天皇は朝鮮系

歴代天皇の中で最も活躍したとされる天皇「天智天皇」「天武天皇」の母「斉明天皇」は、「朝鮮人豪族 吉備王朝」の出である。吉備王朝は、朝鮮式山城を根城に、大和王朝以前 倭国最大の勢力をもっていたという。吉備には、大和王朝以前としては、日本最大の古墳があるという。従って、「天智・天武は朝鮮系の天皇」であるということになる。

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日本の古星図と東アジアの天文学

キトラのばあい,外規の大きさには問題があるので内規によって推定すると,コンビュー
ター処理画像にも歪みが残っているので多少の誤差は伴うが, 38.4度程度となった。
コンパスで描くときの誤差も少しはあったであろうがそれほど大きくないと考えられる。
これは427年以降、高句麗の都となった平壌の緯度39.0度に近い。日本の飛鳥 (34.5度)や中国の長安
34.2度)・洛陽 (34.6度)などの緯度は該当しない
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48530/1/82_45.pdf

4~5世紀に韓(朝鮮)半島からやってきた渡来人は、須恵器という固くて美しい焼物や、馬に乗る技術や道具、最新式の鉄器を倭(日本)にもたらしました。特に韓鋤や韓鍛冶と呼ばれるU字型をした鉄の農機具は、開墾や農作業の能率をあげ、渡来人の秦氏や漢氏が広い地域を支配するのにも役立ちました。この頃から、倭では馬を飼うことがはじまり、鉄製の甲冑等の武器が使われ、巨大な古墳がつくられます。そして支配者の力が強くなっていきますが、その支配者のほとんどは新しくこの時代に韓(朝鮮)からやってきた渡来人だったと考えられています。
 5~6世紀にやってきた渡来人は、文字・暦学・医学・儒教・仏教・政治制度等の新しい文化や技術を伝え、倭を大きく変えていきました。
 660年に百済が滅ぶと、倭は全力をあげて救援の軍を送り、それが失敗すると百済から逃げてきた渡来人に対して、土地や貴族の位を与えて歓迎します。その中には、大臣や次官、そして軍隊の将軍にあたる倭国の中心となる役職につくものもあらわれました。

http://www.zengaikyo.org/rekisi/a-1-04.htm