もう一つの911 、1973年9月11日、チリの民主政権がアメリカの支援したクーデターによって倒され、軍事独裁国家になった日 [624898991]
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もう1つの9/11:1973年9月11日 米支援のピノチェトがチリの実権を握った日
https://democracynow.jp/video/20100915-3
チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。
米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。
それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、
その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。
このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、
大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。
今ではそれが全世界に拡大していますが、
今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、
チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。 http://ryofolklore.music.coocan.jp/historia/historia8.htm
シュナイダー暗殺とアジェンデの就任
チリの軍部には、この当時不穏な空気が漂っていました。
1930年代、空軍司令官のグロベが「社会主義共和国」を樹立したクーデター以来、チリではクーデターによって樹立された政権はありませんでした。
これは、クーデターが日常茶飯事のラテンアメリカにおいては、ほとんど奇跡的なことと言って良かったのです。
政権は民主的な選挙によって選ばれ、軍隊は政治に介入しない、という当たり前のことが、
チリでは当たり前に行われてきました。
このときまでは。
しかし、アジェンデの大統領当選の可能性がささやかれはじめた1969年頃から、
アジェンデ政権を阻止しようという意図に基づくクーデター未遂事件が頻発するようになりました。
もっとも、それらのクーデター未遂事件は、ことごとく失敗に終わりましたが。
陸軍総司令官レネ・シュナイダー将軍の威光が行き届いていたからです。
その当たり前の信念の持ち主が陸軍総司令官の地位にいることが、
いかなる非合法な手段を用いても左翼政権を阻止したい右派勢力と米国政府にとっては、邪魔だったのです。
10月22日、前年にクーデターに失敗して軍部から追放されていたビオー将軍の一派が、
CIAの支援を受けてレネ・シュナイダー司令官を襲撃します。
銃弾を浴びたシュナイダーは、4日後に死亡しました。
しかし、このあまりに露骨な反アジェンデ派のテロは、結果としてみれば逆効果となってしまいました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています