【日本史】室町幕府6代将軍足利義教を殺害した赤松満祐とかいう人物、やったことに対して注目度が低すぎないか?重大事件だろ [308389511]
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何者だよこいつは
嘉吉の乱
嘉吉の乱(かきつのらん)、または嘉吉の変(かきつのへん)は、室町時代の嘉吉元年(1441年)、室町幕府6代将軍足利義教が播磨・備前・美作の守護赤松満祐の謀反によって殺害され、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。-wikipedia
https://news.yahoo.co.jp/articles/35bb2aa82e4b549016de24a237f0546558f261c5 そもそも、こんなレスするクソガキに絡んだのが間違いだったわw
76 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW be8f-fNge) 2022/05/13(金) 08:59:36.19 ID:2RpcC7ZS0
>>75
なんかデータあるんですか? >>108
ざまあみろ
組みしやすしとでも思ったんだろうなカスジジイ >>109
❌組みしやすい
⭕与しやすい
な
「与しやすい」が正しいという学説を出せ!
とでも喚いてみるか?
与しやすいも何も相手にすらなってねぇけどな >>110
☓デマ
○陰謀
これを正当化できる学説でも持ってくるか?
それはすでに相手になってないけどな 権威主義民族だから「上」に逆らった人間は完全無視か完全な悪としてしか教えない くじ引き候補者四人とも出家した状態だったのに出来レース扱いは笑うわ
陰謀論唱えるなら義教が選ばれたことで誰が得するのかもセットで主張してくれよ 親が神戸の某ホテルの催しに行ったら
すげえ気分が悪くなったんで
ネットで調べたら
この反乱の際に山城になったところで
親の先祖が赤松さんの家来だったな キリスト教の領主の話は原爆投下の世界大戦の戦後の混乱期の軍部の天皇に即位宣言した人物の中にキリスト教がいたということである。 戦乱の室町時代の逸話は原爆投下の世界大戦の戦後の混乱期の軍部の天皇に即位宣言した人物による争いを戦乱だからと戦乱の時代の歴史に書き加えたものである。 踏薄氷時節の万人恐怖は北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島の諸勢力の原爆投下の世界大戦の前後の政治体制である。 季瓊真蘂が看聞御記での等持院に関する反乱を実行したものであるが大河内顕雅と大河内顕雅の護衛に対する反乱である。 足利家が征夷大将軍になったのは北条家からの上奏文により北条家から征夷大将軍を譲られたからである。 実在しないという人物の方が実在しているし非実在説を主張している学者の学説により創作されたのは実在しない松浦武四郎であって松浦武四郎の話は元さえない福島第一原発が爆発した後の共同経済活動の報道の会見の後に制作された捏造の話である。 足利義教って無能じゃなかったっけ?
室町幕府は3代将軍義満の印象が強すぎて、他が薄くなる 聖告の降誕の伝説は多数の崇拝対象の人物の伝説である。 >>71
他の家からしたら、主君を殺した大罪人ということで、滅ぶし領土を奪う大義名分が立つじゃん
勢力をだんだんと大きくして、事実上の最高権力者になったところで玉座を奪うならわかるけど、
赤松程度じゃどうにもならん >>127
>無能じゃなかったっけ?
今川義元と同じで死に方の印象だけで無能と思われがちなんだが、生前の実績を見ると義満にひけを取らないくらい有能 義教とは当初良好な関係であり、宿老の1人として義教の諮問に応じたり、義教の邸宅訪問を受けたり、永享10年(1438年)11月に3度目の侍所頭人を任されるなど幕府内の長老格として権勢を振るうが、やがて義教は有力大名を誅殺しだすと、永享10年3月には家臣3名が義教によって殺害され(『看聞御記』3月15日条)[5]、永享12年(1440年)3月17日に弟の義雅の領土が没収されて一部が遠縁の赤松貞村(持貞の甥)に与えられた[注釈 3]。満祐も領地を没収されて貞村に与えられると言う風聞が起こるなど[注釈 4]、次第に対立の色を深めていった。 >>98
漫画日本史をなめちゃいかんぞ。主流歴史学者の権威が監修してるからそこらの糞歴史本よりよっぽど価値がアル >>130
ほぅほぅ。死に方だけで判断してはいかんね >>132
ああ、それは舐めてるわけじゃないよ
しかし子供向け故に少し踏み込んだ所の内容には触れられてないことも多いから
特に腐してるわけじゃない >>71
クーデターならいいけど、赤松のは単なる暗殺だからな
トップ殺しただけでなり代われるような単純な話じゃない 足利の基盤の弱さからすると、義満はよく頑張ったと思うわ
ほぼ権威と忖度だけで支配できるのはすごい
他の将軍は無理だったけど >>136
義満は将軍家と天皇家を一体化させようと努めたし
権威の重要性がよくわかってたな >>1
確かに世が世なら明智光秀並みになってた人物なんだが不思議と注目度が低い
579 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/06/27(火) 03:23:57
赤松左馬助則繁だな。
当主・赤松満祐の弟で25歳の時(1424年3月14日)に
前管領・細川満元の邸宅での酒宴で将軍の側近(安東某)を要撃して殺害して逃走(殺人事件)
嘉吉元年(1441年)6月には甥である赤松教康と共謀して将軍を殺害(殺人事件)
嘉吉の乱を起こして幕府軍と戦う(国内紛争を起こし、中央軍と戦う)
幕府軍に敗北後、菊池氏を頼って九州にまた逃走。
その後、対馬と朝鮮に拠点を持ち、高麗の官軍を相手に朝鮮半島を荒らしまわり(他国侵略)
嘉吉3年(1443年)6月に来日した高麗の使節団が赤松左馬助則繁を名指しで幕府に
討伐を求める(国際問題に発展)
文安5年(1448年)正月、対馬より九州肥前に上陸開始。
少弐教頼と連合して大内教弘と合戦(国内紛争・対地方軍戦)し
教頼・則繁連合軍は敗北し、三度逃走。
河内の当麻に潜伏中のところを細川持常の命を受けた甥の赤松則尚に討たれて(同族争い)
京都で晒し首。49年の生涯でまさにやりたい放題。 そもそも応仁の乱までの室町時代って教科書でも複雑なわりにページ数少ないよね
建武の新政から応仁の乱までのうまくまとまってる新書とか参考書ないのかな? 逆に言えば赤松円心から応仁の乱までうまく小説にまとめられる作家が出てきたら室町時代の評価も変わると言うことかw >>142
バンデットが続いていたらそこそこ名作になった希ガス 倒幕まで一致団結して戦い抜いた足利党が
九州落ち辺りから怪しくなって
観応の擾乱で完全に内ゲバ始めるのが諸行無常 >>141
南北朝とか戦局グッチャグチャになった割には足利家の優勢が覆らないまま終わってるし、深く触れないほうが理解しやすいんだろうな >>141
イマイチ印象が少ない理由ってそれだよねぇ室町時代 >>144
新田氏が足利一門という最近の研究に基づけば最初から内ゲバともいえる 室町は義満ほどの傑物が出てきても
どうしようもないくらい時代の転換期だった
家康がやったように太平を築くシステムを作るのは大事なんだな 尊氏って
家康が関ヶ原で負けて東北まで逃げ出してそこから捲土重来して三成倒した、みたいな
そう言う大ポカやってるからなあ
そこから復活できるのは凄いんだけど るろうに剣心で赤松ってキャラいたけどなんか関係あるのかな
無いか 義教の実績
・後醍醐の子孫が九州王気取りで好き放題していたが征伐軍を送って屈服させる
・鎌倉殿(関東公方)は関東支社長のはずが独立勢力となってしまった
これにも征伐軍を送って屈服させる
・比叡山延暦寺を軍事力を背景に屈服させる
・イエスマンを貫いた細川家以外の有力大名家の家督に介入して弱体化従属化させる
宴会に呼ばれてホイホイ行かなければ
強い将軍を貫徹できたろうに 分家の久留米藩の有馬伯爵家のほうがもっと有名なのよね
有馬記念ってのもそこからだし
◆御一家衆・・・本家に次ぐ地位で、足利将軍の直臣になっていたのもいる
七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、←←←
上野守家、在田家、本郷家、広岡家、永良家
◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
別所家は16世紀後半に台頭したことはご承知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、
佐用家、豊福家、得平家
◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、←←←
中村家、上原家、堀家、櫛橋家、
依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家 >>138
めちゃくちゃやってんな
狂犬すぎる
この辺大河でフォーカスしても面白いんじゃないか 兄は将軍殺し
弟は倭寇
確かにこれまで誰も小説や漫画にしなかったのが不思議である こことも関わる
「後南朝紀行」~井上あさひアナ
奈良県川上村。村民たちが金剛寺の朝拝式に臨みます。自天王の神具を捧げ持つのは
後南朝の功臣・楠木正理の子孫に当たる楠木さんです。
楠木さん「後南朝は終わったって、皆言いよりますよ。でも、自天王さんの御霊は
俺らの心の中に、ずっと生きていはるんですわ。これからもすっとね」
若い命を赤松残党の凶刃に散らした自天王。悠久の時を経て、後南朝は今も
川上村の郷士たちの心の中に生き続けています。
(NHK奈良支局) >>155
同じように次から次へ転戦して東海地方からから九州にまでたどり着いた
ヤンキーの水野勝成を先にやると思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています