http://www.y-history.net/appendix/wh1402-072.html

トリホス大統領

 「運河はパナマ人のもの」との声が高まるなか、1968年、パナマで軍事クーデターが発生、トリホス中佐が実権を握った。
トリホスは、民族主義に立脚した新政権を樹立、アメリカに対するパナマ運河地帯の全面返還要求を掲げ、積極的な活動を開始した。
トリホスはパナマ運河問題を国際問題とすることをねらい、国際連合の舞台で盛んに訴え、75年にはパナマで安保理を開催することに成功した。
アメリカでニクソン、フォードと続いた共和党政権から、77年に民主党のカーター政権に交替したことによって転機を迎え、
同年新パナマ運河条約(パナマ運河返還条約)が成立、1999年の返還を約束した。
こうしてトリホスはパナマの悲願を達成して時の人となり、人気も高まったが、軍内部に反対勢力が生まれ、
そのような中、1981年7月、飛行機事故で命を落とした。

ノリエガ大統領

 1981年、トリホス大統領の事故死にともない、軍を抑えていたノリエガ将軍が大統領となった。
ノリエガ将軍はアメリカのCIAとのつながりが強く、治安・諜報部門の出身であった。
トリホス大統領の事故死も、ノリエガがCIAと結託した暗殺であった可能性が大きい。

大統領となったノリエガは、レーガン政権のニカラグア革命への介入に協力し、アメリカとの関係は良好であったが、
一方で国内の根強い反米感情に呼応して、キューバのカストロ政権にも接近するなど、アメリカはその動向に神経をとがらせるようになった。


アメリカ軍のパナマ侵攻

 1989年12月、ブッシュ(父)大統領は、パナマ在住のアメリカ人の保護と麻薬撲滅を口実として、アメリカ軍のパナマ侵攻を決行した。
短時間にパナマ市を制圧し、ノリエガ大統領を逮捕、アメリカに連行して裁判にかけ、有罪とした。
ノリエガは現在もアメリカの刑務所に服役している。


パナマの「第三の独立」

 ノリエガ政権がアメリカの軍事介入によって排除された後、親米派のエンダラ大統領が就任、
アメリカ大使の言うことを聞く大統領として、アメリカ従属が続いたが、94年の大統領選挙では落選した。
結局アメリカは、冷戦の終結、ソ連の解体などの世界情勢の変化によって、パナマに対する軍事支配を維持することをあきらめ、
新パナマ運河条約の取り決め通り、1999年末までにパナマ運河地帯の主権を全面的にパナマに移譲することを認めた。
それによって、2000年1月1日、パナマはアメリカの実質支配から完全に自立し、「第三の独立」を達成した。
運河地帯からのアメリカ軍も撤退した。


参考
オバマ大統領「大国は小国いじめるな」
https://news.ntv.co.jp/category/international/331002