理想の美男をエロチックに…イケメン描いて15年 「少数派」日本画家・木村了子さんのこだわりとは [377482965]
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◆美術館から引っ張りだこ、CDジャケットにも
日本画で描かれたイケメンたちに囲まれた部屋は異空間を思わせる。しかし、ここは東京都町田市内にある木村了子(50)の自宅兼アトリエ。周囲の住宅と変わりない一軒家の和室だ。木村は基本的にここで絵を描いている。
ここ数年、木村の描くイケメンは美術館のグループ展でも引き合いが相次ぐ。
今年1月~3月、栃木県立美術館で開かれた「日本画のゆくえ」、昨年は埼玉県立近代美術館などで開かれた美男画展「美男におわす」などに出品した。2019年には、新潟県燕市の国上寺の本堂に、源義経や弁慶、上杉謙信らゆかりある人物を描いた「イケメン偉人空想絵巻」を発表した。
20年にリリースされた作詞作曲・桑田佳祐、歌・坂本冬美のCD「ブッダのように私は死んだ」のジャケットに描かれた坂本の絵は木村が担当した。歌手・椎名林檎のライブ会場で配られたグッズの挿絵に使われたこともある。
◆東京芸大で油絵を学び、そして描けなくなる
美術展に出品し、有名アーティストにも採用される木村の作品。しかし、早くからこの作風を確立したわけではない。それどころか、日本画を描き始めたのも30歳になるころからだ。
子どものころから絵を描くのは好きで得意だったが、美大の受験勉強を始めたのは高校2年の夏から。現役で多摩美術大に合格したが、翌年に東京芸大を受け直し油絵を学んだ。
何となく作家志望ではあったが、同級生は何浪もし、絵を描くのがうまいのはもちろん、自分のスタイルを既に確立していた。「周囲は超絶に上手な人ばかり。『なぜ私が入ったんだろう』と落ち込み、絵を描けなくなった。在学中は自分のスタイル、技法を探して放浪していた」
大学院に進み、壁画を学び、修了制作で個展を開いた。それでも、芸術を仕事にするにはどうすればいいか分からず、何を表現したいのかもまだはっきりしない。大学院修了後は出版社に勤めた。
仕事は楽しかったが、作家やクリエーターへの依頼、補助が中心。自分も制作は続けており、「頼むほうではなくて、自分はあっち側になりたかったんじゃないか」という気持ちが高まっていった。
「作家になりたい」「創作活動をしたい」。その気持ちはあっても、表現したいもの、自分に合う手法が見つからない。現代美術の公募には落ち続けた。模索する日々が続いた。
◆転機は父脚本のポルノ映画
そんな日々を送っていた20代後半、「極道の妻たち」シリーズでメガホンを取ったこともある映画監督の父・関本郁夫(79)が脚本を書いたポルノ映画を見たことが転機となった。
「温泉スッポン芸者」(1972年製作、鈴木則文監督)の主人公の芸者を演じた女優のセックスに対するあっけらかんとした前向きさ、作品の持つ芸術性と娯楽性の高さ。開いた口がふさがらないほどの衝撃を受けた。
特に日本髪に結い上げた芸者が、太ももをあらわにバイクを運転するシーンはとにかく格好がよかった。「これを描きたい!」。映画で描かれた女性のカラっとしたずぶとさ、強さは、自分が求めていた「女性像」だった。
妊娠したのを機に、創作活動に専念するため会社を辞めた。しばらくした後、関本が監督した映画のセットに女性が縛られているふすま絵を日本画で描くことになった。日本画の線描が目指す人体表現にしっくりきた。今のスタイルの原点になった。
学生時代から人を描くことは好きだった。ただ、人の何をどう描きたいのかが分からなかった。このころに「日本画で性を描く」という方向性が見えてきた。人の性は耽美たんび的、幻想的でもあるが、まぬけでおろかしくもある。そんな人間の本能を表現できると感じた。
◆裸の男性に刺し身乗せた「男体盛り」で目覚める
4年間ほどは女性を描いていた。しかし、「色気がない」「自分をさらけ出せていない」などと評価された。それならばと2004年、自身の性愛の対象である男性を描いてみることに。男性モデルが「僕をどう料理してくれますかね」と言ったのをヒントに、裸の男性に刺し身を乗せた「男体盛り」を描いた。
制作中、とにかく面白くて夢中だった。「自分がやりたいことはこれだったんだ」。それから、イケメンを描くことに目覚めた。
木村の描く男性はひげはなく、体毛もほとんどない。いわば架空の存在だ。しかし、木村が理想とする美男をエロチックに描くことは、「愛憎と客観を同時に得られるモチーフであり、人間を継続的に描くためのモチベーション」なのだ。
女性を描くとそうはいかなかった。まず、「自分を描いているのか」と聞かれることが多くて煩わしい。それに、男性なら「どんなに恥ずかしいポーズをさせても一切の自己投影はなく、冷静に観察、表現」することができる。
描くうちに「女は描かれるもの、見られるもの」という美術史の無意識の呪縛から自由になっていることに気づいた。男女を反転させただけだが、異性愛者の女性というマジョリティーが男性を描くことは、美術界では「少数派」だった。
◆当初は「恥ずかしくないのか」「気持ち悪い」と批判も
15年以上、イケメンを描き続けることで時代の変化も感じるように。当初は「こんなものを描いて恥ずかしくないのか」「気持ち悪い」と言われた。それが、今では否定的な声は少なく、公立美術館でも展示されるようになった。むしろ、美男ばかりを描くことは「ルッキズム」と批判される可能性もある。
自分が男性を消費、搾取している面があることも自覚している。それでも、男女はお互いに性欲の対象であり、めでる対象であっていいはずだ。「男性を愛すること、描くことは私の生きる喜び。絵画における男性表現の可能性、楽しさを少しでも感じてもらいたい」
社会の価値観の変化に関心がある。自分の表現はいろんな作品や人に影響を受けて形作られたから。表現者が社会と関係を結ぶには、創作活動を続けるしかない。だから、木村はこれからもイケメンを描く。
(特別報道部・宮畑譲、文中敬称略)
◆デスクメモ
他にはない独自性。木村さんに当てはまる言葉だろう。劣等感や迷いを味わいながら自らの作風を見いだしたという。わが身を振り返れば、迷うことばかり。紙面で何を扱うべきか、どう伝えるべきか。頭をひねる繰り返しで自分らしさが磨かれると信じ、日々の仕事に臨みたい。(榊) 日本画が基本男社会で美人画といえば女だったから
美男画は可能性の宝庫だわな 山本タカトの描く少年のほうが万倍美しかった
リビドーが足りないだろ😡 よく見ると顔そんなでもないぞ
実物イケメンが居ないんだろ スゲー誰かに似てると思うけど思い出せないな
絵は個人的にはそんなでもない
boichiの描く男の方が色っぽい 女性の側が異性に対して性的消費する
男の側からすれば一見自明な事を肯定するだけで一定のシグネチャーを得られるんだから
如何にその世界が意味不明な抑圧を含んでいるのかと おーあんまり無かったなこの組み合わせ
美女の屏風絵なら長い歴史で死ぬほどあるけど いやマジで女ももっとこういうのやるべきだろ
男をもっと性的消費しろ
フェミももっと女のリビドーを解放しろと煽れ この人の絵面白かったなあ
正統派の日本美術の手法で現代イケメンの屏風絵なんだよな 女の目から見た男ってのは女の感性でしか表現できないアートだからな
世界でこれやってる国って個人的には知らないし
日本の女がこういうアート育てたら面白い文化になる この人の絵は湿度がないんだよな
裸体の男の絵もカラっとしてて湿ってない
そこが現代美術として優れてる 個人的にはつまらないと感じた
別の画家も含めジャンルとして豊かになるといいと思えるものも出てくるのかね 山本タカトの美少女(年)絵で何度も抜いたが異端か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています