【歴史】欧州に「統一王朝」はなぜできなかったのか どうして中国と差がついたのか [426566211]
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欧州に「統一王朝」はどうしてできなかったのか
https://toyokeizai.net/articles/-/585822
地中海全域はもとより、現在でいう中東からイベリア半島、英国北部にまでその領土が広がる古代ローマ帝国が崩壊したのち、その西半分に当たる今日の西欧の全土を支配するような帝国は登場しなかった。唯一それに近い領域を掌握したのが、フランク王国のカール大帝(在位768~814年)であったが、彼の死後に王国は3つに分裂していく。
中世欧州社会は、精神的にはローマ教皇庁を頂点とするキリスト教で結ばれていたが、政治的には個々の領主が独立した権限を備えるさまざまな形態の「国家」へと分かれていった。
そのような中、16世紀前半に登場したのが、ハプスブルク家の当主で神聖ローマ皇帝に即位したカール5世(在位1519~56年)である。彼は両親双方からの相続の関係で、実に70もの領域を支配する西欧最大の領主となった。北方ルネサンスを築いたブルゴーニュ公国やラテンアメリカに領土を拡大していたスペイン、さらに南イタリアやボヘミアなど、まさに広大な帝国であった。
カールの側近は、皇帝は神から選ばれた君主であり、「普遍君主国(ユニバーサルモナーキー)」をこの世に築くべきであると進言した。すなわち、彼の支配下で欧州を1つにまとめてしまおうというわけである。
慢心、環境の違い インドもだな
何故マウリア朝以後まともに統一できなかったのか
中国は秦滅んでも何度も何度も統一されたのに 逆だよ
なぜあれほど広くて多様な中国が統一されたのか 主食が小麦だからだな
米みたいに労働集約型じゃないから権力も強大にならなかった よー考えたら欧州にローマ帝国が残ってるようなもんだよな中国って
そりゃエンジンかかれば最強になるん 中国は民主化失敗したが
EUは各国で革命が起きて絶対君主制から立憲君主制に変わった 集中的に狙われていたのは
肥沃とされるアルザスくらいしかないよな
価値のある土地や生産地がなかったのではないか 中世ジャップも頼朝が卑怯なことを考えなければ
蝦夷の地たる北日本どうなってたよ 手を変え品を変え地域統合の試みって今でも続いてるんだよね
それを合理的なことだといつの時代も信じて 春秋戦国時代の中国大陸は中央集権官僚制を持つ諸国が並立し外交関係を構築していた点で近代ヨーロッパ大陸に類似していると指摘する論文があった気がするが
そうなると中国大陸に統一政権が存在し続けてきたことがどれだけ不思議かという ヘレニズムの頃から
世界がごちゃごちゃなモザイクなことを知ってたから 中国は東西にながれる大河がいい感じに南北にあるからそこをむすべば移動しやすい
あと漢字は方言の差を覆い隠しやすい
文法語彙レベルじゃない多少のなまりなら文字づら上あらわれない 理由は簡単。
中国は象形文字の漢字を使うから、方言の発音が違っても漢字で意思疎通、思想統一ができる。
欧州の表音文字は各地の発言に合わせてどんどん変化し、最終的に言葉はもちろん、文字での意思疎通もできなくなった。 ラディカル無宗教のわたしにしたらキリちゃん大帝国が生まれてるように見えなくもないです 中国大陸の場合皇帝に全権威全権力が集中していたのに対して
欧州の場合聖界権力が教皇、世俗権力が皇帝とある種の二重権力状態だったのは一因としてありそう 逆に中国が統一出来たのは軍隊の移動のしやすさでしょ
グーグルマップで見てみろ真っ平らだから >>25
むしろ半島どん詰まりで消え去ってない方が脅威だと思う >>2
多様性を維持して切磋琢磨できたから一時的にも世界を制することができたのでは
慢心したのは中国のほうだろう 中国って統制システムが優秀だから謎の異民族に侵略されても
異民族側がシステムに取り込まれるよね >>27
ローマ帝国は統一ヨーロッパ国家というより統一地中海国家 >>27
ローマ帝国はヨーロッパの帝国じゃなくて地中海周りの帝国やぞ
地中海帝国ならオスマン帝国もその一種 価値観の違いだろ
あっちは細かく分かれて独立するのが良いって風潮じゃん >>37
大中華思想みたいなのは地中海(ってかローマ)にもあるけど
同じくキリスト教も幅効かせてるせいでぐちゃぐちゃになったのかもね 欧州は地中海側と北海側で全く別のルーツ・文明だからだけど
中国はなんでそうならなかったんかな
呉越人とか明らかに別民族って感じだけど
漢人が強いローマ帝国たりえたからか? 都市国家の外側は単に生産地としての価値しか見出してなかったかもしれない ど真ん中に山があるからな
アルプスが平地だったら中原みたいになって統一できたと思う ユダヤが遊牧民じゃなかったらもっと違っていたかもな 官僚育成のシステムがあるかないかの違いだろ
欧州なんて民族どころかお家騒動すらごたついている期間が長かったし >>39
五胡十六国時代に漢民族が大量に南方に移住したからじゃね? 空気読むアジア人気質、東洋思想
自己主張の強いヨーロッパ人気質、西洋思想 神聖でもローマでも帝国でもないやつはおしいとこまでいった? 中国はきっちり統一されてるようで内情結構バラバラじゃね?
古代中国好きだけど基本荘園主だ豪族だ貴族だ諸侯王だ節度使だって感じで好き勝手やって帝国の顔立ててるだけって時期多いよ
荒れる要因の筆頭に異民族が挙げられるけど内憂外患なら内憂のが多いよ
外戚よりも多い 支那って漢と明以外
他民族によって統治されてたじゃんw >>4
始皇帝のおかげだと何度言われたら理解するんだ? >>49
結局漢民族化するけどな
それだけ漢族のシステムや文化が優秀なんだろう >>46
全然
神聖ローマ帝国よりもハプスブルク家家領の方がずっと大きかったくらいだし だいたいインドも完全に統一されてない
統一したのはイギリス フランスのノルマンディー公もそうだが
国より貴族の領地のほうが大きいってのも理由になるのかもしれないな 別に統一された王国こそが価値があるみたいな思想がないからでは 突厥とかテュルク系の動き見ると分かるけど当時の中華には魅力が無かった
だから鉄のシルクロードに乗って荒らすことはあったけど進駐はせず黒海らへんの肥沃な黒土地域を駆けまわっていた >>44
ゲルマン大移動をローマ人自身がやったみたいな感じか
たしかにフランスはロマンス語だもんな 欧州はあれだけの国がありながら多くの国が黄金時代を経験してるのが凄いな
アジアなんて中国・モンゴル・日本くらいなもんじゃないか >>46
ハプスブルク帝国なら惜しいとこまで行った
https://i.imgur.com/5iVypKS.png
まあここからイタリアもドイツも取り切れないどころかフランスに逆転されるわけだが >>59
フランスは文化的にローマに影響されたけど
フランス人ってドイツ人の方が遺伝子が近い
欧米のDNAテストだとドイツとフランスはセット やっぱナポレオンは凄いよな
自由主義を欧州に広めて度量衡の統一にも成功した >>11
シレジア
ボヘミア
ロンバルディア
シシリー
下オーストリア
低地諸国
中世以来諸勢力の係争地となった生産性の高い土地なんていくらでもある 欧州と中国の差は中華は内陸部でも土地と水が肥沃な地域が多かったことだろうな
数千万の人口支えられる物資があるから数十万動員するような統一戦争もできたんだろう ヨーロッパはローマ帝国ホテルどころかイタリア統一すらできなかったがすごい 砂漠、ツンドラ、熱帯雨林まで南北で話し言葉まで違うのに
全部中国ってなかなかすごいよな >>62
統一しなかったからずっと戦乱で荒れていた >>66
フランスの大陸軍による自由主義の伝播を防ぐためには
自由主義を採用し国民国家を作り国民軍を編成する必要がある
というパラドクス >>69
欧州も11世紀以降だと北の開発も進んで
インド、中国に並ぶ人口が多い地域だよ
土地は肥沃じゃないけど平地が多くて農耕可能地はでかいからね アルザスが脅威を発揮するのは工業化以降だからな
低地ランドの奪い合い期間の方が長い >>4
中華思想のすごいところ
中華こそが世界の中心で世界一の国
だから国が滅んでも異民族に統治されても >>4
言うて定期的に分裂したり独立したりしまくりだけどな >>84
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html
アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
大和民族の先祖は朝鮮人だろ カエサルがあと20年くらい生きてたらできてたかもねー 漢字のおかげじゃねぇの。
口語の方言はひどいけど中央集権で必要な筆記体は統一されていて漢字で辺境も整備できたから。
要は言語が統一されていた。 元から長江黄河などで水運による物資輸送が可能だったうえに、歴代王朝が大運河の建設を続け南北を接続したからな ナポレオンが惜しいところまでいったよ
統一は出来なかったけど欧州各地にいろいろ影響残した >>48
中国では古代の段階で貴族制度が解体されて皇帝による直接専制となった訳だが… ウォーラーステイン「近代世界システム」論の基本。
政治的統一が無かったから西欧が世界制覇できた。
大国は役人が増えて内輪揉めして崩壊する 中国が本気になるのは清から
それまでは(管理出来てる)人口が全然少ない、あんなけ広くて5千万くらい
一方フランスだけで2000万人 >>24
話し言葉は違うけど官僚文書はカトリックが牛耳って長らくラテン語で統一されてた
それに反発したのがイギリス 征服されても最終的には征服側を中華に取り込んでしまう中華思想の強さよ、日本もあのまま中国を支配してたら今頃中国の一部だったぞ モンゴル草原、ペルシャ・イスラム圏、中華は簡単に統一王朝が出来るな ローマ帝国がゲルマン人をジェノサイドしなかったせい 後漢末期からそっくり騎馬民族に入れ替わってしまった。
孔子、老子など偉大な思想を生み出した中国文化も消滅してしまった。
日本人が多大な影響を受けた漢民族が騎馬民族に入れ替わってしまった >>95
その辺はヨーロッパも変わらん
ローマも辺境民族の支配を受けるようになっても制度はローマを踏襲していた
結局広大な領土を支配するにはすでにある優れた制度を取り込むしかなかった >>80
だな
で、王朝衰退・崩壊にたびたび関与してるのが側近の太監
宦官制度ってなんで中国でずっと廃れず続いたんだろうか >>100
中国とちがうのはローマを踏襲したとしても言語がラテン語ロマンス語になるわけじゃないってとこだな
中国は征服者が母語をどんどん捨てて漢民族になっていく 民族移動の頻度と規模の差と
漢字とアルファベットの違いじゃねーの
儒教思想もか >>61
カール5世はベルギーのフランス語地区に生まれたパリ好きの「フランス人」なのにフランスは手に入らなかったんだな >>59
北から南へ
五胡→漢民族→江南
で漢民族はうまく移動できたけど、
ゲルマン民族→ローマ人→地中海
だから、ローマ人は地中海に住み着くわけにはいかんかったんやな >>100
いやゲルマン民族の支配下でローマの制度は崩壊してたぞ
五胡が漢化できたのは儒教的な礼儀作法を身につけとけば漢民族の仲間入りできたからで、ゲルマン民族がローマ化できなかったのはローマ帝国そのものが滅びてローマ市民権という概念も消えローマ人になる方法も無くなったからや 異教の徒に農耕暦と全く関係のない聖人とやらの祭りを押し付けては現地習俗を崩壊させたのがローマ文化 >>96
ローマ帝国→ユダヤ人←神聖ローマ帝国→ドイツ 日本は建前上成功したけど
始皇帝の秦王朝万世一系ルートは
実現不可能だったの? >>93
1600年で中国1億6000万人、フランス1850万人。ついでに日本も1850万人 ナポレオンがやったけど死んだあとに解体したんだろ? ゲルマンの土地はプロイセン期ですら統一してないから制度の一括りに考えることは出来ない
フランスはレグザゴンと言えるようになったのは聖女ジャンヌダルクの出現まで待つ必要がある >>110
それより漢王朝万世一系ルートの可能性のほうが
劉邦→劉秀と来て三度目劉備が更に漢王朝復興成功したら
王莽、曹ヒと二度連続で失敗した「禅譲」なんて手段
縁起悪すぎて誰もやらなくなったのではなかろうか >>112
なんかナポレオンが統一したとか変なレスがちらほらあるけど大丈夫か?
ナポレオンはヨーロッパ統一どころかフランスによるヨーロッパ支配を目指してた奴だぞ
だから既存の国をフランスと統合するんじゃなくそのまま独立国として服従的な同盟を結ばせた
イギリスを除いて リーダー的存在に憧れてなりたがるか
そんな存在は責任が重くて嫌がるか 欧州の中世は典型的中世だから、内輪の潰しあいでスケールがない イギリスだって七王国とかいう
中華戦国七雄のような時代が もっと言えば血縁による支配を目指してたからなぁナポレオン >>110
秦なんていろんな人に恨まれてて一瞬でほろんだんだから不可能やろ 漢民族であって秦民族にはならなかったあたり始皇帝って統一はしたけどシンボルにはなれなかったんだな よくまあポーランドとバルト三国なんて残したもんだw ヨーロッパだとキリスト教とか宗教が果たした役割大きいけど中国ってそういうものもあんまりないよな ドイツ周辺なら分かるけど唐突にスペインとか、そりゃ戦争起こるわ >>4
大多数の中国人は支配者ガダレデあろうとぶっちゃけ興味ないから
英国の植民地になったときも日本に占領されたときも一夜で共産主義化したときも民主はただながめていたから >>106
ナチスは欧州統一する気なんて無かったけどな
あくまでゲルマン人の国だから 中国は中原の大平原中心にその他周辺は山地みたいな構図がある
日韓の島、半島以外では入り乱れておらず単調で平野が少ない
中央平原の王朝が生産力的に必然的に強くなり、山地の弱いところは飲み込んでしまい、統治の難しい遠隔地は中央に頭下げて文明の享受や交易を行うスタイルになった
ヨーロッパは島や半島、高い山脈がが入り乱れてそれぞれの阻まれたエリアが個別に国家を持ち、互いに交易をし合って勢力が均衡している
強い勢力が現れても隣のエリアを飲み込むのは難しい、同盟や敵対関係がヨーロッパ内で複雑に入り乱れてるから
だから海外の植民地に国家の拡張への活路を見出す 真面目に予想すると遊牧民の脅威っていう圧力が常にあったかどうかじゃね?
ヨーロッパだと襲撃受けたのフン族とモンゴルくらいだし
それでもヨーロッパにとっては十分脅威だったけど中華の場合は本拠地がすぐ北方にあって四六時中遊牧民の圧力感じてるからこそ統一して立ち向かわないといけないって意識は結構関係したんじゃないか >>127
儒教とかの高度な思想が先にきて後は反乱おこす宗教団体が駆逐されるだけだね 宗教と海賊の横行が原因とされてる
大西洋側はヴァイキング、地中海は十字軍とイスラム海賊が海岸都市を荒し海洋覇権が取れない
海賊と言っても国の守護の元で行われる行為でなかなか取り締まりもできない あと中華思想って四方を異民族に囲まれてるからこそ中原の自分たちを中華として定義する必要性もあったんだと思うけどヨーロッパの場合地政学的には三方が海に面した巨大な半島だからそういう意識は育たなかったんじゃないか
一応ローマ帝国の時代には中華思想に似たエスノセントリズム的意識はあったらしいが でもギリシアもバルカン半島の先っぽだけど
周りの異民族はバルバロイなんだよな >>127
そもそも「中国」って概念どうなのになるけどな
それを生み出したのは孫文でその前は単に地方王朝政権どうしの主導権争いだろ
孫文の汎中華主義をベースに共産主義世界革命思想が乗っかったのが中国共産党政権なわけで
清までの王朝時代と孫文以降の「中国」を同じに考えるのは問題だと思うわ
要するにヨーロッパのキリスト教に相当するのが孫文の汎中華主義 ヨーロッパは狭い範囲で戦争ばっかりやってたから強国になった イタリアなんて1000年ぐらいハプスブルク家の物だったろ 中国だってまだ統一してないじゃん
朝鮮半島と日本列島が残ってるよ >>140
産業革命による軍事革命だろ
その前は馬が機動兵器として世界で無双してたわけだし >>141
それは地域概念じゃないの?
国民国家概念とセットじゃなきゃここでは意味がない
そして王朝時代にそんな概念はなかった >>139
本来の中国はわが国、祖国みたいな意味じゃなかったかな >>147
そういう意味での「中国」概念を生み出したのが孫文だろって話なんだが 日本も同じような概念なんだよな
その「中国」を輸入して「豊葦原中国」
で、その中で奈良県域の「大和」が列島統一したから
国名も「大和」、みたいな ヨーロッパは国同士が本気で相手を潰す気までなかったようにしか見えない
半分プロレスみたいな
中国がガチで敵を絶滅させる勢いの殺し合いしてきたのはもしかしたらヨーロッパと違って北方異民族の残虐性が影響しているのかも知れん
全部妄想やけど 簡単な話だぞ
日本の十六国三百藩を徳川政権が主導してたわけだが
明治政権は国民国家政権を作るために「日本」概念を唱導した
その「中国」版が孫文の「中国」概念だってだけ まあ「日本」と言う国号は
江戸時代の儒学者が「国辱だから改名しろ」と言ったぐらい
大陸視点の国号なんだよな
日本列島から見たら「日の本」は犬吠崎の向こうなんだから >>152
平原では馬の機動力が絶大だから征服力も支配力も大きいわな
逆に言うと山で遮られるヨーロッパでは限界がある 一人が全てを継がないとな
ゲルマン人の分割相続はクソ >>155
そうなら孫文は「五族共和」なんて掲げる必要なかったろう ローマの頃のアルプス山脈以北は中華でいうところの匈奴みたいなものだろ >>154
現代の中国人にとっちゃ日本って国号自体がコンプの象徴でしょう?
古代中華王朝が断絶せず現代社会に軟着陸した場合のifが日本ルートであると中国の若い世代は察している
日本は唐や北宋の喪われた時代の面影を慣習や文化として一部分を留めているよ >>143
ウイグルも台湾もあるしなんなら香港だって統一したと言っていいか怪しい >>117
中華で万世一系が成功していたら
日本やタイ辺りとヨーロッパの様に近代辺りで姻戚関係になってそう
中原は緩やかに纏まり今より平和だろうな >>161
まあヨーロッパ人におけるオリエント
インドネシアにおけるイリアンジャヤみたいに
「日の昇る方角」という名称って自称じゃなくだいたい他称なのに
日本は自らその名前を名乗ったというだけで >>154
世界での認知度に合わせたんだろうな
中国経由で「日本(ジューベン、ジップン)」と知られちゃってたし
その中国も未だに「秦」と甘んじて呼ばせてるわけだしな >>165
日本の国号は中華圏とは距離を置きます宣言でもあるよ
実際、日本は華外として括られている いくら光の始皇帝だからって韓非子を信奉したら警察力が整った法治国家が出来上がるわけでもなし、まぁ多少はね
統治力は広義の徴税で考えるしかないかなと >>167
日本の国号の成立って天武朝、そこから遣唐使の時代に入るんだけどな >>168
俺のイメージの始皇帝は本宮ひろ志の「煮殺せィ」なんだけどなあ >>169
武則天時代唐の最盛期な
明と朝鮮の様な関係に陥らない様にするために
遣唐使しつつ外交の場で日本と名乗ることに意味があるんだ 殆どが知ってる元の対馬侵攻から始まった元の襲来
逆に殆ど知られてない、元の襲来より10年前のモンゴルの樺太侵攻もあった
2つの関連性は薄いが元の支配圏の広さからくる襲来は危険だった 中国の場合は中原という言葉があるように、肥沃な大地があり、そこから国が生まれ
合従連衡を繰り返し、さらに国同士の争いや統合に繋がっていった
欧州の場合は、地中海沿岸はそれなりに豊かな土地であったので、中国と同様に早期から国が生まれたが
アルプス以北は誰も欲しがらない貧しく厳しい土地しかなかった 歴史から言って生活レベルがローマ帝国から違うのに
中国が発展なんてするわけもないだろ
何週遅れで水路ができたと思ってんだ >>61
カール5世の息子の書類王フェリペ2世も実務一筋で統治に腐心したんだけどな その頃に中国で
水道橋なんてできたかよ
イスラム建築で山の高台に水を運ぶシステムなんて
中国じゃ無理な話だろ >>153
大宝律令をガン無視で草
701年から公文書で日本国と名乗ってますよ
唐国越州府が発行した円珍の五台山行の過所に「日本國」と記されてます
唯一現存しているからユネスコ遺産に認定されてたね 宗教が分裂した時点で無理
神聖ローマみたいに思想近いのは纏まる努力はしてたやろ >>179
それは政府だよな
民草が「日本人」というアイデンティティを得たのは明治以後だろ >>154
>日本列島から見たら「日の本」は犬吠崎の向こうなんだか
いや、当時の日本「大和」(奈良)から見た「日の本」は伊勢湾
太陽信仰の源、毎日新しくお日様=太陽が生まれてくる場所、だから伊勢神宮はあそこにある
別に、大陸から見て東だから「日本」ってわけじゃない、もちろんそういう意図もあったかもしれないけど
あまり卑屈になる必要はない
大昔は世界各地で太陽信仰があった
大和から見た太陽が生まれるところが伊勢(伊勢湾)
太陽信仰の国だから「日本」
なにもおかしなところはない
中国から見て日が上るところだから日本っていうのは、スーパーサイヤ人が金色に光ってるのが日本人が欧州人を崇拝してるってくらい斜め上の意見
あれは鳥山明が色塗るのが面倒臭かっただけ ヨーロッパは狭い地域の中よく言語がバラバラのままを維持できたな >>181
そもそも国民国家なんて概念が19世紀になるまで世界のどこにもなかっただろ 中国も話し言葉だと各地は方言だらけで通じない
しかし『表意文字』である漢字の発明が大きい 生活レベルが低い国順に文化ってのは進まねぇんだよ
ローマ帝国は最初は共和制で王が誕生して君主制になったんだ
>>183
王がいるから >>182
聖徳太子の「日の出ずる」云々がまず
仏教経典の「東」「西」の概念なんで・・・
その意味で「日本」は「あなたの国から東にある国です」という意味にしかならないというか >>183
統一しようっていう旨味がない貧しい土地だったんだろ
統一しようって気運が出てこないから、統一するような英雄を生み出す社会的な要請がない
英雄が出てこないから、みんなバラバラ
始皇帝はいろいろ言われてるけど、結局は剛腕で中国にその後のフォーマットを残したという意味でやっぱり英雄なんだろうな
英雄の周りには思想家が集い、さまざまな社会制度を生み出すきっかけになった
欧州はその後国が乱立して、大陸の狭いところでここからボクの国〜といがみ合うことになる
そうなると、為政者は国民をまとめるために、如何に自国民が優秀で他国民が愚かしいかと吹聴するようになる
それが極大化したのがナチズムであり、未だに欧州人民の本質はナチズムにあると俺は見てる 地理的問題
アルプス・ピレネーの自然国境のせいで統合が難しかった
文字言語問題
ラテン語が表意文字の漢字ほど広い汎用性を持たなかった
遊牧民問題
中央アジアステップからの距離が遠く統合して防衛を図る必要がなかった 白人と黄色人の思考の仕方の違いかもしれん。
人種によって割と考え方とか世界との捉え方って違ってくるよな。 >>189
中華圏にこそ万世一系システムが必要だったな
北宋の太祖は王朝の継承を意識していたようだけど
崖山の戦いで白紙に戻ってしまった >>132
土地が人を作り、ひいては国を作ると思うね >>184
そだね
スレタイの元で「中国の統一王朝」と言ってて
国民国家概念が古代からあったように勘違いしてんじゃないかと違和感あったんだわ
歴代各王朝で支配エリアが違うのになに言ってんだと >>183
まあ人類の言語がバラバラなのは人間の驕り昂りに下された神罰だって旧約聖書に書いてあったし統一しようと思わなかったんだろw >>135
黄巾の乱(道教)
方臘の乱(マニ教)
白蓮教徒の乱(仏教)
回民蜂起(イスラム教)
太平天国の乱(キリスト教)
大体の宗教の反乱を鎮圧してるのがすごいな
宗教系の反乱軍は一度たりとも天下を取れなかった
朱元璋は白蓮教徒だったけど天下をとったら棄教したし
儒教がどれだけ体制にとって都合がいいか分かる 痩せた土地ばっかの欧州で侵略戦争は経済的に割に合わなかったってだけでしょ 易姓革命こそ大陸政治の醍醐味だろ。
天地ひっくり返る大騒ぎをして新皇帝が生まれて組織が一新されるんだ。
優れたシステムじゃないか。欧州ではそういう風にはならないのな。 >>196
だけど
彼奴らは中国五千年の歴史とプロパガンダを打出しているんだよ
糸井重里の罪だね 欧州は誰も欲しがらなかった アジアは中国を中心にそれなりに自給自足できたし
イスラムは科学の最先端を行ってた アジアやイスラム圏を必要としてたのは欧州の方 「統合」はあくまでローマとかキリスト教の理念の問題で、
現実には地域権力とか都市国家の世界だからな、ヨーロッパ 隋や唐も北方民族系だよな
北京以北を漢民族が支配できたのは漢と明だけ? >>200
歴史遺産文化遺産の継承が断絶している
本来なら正倉院の様な蔵が西安や洛陽に一軒位保持されて然るべき
肝心な大雁塔が空っぽ ていうか寒すぎるのに人口支え切れる燃料資源がない
統一政府化すると絶対にうまく回らなくなる >>192
いや、欧州って先進っぽく見せてるけど、中国が2千年前にやったようなことを今頃後追いでやってんだぜ?
通貨統合も自分たちでは上手く出来ずに、結局10年で崩壊しそうになって日本が助け舟だしてやってなんとかなってる
大陸欧州は4億5千万人、英国は5千万人
だけど、大陸側は悉く英国の掌の上で踊らされてる
それは言語にも表れている
英語は簡易な言語である、とはよく聞くが、これは大陸欧州の原始的な言語に対してはまったくその通りなのな
大陸は狭いところで争い続けてたもんだから、江戸時代の鹿児島弁よろしく、やたらと複雑=原始的な言語構造を残し、そこから抜け出すことが出来なかった
英語は島国イギリスで自由に進化した結果、大陸の言語に対して大幅な言語的アドバンテージを持つことになり、EUの共通言語は英語(英国は離脱したのに)となっている
この言語的アドバンテージは大きく、人口が5千万人程度のイギリスにコロコロと好きなように転がされてるのが大陸欧州、という構図が延々と続いてる
面白いよね >>186
共和制→君主制は退化じゃなくて進化やぞ
領域国家として成熟するにつれて有力者の話し合いじゃなくて世襲君主と官僚による統治が必須になる
オリエントと中国は上手く君主制に移行できたけどローマ帝国は王朝作りに失敗した
まあそのローマの共和制が後に復活して近代国家の中に取り入れられたんだが >>210
そんなのレスを追っていけば書いてあるだろ >>207
なるほど
日本と日本語に左右される
近代中国の状況と似ているな >>190
バルセロナ伯領は元はフランスだったのにピレネーの向こう側だからって
いつの間にかスペインになっちゃったんだよな >>188
支配者の意識のが俺はどうでもいいなあ
統一したらなんか偉いんかと
中華大陸諸王朝の支配を可能たらしめたのは紫禁城の文物と官僚だった
たったこれだけの話に興味も湧かんわ
俺が問題だと思うのはそれと連続性のない孫文以降の「中国」を
それ以前の同一視しかねない風潮なんでね >>196
統一王朝というフォーマットを、その地域の連中が共通のコンセンサスとして持ちえたかどうか、だろうね
中国は始皇帝が、王を束ねる帝というものを創り出し、その後中国大陸は幾度のバラバラになってもまた元の統一王朝に収束する
そういう歴史を繰り返してきた
欧州は地中海沿岸でローマ帝国というものが出来はしたが、アルプス以北は貧しい蛮族の土地のままであり
地中海沿岸諸国でさえ再び統一しようということにならなかった
つまりローマ帝国は、その後のヨーロッパに、所謂「フォーマット」を残せなかった
帝国といっても、その程度のものでしかなかったのだろう >>214
孫文や蔣介石、毛沢東が
近代以前の諸王朝と近代中国を同一視する様に仕向けているし
キャンペーンしていたんだよ
敗戦した時に日本に中国と統一して言わせるようにしている 欧州は統一しようとしても分裂する、表音文字で違う言語とする
中華は分裂してても統一しようとする、表意文字で同一言語扱いにする
この違いは面白い
これが宮廷庭園だと欧州は徹底的整備、中華は自然性重視になったりするし >>214
じゃあ日本も明治以前と以降は連続性のないまったくの別物だね >>201
糸井重里が作ったキャッチコピーは「中国四千年の味」だが >>215
今スレを検索してみてぶったまげたんだが
俺以外誰も「紫禁城」と書いてない
あれこそが言うところの「フォーマット」だろうにな >>219
日本は易姓革命と王朝交代が起きていない
中国とは違う 日本なんて江戸時代でも水路なんて無いのに
城なんてよく建てたな 多くの人が中国の歴史的範囲としてイメージするのは科挙で説明がつく
紫禁城だと思ってる人は特に >>217
ん?
蒋介石の意向で「中国」と呼ぶようにしたのは支那事変より前じゃないか?
民族自決概念をアジアに押し広げる意味でそれが日本の利益でもあったろう >>207
アングロサクソンかぶれの世界観って気持ち悪いな >>207
単純化された言語という意味では日本語凄い有利なんだけどな
漢字、かな、カタカナと書くのは不利だが ブルボン朝からオルレアン朝へレベルの交代はいくらでもあるけど王朝交代扱いしないだけ
それも歴史文化の違い >>223
王朝交代が起きたら国家の連続性が無くなるというのならイギリスのウィンザー朝とハノーヴァー朝は全くの別物なの?
ブルボン朝フランスと共和制フランスは連続性のない別の国? >>218
俺の勝手な個人的な思い込みかもしれんけど、
>欧州は統一しようとしても分裂する
>中華は分裂してても統一しようとする
これってさ、大陸欧州に対する英国の地理的近さと、中国大陸に対する日本の地理的な遠さ(=隔たり)もどこか関係してるんじゃないかと思うんだよね
大陸に面した難しい舵取りが要求される英国と日本が、かつて同盟国として繋がっていたのは割と自然なことかもしれない 江戸時代で水道橋と水車は発想はあったけど
水道という発想がなくて井戸で終わったからな >>222
始皇帝が残したフォーマットというのは、統一される中国大陸や皇帝、そして言語や貨幣
じゃないのかな >>222
紫禁城は明以降の500年の歴史しかない
紫禁城イコール中国とするのは違う
天命を受けた有徳の者が天子として天下に君臨し民を統治する
儒教の徳と礼を身につけた者が官僚として天子に仕える
これが中華帝国のフォーマットや >>219
そうとも言えるし違うとも言える
明治憲法に「万世一系の天皇が統治する」と書かれたのは連続性の主張だからな
中国とくに共産党はそういう歴史物語を背負わなかった
なのに勝手に連続性を妄想する連中がいる
文化の連続性はもちろんいいが政治の連続性は妄想でしかないよなあ 徳川だと紀州吉宗、一橋家斉
皇室だと後花園天皇、光格天皇
このあたりの継承は西欧だと別王朝扱いされる例も多い >>231
英国やフランスは国号も変わらず法律宗教的儀式典礼を引き継いでいる
現代中国には古代からの典礼は継承されていますか?
何故国号が変わる?
伊勢神宮の様な装置も断絶している >>235
紫禁城という建物じゃなくてそこに納められた文物とそれを使う官僚の話だよ
つまり同じ事を「紫禁城」に象徴させて言ってるのさ >>233
木造建築の宮大工
>>235
木と石造り
中国の建築は石なのにもちが悪い >>236
中華には原則国家も天子も一つだけだから国号という概念は必要ない
天下をどの王朝が治めているか?
だから何とか朝中国なんて呼び方はしない
わざわざ中国を名乗ることもなかった
近代になって欧米をはじめ他の国家というのを認識して初めて「中国」という国号を持ったんよ >>229
あなたが感じてる通りだよ
言語の進化度合いというものは、言語の柔軟性、そして経済性によって測られる
言語の柔軟性とは、まさに文法なんてテキトーでも通じる柔軟さ
経済性とは、漢字とひらがな交じりでの表記のし易さ、分かり易さ、etcだろう
一般的に言語の習得において、
進化した言語帯に属する言語を母語とする人が、遅れた言語帯に属する言語を習得するのは非常に時間がかかる
なぜなら、進化の過程でそぎ落とされ、最早存在しないような言語構造を目の当たりにするからだ
反対に、遅れた言語帯に属する言語を母語とする人は、進んだ言語帯の言語を習得するのは比較的楽になる
なぜなら進化した言語は、言語の柔軟性や言語の経済性に圧倒的に勝っているから
例えば日本人は英語の習得に時間がかかる、というが当たり前
日本人からすれば、なんでこんな原始的な構造(複数形だの語尾変化だの、定冠詞不定冠詞だの)を残してるんだ???となる
ドイツ語と英語でも同じで、ドイツ語話者は英語の習得は非常に容易だが(英語はドイツ語よりも数段進化した形態をしてるから)、
逆に英語話者がドイツ語を習得しようとすると、なんでこんな原始的な構造(男性名詞女性名詞、分離動詞や何種類もの語尾変化、そして極めて原始的な数の数え方etc)を残しているんだ、となる
漫画という文化が日本で最も花開いてるのも、こうした言語の進化度合いによるところが大きい
つまり漫画という文化の隆盛そのものが、日本語が世界で最も進化した言語形態であることの証明になってしまっている、といっても大袈裟な話じゃあない >>233
江戸の街の井戸は水道の汲み場じゃなかったっけ? アレクサンドロス大王が西に向かわなかったのは、100%勝てただろ当時弱小国しかないし >>230
カペー朝最後の王→ヴァロワ朝最初の王なんて男系の従兄弟だからな
日本(アジア)の感覚だとそれで別王朝にカウントするの?って困惑する >>244
ならば
>238の言うように
あなたは
古代から王朝が代わる毎に
中華圏では政治的な継承はされ無いと認めていることになる >>233
江戸の市中には木の水道管が張り巡らされてて各井戸に水引いてたんだが
いつの江戸時代だよ >>249
中国を連続たらしめるものは歴史書の編纂かな
人民共和国も清史の編纂をやってる
民国もだけど >>244
たとえばクビライが蒙古國牒状で使った大蒙古國ってのは国号に他ならないだろ >>251
秀吉の江戸移封を命じられた家康は、江戸に入って即江戸の街の雛型を構想して大規模な土木事業に着手してる
江戸初期にはもうかなり進んでるんじゃないか 統一されてないからこそ契約やら会計やらが発達して組織力が鍛えられて
近代以降、圧倒的に強くなったんだろ >>255
ヨーロッパは知れば知るほど、登場人物のショボさに幻滅するよねw
中国の歴史に登場してくる英雄や思想家のダイナミズムと比べると、もうねw
つまらん、つまらん >>257
欧州全体が強くなっていったのは北米、南米と日本の金と銀を吸収集積していったのが大きいでしょう >>221
陸海軍以外の官僚がまる残りだからねえ
おまけに現在まで主に政権担当してる政党を作ったのが
統帥権問題の仕掛人とA級戦犯容疑者だぜ?
天皇が変わらなかった以上に実態を示してると思うぞこれ >>4
異民族が権力握っても漢化していって漢人の官僚徴用するのなんでなんだろうな >>251
お前にレスしといてやるよ
江戸時から昭和初期に至るまで
東京は地下水の汲上が盛んだったから
今になって地盤が年に30cmづつぐらい下がってんだよ 祖父がもってた地図には台湾側が中国( 台湾)で大陸が中共だった
いまの中国は正統政府という意味合いになってるんだろう。だから支那いうと怒る >>259
強い、ってのが幻想ではないかね?
まぁ一時的に強くなったことはあったかもしれないがね
日米にキャッチアップ出来ずに、制裁金ビジネスや環境詐欺(クリーンディーゼル詐欺)、ウイルスとワクチンのマッチポンプビジネス(2009新型インフル、2019新型コロナ)
ユーロを作るもモノの十年で崩壊寸前、日本に泣きつき支援を乞い、
日本が担当してる東南アジアASEANの勃興とは裏腹に、欧州の担当地域であるアフリカは未だに暗黒大陸
欧州周辺は、日本周辺諸国の発展とは似ても似つかず、武器輸出大国が並ぶ欧州諸国があおりまくる内戦や紛争による死の商人ビジネスの現場になるだけ
これではいくら斜め上の屁理屈で欧州を持ち上げようとしても、なかなか支持は得られないんじゃないか? いやローマでいいじゃん当時のローマ以外ってただの蛮族だし
ヨーロッパって概念がそもそも新しいだろ 神聖ローマは室町時代の日本みたいにごちゃごちゃしてたけど
1600年時点で日本やフランスより多い2000万以上住んでたからな
オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコ、ドイツだから結構でかい
プラハなんて栄えてたからね、ティコ・ブラーエやケプラーが天文学で活躍した >>262
地下水汲み上げ過ぎによる地盤沈下は東京市下に工場がたくさんあった昭和の頃の話じゃないかね
江戸の利水治水事業に関しては
ttps://www.youtube.com/watch?v=R6jRNDkUqec
でも見たら?
キミ、学校出たの >>268
今になって海抜ゼロ時で-5メートルとかになってんだよ
ほー面白いなぁ
物知りたくさんいるね >>264
「支」という字が民族的自尊心を傷つけるって言い分だと思ったが
後にはこっちが呼ばれたくねぇっつってんだろゴルァになったな
要するにマウント取りに来てるだけ >>267
一部に秀でた人間がいたのかもしれないけど、日本では庶民の9割がた文字が読めたような時代に
ヨーロッパでは町の教会に書物(聖書)が一冊あればいい方って時代が続いたからなぁ
歴史認識の点でも面白いんだよね
日本では中世〜近代というと、戦国の一時期を除けば割と豊かで平和な暮らしを庶民が送ってたという認識なんだけど
欧州ときたら、中世=暗黒時代、というステレオタイプなイメージしか存在しない感じ
欧州の歴史観に汚染されてるアフリカの外交官が、日本の司法システムが中世だと「批判」のつもりで発言したんだけど
それこそお笑いだったんだよなw
自ら欧州の奴隷だったことを国連だったかの場で公然と得意気に発表して、中世が平和だった日本を非難したつもりになってんだから
まぁ知能が足りないアフリカ人では仕方ないことかもしれないけどねw >>262
確か井戸が掘っても塩水が出るころは上水で、他は普通に井戸だったよね 中国で王朝が現代まで続いてる一番穏当であり得るifは、満州で溥儀の一族が「後清」みたいに存続する感じじゃない?
紫禁城はどのみち維持できなかったと思うやで
逆に清が全盛期のまま今まで続いてたら死ぬほど鬱陶しいだろ >>233
玉川上水知らんの?
玉川兄弟は多摩の偉人だぞ
>>148
けっこうむかしから中国って呼称はあるから君の考えは間違っているよ >>45
空気を読む文化は日本人だけで中国にはない アレキサンダー大王はなぜか西へ西へ行ったからな
単に東が魅力無いだけちゃう? >>4
古代中国の人口増減をみると
統一時には民族滅亡すっぞというくらいの勢いで人口が減っているので
凄まじい淘汰の結果だと思うよ >>281
いわゆる流民になって戦乱の地を捨てて逃げてるから
最初は激烈に人口減ってるように見えるんだよ 紀元前221年 秦の始皇帝中国を統一 約2千万人前後
前漢の末期、平帝の元始2年(西暦2年) 約6千万人
↓
1/3に淘汰
↓
光武帝の治世末期の中元2年(西暦57年) 約2千万人
後漢末の永寿3年(西暦157年) 約5千6百万人
↓
1/5に淘汰
↓
三国志の時代西暦250年前後 約1千万人
戦争により淘汰されて増えてまた淘汰され増えて唐あたりで安定し
人口爆発は17世紀
こたえ>>1
「戦争が足りなかった」 あ>>284これ唐で安定したは間違いだな
唐以降も増減が凄まじいわ
明末期にも6千万人以上から1千万人まで急減している
中華は戦乱による淘汰の繰り返しで統一されたで間違いない 逃げ出して戸籍がはっきりしないのが徐々に登録されていくってだけなのに >>159
その秦すらも広く書きすぎ
広州や桂林あたりは未開だったし、蜀は漢中ですら左遷だった
荊州もところどころ異民族がいて全土を支配しているわけじゃなかった 参照していたのとは別ソースだけど
https://
chinastyle.jp/wp-content/uploads/2020/12/grah1-1024x476.png
すんごいわこの波
そりゃヨーロッパでも人口の増減はあるけど
それは感染症が原因であることが殆ど
統一ってのは民の血を流して行うものだったんだよ
そりゃそうだろ
統一とはいずれかの国が領土を広げることなんだし 父さんコレもう淘汰されることで
生き残ることに特化した人類だろ
父さん、仲良くしてね >>75
そこに書いてあるのが滅茶苦茶デカいんだろうな
早期から開発と人口爆発が進み、文明が発達して人々が利口になる前に統一国家像を植え付けた ローマ帝国あるな
北方は交易バイキングが支配してたから支配が及ばなかっただけ
ナポレオンやヒトラーも事実上いたし
フランス革命以降は思想が世界中を支配してる で、
ついでにわかったわ
例のSF三体
あれヤバい宇宙人の環境で日本人をイメージしているというのは
中国共産党避けのためのデマだね
ありゃ中国の人口増減の歴史
特に三国時代をイメージしてるわ
間違いない >>99
春秋や楚漢戦争では歩兵メインでワーワーやってたのが、三国時代では一騎打ちが多くなったりしたのは面白いよね
統一王朝時代の話ってどうしてもドラマ性に欠け注目されないけど、後漢史って案外色んなことがあったのかも 秦ってまんまナチスだよね
ナチスは2000年遅かった あ、こいつ妄想で語っているだけだから全否定しとくね>>287
中国は明あたりまで
農耕によって支えられる人口が6千万人程度だったとしてよく
ここらあたりに人口が迫ると飢饉が発生し
戦乱が誘発された
だから実際に戦乱によって民は自滅したとしてよい
もちろんその主要因は飢餓だが
飢餓が戦乱の動機となり戦乱が飢饉を加速したとしてよく
中国は何度も最低でも5回は人口の大増減を繰り返している
この繰り返しの中でいつかまともな王朝が出来るかもとの希望の中で
中国人は戦乱に挑み国どうしがぶつかり統一を繰り返してきた
そういう歴史の質がヨーロッパとは違いすぎる>>1 >>93
北宋の末期(12世紀初頭)に一億超えてる >>168
頭悪そう
戸籍人口5000万とか古代の話で宋代に1億超える(農奴から賃労働の客戸へ) 統一王朝みたいなもんだろう
各国で名前が違うだけで 元々ローマ帝国っていう単一王朝だったろ🙄
ムカついてバラバラになったからもういいやって感じでやってたけど
やっぱもう一回集まってみるかってEUやってみたけど、やっぱそろそろ分裂しそうな感じ >>301
民族が違いすぎる
白人と黄色と黒人が入り乱れてる 未だにモスクワキエフという正教会同士の争いなんか見てると焚書坑儒はデカい
韓非子のような権力に都合のいい儒教が進化して残った ヨーロッパはドイツ、イタリアは都市の自治が好きだったからね
ハンザ同盟とかロンバルディア同盟
一度バラバラになってからの統一が遅かった
フランス、スペインは国家統合早かったが
中国は五胡十六国とかもあったけど、漢民族対匈奴など異民族という二項対立の世界に落ち着いたからな 農業生産力低かったからやろね
全土平定するための常備軍を養えない 北欧なんかもどんどん独立してデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドとバラバラになるしな
さらにグリーンランドやフェロー諸島も独立しそう
ユーゴスラビアやチェコスロバキアみたいにせっかく統一してもまたバラバラになる
小国でも生き残れるのだよな
スコットランドやカタルーニャもいずれ独立するのだろうか >>4
漢字のおかげで違う言語でも音を当ててシナ語族の中で共通認識を保てた
たいてい民族は言語が単位になるが中国は漢字が単位になった
表音文字を使った欧州ではそれは無かった
表意文字じゃなかったことが欧州統一されなかった理由では無いが、中国が統一されてきた理由の大きなファクターとしては漢字がある ハプスブルク家のように建前上別の国だけど王族はみんな親戚とかイギリスやロシアさえ実質王はドイツ人とかそういう統治がヨーロッパなわけだろう? 言語の問題だろ
欧州は各国で言葉はバラバラ
中国は中国語で統一されてる 言語については日本人が思うよりずっと相互に近いというな
ポルトガル語とスペイン語はごく近くイタリア語も割と近い
フランス語もまあ近い
でドイツ語と英語とオランダ語と北欧語もまあ近い
スラブ語系は勉強しなくても基本会話はある程度理解できてしまうという
ポーランド ウクライナ ロシアとかね だから欧州語で3カ国話せる言っても日本で言えば標準語と関西弁と東北弁が話せるみたいなこと
標準語と沖縄方言とか北京語と広東語なんかよりずっと近いのが多い >>261
少数が多数を支配する場合、多数のやり方に合わせてやる方が楽だから
漢民族のやり方に合わせていくうちに漢民族化してしまう >>101
王朝や支配体制が変わっても
制度を一から作り替えるのってコストがかかるからな
既存のシステム使った方が安いんだわ ウクライナ語学とロシア語学が専門の東京外国語大名誉教授、中澤英彦さんに聞きました。
スラブ諸語は同じ源、スラブ祖語から出ていますので、日本人の感覚ではそれぞれが方言差という感じです。手、足、水などの基礎語彙や日常のあいさつなどは、発音、つづりなどに微妙な違いはありますが、ほぼ共通です。基礎的レベルなら特に学ばなくともお互いに会話が可能です。ドイツ語と日本語の差などとは大違いです。14の言語がグラデーションをなして変化して隣の言語になります。 イタリア人の主人に、スペイン語を、勉強せずに、だいたい何%くらい理解できるか聞くと、70%くらいだそうです。また、これは、彼の主観ですが、南イタリアの方言は、スペイン語の影響を受けているので、さらに馴染みやすく感じるのではないか、ということでした。(主人は南イタリア出身です) 中国統一した歴代の王様がガチで超人だったんだろ
ナポレオンも中国で生まれてたら宇宙大将軍程度だったかもしれない なんでかと言うと、中華文明が偉大だから
みんな学んで同化していった 北宋と南宋は日本で人気だけど
中国では不人気なところが国民性が出ている >>316
逆にインドは全くバラバラだっていうからな
あそこはなんで一つの国なのか不思議だよ >>323
日本で劉備や孔明が人気なのなんでと似てるな すでに出てるけど理念的権威はローマ教皇が現実的権力は諸侯が持つという分業だから日本の幕藩体制みたいなのが続いちゃったんだろう >>324
近代以降はイギリスの植民地支配のせいじゃないの
イギリスが植民地にしてなければもっと分裂してたんじゃ >>323
南宋はまぁ不人気かもだが北宋はそんなことない
中国人は蘇東坡が好きだし水滸伝も楊家将も包公の裁判話も舞台は北宋だ やい平民、税金よこせ
といってハイハイ従うわけがない
一次産業(飯)→二次産業(武器)→三次産業(軍)
黄河・長江、その無数の支流、無数の感慨
圧倒的農業生産力 宗教という世俗権力と別で同レベルの求心力があり、ついにそれが合流しなかったから。
それによって、専制社会には無い思想の軋轢とそれによる発展が生まれ、全世界を覆うことになった。
急がば回れなんだよ。 >>321
>>322
国内に元々色々あるうえにシルクロードで繋がって、海路発達前は世界の中心と言って過言じゃなかったからね
シルクロードに近い秦国で誕生した始皇帝はどうも漢人風ではなかったそうな
そうやって色んなものを取り入れる強さが中華大陸にはあった むしろ中国が西ヨーロッパぐらいに別れてたら覇権取ってた
始皇帝しね 万里の長城ってここから先は興味なしという宣言だと思うけどね
支配力の限界値 >>325
>>328
日本は唐よりも宋を手本にしていると思う
日本人が崖山の戦い以後で中国を分けて見ているのも
北宋南宋の日本への影響力が大きい過ぎたのもある lkhがコテハンはずしてうろうろしてら
ID:mDgMpXKx0 >>333
そうだね
早期に成熟した中国とは裏腹に、海路が発達して途上国から資源を吸い上げることでようやく世界史の中心に踊り出る欧州
しかしその後も海路を駆使して植民地を増やしまくってデカくなる欧州とは裏腹に、早熟し海路であちこち行く必要がなかった中国が落ちぶれていった
そして今は海路のコンテナ駆使して産業の中心にいて、覇権なのは中国
この先別の文明が発達してまた欧州の時代が来るのかもしれない
何が正解なんてわからないさ
ただ少なくともジャップは大事なときに鎖国してたな~と思う 米国は分裂したままじゃなくて、良く一つにまとまったなぁ
北と南だけでなくて、それぞれの出身国で独自のコミュニティを作りそうな
もんだけど まず設問の立て方自体おかしいだろう
例えば農業のような人類の存続に不可欠なものならなぜどこどこに農業は起こらないのか?
と疑問が生じるが統一王朝は人間が存続していく上で絶対に必要なものではない
むしろそんなものは無いほうがいいと思ってる人間が多いだろう
統一王朝は帝国の概念に含まれるがこれを可能にするのは官僚制と常備軍
それを支えるのが徴税のシステム
つまり経済システムとして国家が市場を統制しうるか否かが王朝成立の分岐点となる
ヨーロッパでは確固たる王朝が成立せず商業資本が肥大化し現在のグローバル資本に結実した
ただこれによって現在貧富の格差が極大化し破局寸前まで来ている
そこへもってきて近年の中国の目覚ましい発展ぶりが官僚主導によるところ大だから
統一王朝が素晴らしいのではないかと勘違いされてるだけだろう
最終的な解決が国家や資本の揚棄にあることは依然として明白だ >>312
あれは統一政権が何千年もかけて規格化していったから因果関係が逆
仮に春秋時代の国境線が中世まで続いてたら漢人同士でも意思疎通困難だっただろうな >>319
方言連続体ってのはラテン語も同じなんよね
ポルトガル語からルーマニア語まで繋がる >>316
東スラブと西スラブでは同じようなモンじゃね? 中原=世界制覇できる優秀な人材がなかっただけ
日本も島国じゃなかったら徳川300年は続かない 秦が最初から完成され過ぎてた。過剰な理想国家ではあったが
後の王朝はそれを流用カスタマイズすればよかった >>331
それだからEUの国ってのは首都を内陸へ造らせた >>346
お前んとこの国は島国で平和ボケか
海の近くに首都を築きやがった
運搬を優先させたんだよ >>346
ヨーロッパの様に五胡十六国並に分裂すれば平和になるのに何故統一に拘る?
上海市と貴州人が同じ国扱いは嫌だろ? >>347
そこをうまくカスタマイズした漢が偉大なんだよ 70年前にドイツ第三帝国のおかげでヨーロッパはポルトガルからポーランドまで
今でもおなじタイムゾーン、ベルリン時間 >>353
なんで漢ばかり持ち上げるんだよ
北宋のが先進的で現代でも手本になるのに 古代中国は日本人が思ってるほど魅力的では無いんだよ
偉大な漢のときも何度か西から襲撃を受けて鉄の差で蹂躙されてるけど支配は無い
ただの遊び場ぐらい 今となってはコンテナ船が大型化されて
今のままじゃ座礁してしまうから沖に新しく埋めて立ちをつくる始末だ イギリス、フランス、ドイツ、
みんな小さな国だったものがまとまってできた国やんけ >>356
漢なんて、平民は貧乏で
国としても匈奴の属国じゃん
唐や北宋のが良い 言語って言うけど北京語と広東語はドイツ語と英語以上に離れているんだろ?
中国の巨大化は不思議だよ 中華王朝もそんな統一してないって言うけど満州とかが完全に中国の概念に取り込まれたのって清の代だろと思う >>355
戦争でボコられてるイメージしかないからじゃね 言語はあんま関係ないな
文字と度量衡の統一がでかい >>359
正直なところその時期も支配する魅力があったとは思えない
北宋を語るならモンゴルの宋の雑な扱いとロシア東欧西アジア圏への執着を比較すると分かりやすい
中国の魅力は輸出で本気を出す清まで待たないと行けない 西欧優位の原因になった火器の発展や軍事革命は確かに分立して競争技術革新してたせいではあるが
ルネサンス式城郭なんかを壊そうとするから大砲が発達するし更に対抗して防壁が改良される
中国もずっと統一されてたわけじゃないが結局対遊牧の分立ではこの必要性が薄くて駄目なわけ 欧州を統一するって言う概念がそんざいしなかったんだろうね。 >>366
もし清と北宋の時期が逆だったら、
産業革命と立憲君主制は成功していたな >>368
土人ばっかりだからよドイツすら統一するまで長かったし、
ナポレオンは伊達と同じ生まれが遅かった ヨーロッパは色んな人種がいるけど、
中国は何でほぼ漢民族ばかりになったの?
少数民族がいるのは知ってるけど、
何で9割以上が漢民族になったのか? そもそもローマ以前が部族国家だらけだったわけで
西ローマ崩壊後のゲルマン系王朝乱立の下地はあった
そして属州の激しい収奪はこういう従属部族の社会文化的ローマ化は推進すれど、独自の習俗や制度の反発的な温存にも繋がった
ただこうした半ローマ人的な現地部族民は時代下るに従って、ガリアではメロヴィング朝下でセナトール貴族という層を形成をして
彼らは西ゴートや本土イタリアでもカトリックの、とりわけ司祭や司教の職を世俗的な名誉職として帯びつつ、崩壊後になって同種のローマ人意識を覚えた土着の貴族層をなした
つまるところ汎ヨーロッパ的な統一意識はローマくらいだが
そのローマ意識ですら、各地方のローマ都市を除けば属州の異民族が共有したものではなかったということ
彼らはローマの技術や法制を取り入れつつもその治世下では独自の部族意識を保持していたくせに、西ローマ崩壊後に侵入してきたゲルマン系部族に支配される時になって、急にローマ的都市文明の優越を自覚し、ゲルマン支配層を蛮族扱いしてローマ人意識を持つようになった
これはイシドールスが西ゴート人の教化に目覚めた動機でもあるが
ゲルマン人に支配される状況を、高度な古典文明と蛮族の野蛮、と被官の身でありながら当時の現地カトリック司教らは対比して考えていたし
ゲルマン支配層をアリウスからカトリックへ改宗し、彼らの都市生活へ定住させることで、彼らの言う高度な古典文明、つまりローマへ合流させられるとも考えた
だが結局はセナトール貴族は消え去り、旧西ローマにおける汎ローマ意識はキリスト教的ユニバーサリズムとエキュメニカル思想に代えられて、カトリックが中世以降のヨーロッパを代表するようになった
また大フランク王国の成立による、プレ封建的な支配体制と従士制等が広範囲に広まり、小貴族の自活的な領国が乱立し、それを緩やかな臣従関係で結んだ連合体としての王国や公国が成立し所謂中世に至った
中世以降キリスト教的価値観での欧州の統合構想は早い時期でも何度かあった
カペー朝フランスや神聖ローマのザーリアー朝、ベーメンのポジェブラト朝など
いずれもカトリックを共通意識として不戦同盟を軸として統合を考え教皇庁との折衝を活発化させていた
勿論教皇権の肥大化や十字軍のような騎士的ロマンチシズムに基づいたものなど
様々な形の統一的意識、権力の発露はあった
しかし結局は王権神授説や宗教改革、外交革命やウェストファリアのような、中央集権的な王権強化の動きと地方分権的な領邦の集約独立が並行進行することで、最小単位としての騎士らの領土は消え去っていき、超俗的な国家群の成立が、小領と教会を軸にしたカトリック者達の汎ヨーロッパ的統一意識を押し退け、変わって国家的帰属意識が勝るようになった
とどのつまり欧州には長い間統一体制への下地も希求もなく、単にキリスト教で結ばれ薄ぼんやりとした紐帯があるのみだったのが事実
古くから中華思想を産み、易姓革命を正当化して王朝交代と統一意識の継承を当然のものとした中華文明とは前提から違ってる
五胡十六国期の鮮卑系北朝勢力が、しかし最終的には中華を相続する唐を産んだように
結局は各地の部族に強力な文化意識と紐帯感じさせた中華文明が、その点で卓越していたということ
最初からローマと中華ではその意識の根付くところが全く違い
統一体制への人と人のかすがいとしての役割もまた、その性質が両者で強弱あるものだったといえると思うね >>318
しかし始皇帝の頃にはすでに宦官が宮廷内にいたわけで、宦官の発祥っていつ頃でどういう事情だったんだろうか >>372
漢民族は中国語話す人くらいのガッツリした枠組みだから遺伝子的にはもうちょっとバラツキあるんじゃない?あと中国はヒマラヤでインドと蓋されてるのが何気にでかいと思う
ただヨーロッパは同じ白人でも髪色とか目の色違うのがよくわからんな単に元が環境で見た目が変化しやすいタイプのホモ・サピエンスだったとかじゃね 黒人とか肌の色も髪の色も変わらないのに部族によってはヨーロッパ人とアジア人くらい遠い遺伝子って言うしなんでヨーロッパ人だけあんな犬みたいに種類あるんだろ >>372
漢民族っつってもシナ系の言語をはなすってだけでそのうち相互に通じない言語がいくつもある
そういう意味ではヨーロッパも印欧系ばっかといえる
主要な非印欧系はバスクと東欧のウラル系テュルク系とマルタのアラブくらいか 国家意識が芽生える前に強制的に支配出来たかどうかが大きいよな
中華は初期の統一が早かった >>8
わいもこう思ってるけど中国北部って麦文化じゃね? >>4
中国は主要民族の言語が比較的統一されてからじゃないかなあ?
欧州だと北欧言語系にラテン語系にスラブ語系に英語・ゲルマン語系にほか色々とバラエティ富み過ぎだし
インドだとさらに言語の数が多いし >>132
黒海、地中海、バルト海が中核的な役割を負ったのかな? 既出だが中国の言語は統一されてない
漢字という記号を使って意思疎通する仕組みを作ったのはすごい ヨーロッパは、領土が減ったり増えたりするだけで国が続くけど
中国は根絶やしにされるイメージ
二回の大戦がったにも関わらず、相変わらずEUっていう緩い括りでしか
まとまれないんだから未来永劫統一なんて無理なんだろうね 日本が全国統一って考え出したのはいつごろなんだろ? >>386
そりゃ神武天皇とされる連中が他の豪族ボコボコにし始めたあたりだろ 半島じゃない土地がめちゃくちゃ広いから。半島は守る上で強く抵抗運動が生まれやすかったり独立しやすい。と塩野七生の本に書いてあった 思うだけなら誰でもできる
征夷大将軍ができた頃は東北以北は支配できてないし戦国時代以降は諸侯が強いのでわざと間接支配だし やっぱ言語じゃね?
ゲルマン語系とラテンロマン語系で大きく割れてるし 自由主義政府を維持できる人口に限界があるのかもね
アメリカだって3億人いても合衆国制で州ごとの独自性がかなり強いし 地形の問題じゃないの?欧州インドは山に隔てられてるけど中国は中原というように広大な平地があるからでしょ bc221秦中国統一
やったことは文字、貨幣、単位の統一
https://i.imgur.com/MWh5j5X.jpg
AD100前後ローマ帝国最盛期
やったことは奴隷経済
https://i.imgur.com/De4PXi3.jpg
全然話にならん >>336
十八史略が宋の滅亡で終わってるからとか
陳舜臣史観の影響なのでは 農業生産力が高く兵士を多く確保できるとかとりわけ強い武力があるとかじゃないと征服できないよな >>310
なるほどな~
欧州は英語が幅きかせてるかと思ったらそうでも無いし
言語って統一感出せるのな~ >>398
統一されてないことを示す木簡も出土してますがいいんですかね・・・
なんつーか史記を裏付ける資料が幾つか出てきて信ぴょう性が出てきただけで、世界の史家は割と懐疑的なんですよ ローマ帝国とかフランク王国は統一王朝でいいんじゃね >>386
安土桃山時代辺りじゃないの?
それまでは大航海時代よろしく現地の総督が勝手に領地切り取ってたんだから? >>391
言語だけなら中国の南にめっさいるじゃん ヨーロッパからインドまであんなに広い範囲で兄弟言語族なのに
こんなに近い日中韓が全くお互いに関係ない言語ってのも謎なんだよな
例えばインド人とイギリス人はあんなに見た目が違うのに兄弟言語を話しているが
日本人と中国韓国人は見た目が同じなのに、言葉は全く違う
どうしてこういう風になるのか本当に謎だ >>401
広東語と北京語でも会話は無理だけど筆談は可能とか聞くからな
なんかそう言う夫婦がいたんでしょ
孫文の時代のお偉いさんに >>407
日本語と韓国語めちゃ似てるよ
文字は韓国がわざと作ったから異形だけど
インドはイギリスの植民地だったけど、兄弟言語は意味わからない
ヒンディー語と英語似てると言いたいのか? >>409
インドヨーロッパ語族のことだろ
兄弟というより親戚の叔父さんくらい離れて入るが同族 >>409
日本語、韓国語は文法こそ似てるけど
同じ言語族であるとは証明されてない
ヒンディー語と英語は同じ語族で対応関係もある
言語学じゃ常識だぞ その色ついたの全部インド・ヨーロッパ語族で同じ語族だじ
その中でさらに細分化した区分であって >>323
北宋は岳飛
南宋は文天祥
と二大悲劇のヒーローがいる
特に岳飛なんて中国で英雄だし神様になってる 日本語韓国語モンゴル語あたりは
アルタイ語族に含める説もあるけど
インド・ヨーロッパ語族みたいに比較言語学が発展してないから
立証はできてないな
あと甲骨文とか漢文がSVOなのはね
中国語の源流がオーストロアジア語族だからだと思うよ
元々ベトナム人とかタイ人とか今の中国にいたんだし イギリス フランス スペイン ポルトガル
ドイツ ロシア イタリア
キャラたちすぎ >>409
古日本語の名残がある琉球語とか韓国語に似ているしな >>323
宋は書籍も扱い多いしドラマも多いじゃん
唐の次位に人気あるでしょ >>172
そもそも日本って中国人が名付けたからか
736年にできた『史記』の注釈書である『史記正義』の中に、「則天武后が倭を改めて日本とした」とする記述がある
武后改倭國為日本國
これが何故か日本側から申し出たって解釈になるのが
邪の思考 >>422
どちらとも取れるよ
702年に遣唐使が唐の宮廷で日本として扱うよう抗議して
女帝が認めたんだよ
確かに女帝から貰ったとも取れるよ
二文字の国号は華外を意味している
近代の中国と差別化出来る格式や権威が日本の国号にはあるね
ある意味唐の後継でもある >>423
ヤマトの語源は謎
当時の縄文人だか弥生人だかがみやこ周辺をそう呼んでた
大和は単に当時使われてた倭があんまいい意味じゃないから当時の日本人が和の字に変えてついでに独立国って意味で大つけて大和にしただけ
大韓とか大越と同じ >>420
最近増えているんじゃない?
河南衛視が作っているシリーズ >>398
>やったことは文字、貨幣、単位の統一
>やったことは奴隷経済
ローマは奴隷経済とやら続けながらその三つ普通にやってますが…
西洋中心史観に囚われないのはいいけど、
一周回ってただの中華思想になってるぞw 倭が悪い意味というのは日本人の誤解だと当時の用例を調べた論文があったな 今だと
卑弥呼≒日之巫女みたく
倭≒和と捉えてられてると思う 卑弥呼関連は謎すぎて全部諸説あるうちの一つでしかないからなぁ
たまにネトウヨが「シナ人がわざと変な字当てた!本当は日巫女!天照に連なる聖女!」みたいに言ってるけど本州とも太陽信仰ともなんの関係もないただの地方豪族のオバハンって可能性もあるからな >>424
まぁどっちにろ中国が認めなきゃ名乗れなかったってことだからな ゲルマン法の均分相続のせいといわれるけど中国だってもともと均分相続なんだよね
ちがいは私法的な相続規定が領土と臣民にも適用されるかどうかってところ
だから「天下」概念が大事だとおもう >>432
正倉院の琵琶を始め
今の中国には無い権威を日本は千年引き継いでいると言えるよ
孫文がどんなにアジアの元首の様に振る舞おうが天皇の権威には敵わないのは明らか
孫文なんて日本皇室ゆかりの中山を無断で名乗り、皇室の権威を借りてる
孫文も御大層なイデオロギーを抱えてたけど、中山と名乗る辺り本当は中原の皇帝や貴族に成りたかったんだろうと察するよ
結局、彼も人の仔に過ぎないと思ったな >>317
システムが国を作ってんだな
中身(人間)は誰だっていいんだ イギリスとロシアを無視しとけば、
ナポレオンとヒトラーはヨーロッパの始皇帝になれたのだろうか? ヒトラーは本音ではポーランド分割に成功して戦前の版図取り戻してたら割と大人しくなったと思うね >>435
中国に認められなきゃ名乗れ無かった国名 or中国につけてもらった名前なんだよねw さすがに1000年前の秦檜を未だに足蹴りするのは陰湿だわ 単位と文字と制度の統一が肝だよ
言語の違いや文化の違いはあんまり関係ない キリスト教が影響力を持ち過ぎた上に、早い段階で多種他流の分派が出来上がったのがデカい
中国大陸は道教にしろ仏教にしろそこまで強くなかった 「天皇制を一特殊形態とする君主制は、いうまでもなく人類最古の、そしてもっとも普遍的な国家形体であって、
アメリカやスイスなどのように建国の当初から共和制であったごく少数の例外はあるものの、
一九世紀の後半にいたるまで世界中のほとんどすべての国は君主制であったのである」
浜林正夫「天皇制とヨーロッパの君主制」『天皇制と国民主権』新日本出版社,1989,p.145 キリスト教による王権神授説採用してたから、宗教屋(法皇)にとっては統一国家の皇帝一人より、王が多数居て分散してたほうが都合がいい。 江戸時代は地方分権っていうけど
中央に王がいて参勤交代で諸侯を呼びつけてたから十分に中央集権だよな。
ただ関ヶ原に勝って何となく王になったから正統性がなかった。家康は神になろうとしたが失敗して結局、ミカドを持ち出されて終わった。 >>445
インチすてないせいで宇宙にいく人入りロケット落としてる >>448
どうかな
幕府が大名の政治に介入することは基本的にしなかったし
参勤交代の事実だけをもって中央集権とは言えないだろう >>439
中国?漢民族はいない
鮮卑族が建国した大唐帝国だよな >>424
中国から見て「太陽が出る国」だから「日の本の国」なんだろうなと思う。
太平洋の果てにアメリカ大陸が有って、地球は丸くてぐるぐる回ってるって確定していなかった時代。 >>448
マジで徳川と諸侯の関係はアメリカと日本のような関係だよ >>105
欧州の場合は東西だな
>>107
ローマ帝国が滅びたのは15世紀、新大陸発見の年 >>456
ぜんぜん感じない
ニューギニアなんかあのせまい島に数十の語族があるといわれてる
北米インディアンも数十の語族にわかれてる
印欧語やバンツー語やオーストロネシア語のようなこの1万年ぐらいに急拡大した語族の方がむしろ例外的 >>125
対外的には「秦」で2000年間通ってきたけどな
China, Sinae, 震旦、支那... >>156
ウクライナ「地形的障礙、なんと魅力的な響き」 >>457
ギリシャ帝国は実態としてローマ帝国じゃ無いし >>458
シナ語も元々の話者わ少数派で極一部にしか居なかったって仮説もあるよね マイクロソフト全盛期にAppleを潰して「統一」するのが正解だった
と信じて疑わない方が意味不明でしょ >>409
語彙が全くといっていいほど違うんだよなあ 穀倉地帯が分散して中央集権化が出来なかったから欧州は分裂したのだ >>466
同じ語族ではなさそうだけど、両方とも同じ集団の影響を受けて文法が完全に置き換えられたクレオールって可能性は高そう >>448
フランスやイギリスのような封土を持たない諸侯ではなくドイツのような封土を持つ諸侯だったので、どの時代のどの国と比較するかで中央集権と地方分権のどちらが目立つか変わってくるね ハードパワー
結局
国際政治は
妄想の類
ソフトパワーは 分からん
中国は明末に激減するしヨーロッパはペストで激減するから同じようなもの >>468
おそらく基層集団は別言語で
お互い共通の弥生人の言葉が混ざって文法だけ共通したのかもな
礼儀作法とか敬語の体系とか何より言語の持つ思考概念が似すぎてる
先輩後輩って概念は日本語と韓国語にしかない 中国は王朝崩壊時は毎回人口激減するな
元末なんて華北の九割がペストと戦乱で死滅した
だから朱元璋はあそこまで厳格な統制をして華北を回復させる必要があった 例えば漢の戸籍ってどうやって作ってたかというと年に一度県に全住民集めて数えるわけ
当然こんな原始的やり方は政府が強い時にしか機能しない。政府がガタガタじゃそりゃこない→死んだになる
均田制ができるとまた変わるがそれも結局農民側の抵抗で機能不全起こして崩壊して藩鎮制へ 言語の違いが大きすぎたのと民族の多様性
ゲルマン、ラテン、ケルト、ギリシア、スラブ、アジア系(ハンガリーとフィンランド)これだけ多種の民族がいたら統一は不可能 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています