というのは税金だから
重税地域を表してるにすぎない
そもそも戦国時代には人口統計は日本に存在しない
表高と実高の乖離も大きいのに
表高が小さいところは軍役が小さく非常に有利 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています