【悲報】戦国時代で一番可哀想だった武将がこちらwww [661852521]
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内ヶ島氏理
帰雲城は、現在の岐阜県大野郡白川村三方崩山の下、保木脇にあった日本の城である。
内ヶ島氏の居城であったが、1586年(天正13年)の天正地震による山崩れで城と城下町が全て埋没した。
最盛期の勢力範囲は飛騨国から越中国にまで及んでいたと伝わります。
合戦においては、飛騨の姉小路頼綱や越後の上杉謙信の侵攻も撃退。帰雲城は難攻不落の城でした。
帰雲城において和睦成立を祝う宴を翌日に控え、氏理本人はもちろん、
娘婿の東常堯や嫡男・氏行など内ヶ島一族、重臣、家臣の主だった者が前日から勢揃いしていた。
同日深夜、天正地震が発生し、帰雲城は帰雲山の山崩れに巻き込まれ崩壊し完全に埋没。
これにより内ヶ島氏の一族郎党は一夜にして滅亡した。
https://www.google.com/?hl=ja すげーな
こんな実力派なのになんで評価されてないんだ? 内ヶ島「明日はどんちゃん騒ぎ楽しみ😆」
家臣「それな!😆」
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🗻🗻🗻 たぶん皆可哀想だったと思うホントあんな時代に生きてなくてよかったあ 陶晴賢も毛利さえいなけりゃ名を残せただろうに。
毛利のせいで速攻潰された悪者に。 天正地震って濃尾地震以上の
国内で記録に残っている中では最大の内陸地震なんよな 天正地震では長浜城も全壊して山内一豊の娘が亡くなってるね >>9
とくに実績はないくせに陶晴賢に殺されたことで
なぜか毛利から高く評価されている江良房栄という幸運な武将がいる
江良の屋敷跡は龍雲寺というお寺になっているが、その隣は二所山田神社という小さな神社になっており
全国の神社で販売されている「おみくじ」の約7割はこの二所山田神社で製造されている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています