卑弥呼の時代って天皇はなにしてたの? [125096601]
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邪馬台国=大和説から浮かび上がる卑弥呼の正体とは?
女性としては日本史上、おそらく1・2の知名度を争う。
しかしその姿は、神秘のヴェールに包まれている――それが卑弥呼だ。
邪馬台国の「女王」と伝わるものの、本当に「王」だったか明らかではない。
想像がひとり歩きしている印象すら覚える謎の女性の実態は、一体どんなものなのか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/6056435ffbee6df5be6fd5c8c6f7e3b9db3c8105 (ヽ´ん`) 「安倍晋三っ!」(ドヤァ!)
├>>○ (ヽ´ん`)草っwwほんとそれww
├>>○ (ヽ´ん`)これを見に来た!www
├>>○ (ヽ´ん`)これ半分天才だろ!ww
ニュース速報(嫌儲) いやいや、天皇の起源が卑弥呼ってことはタブーになってるけど実際そうだろ 日本書紀書いた人は卑弥呼を神宮皇后だと思ってたらしいな
あの時代の人でわからないならもう永遠にわからんだろ 日本書紀の記述通りなら卑弥呼のいた時代のだいぶ前から天皇家は始まってたはずなんだよな 卑弥呼で女性天皇が終わったんやで
それまではずーっと女性天皇やったねん
天女族な いないよ
天皇って呼ばれるようになったのは天武天皇からでしょ
それ以前は大王とか日巫女(卑弥呼)とかじゃないの ネトウヨ 「我が国が世界に誇る皇紀2682年と続く万世一系の日本の歴史は・・・」
おれ 「1800年前の邪馬台国ってどこにあったんだろう?」
ネトウヨ 「そんな昔のことがわかるわけないだろ、バカかチョン」
おれ 「」 ネトウヨ 「チョンはバカ、チョンはバカ、チョンはすぐ歴史を捏造する嘘つきいいいいいいいい」
おれ 「」 大陸からの侵略者の大和王朝が畿内一帯を制圧してその首長が後に天皇と呼ばれるようになった
九州の邪馬台国は天皇云々関係なく滅亡した 原秀三郎先生の説では卑弥呼の時代がちょうど崇神天皇の時代に重なる
九州でブイブイ言わせていた卑弥呼のの王国もやがてヤマト王権に飲み込まれていく この辺り、日本史のタブーだよな
空白の4世紀に何があったのか知りたいわ まず卑弥呼の当時は祭祀を司る巫女と世俗の王は別存在だったからな
ギリシャの神託のように時折出す巫女の言葉は王の判断を上回るものだった 卑弥呼の跡継ぎのイト?の跡継ぎの男がヤマト王権の始祖 > 天皇はなにしてたの? [125096601]
そんなやついねえよ あれ?天皇が天地を作ったっていうカルト神話があるんじゃなかったっけ
縄文人とか卑弥呼とかいう存在が日本にいていいのか… >>36
タブーつうより資料なさ過ぎて謎なだけじゃん… 半島の高句麗、新羅、百済の三国時代は紀元前50年くらいには成立してたらしい
日本側の歴史だと卑弥呼後はいきなり600年代に飛んで蘇我氏謀殺や白村江が始まるんだが
どう考えても半島とは蜜な関係だったと思うぞ 7世紀に天下取ったオッサンが過去の歴史改竄しただけ
この時代は当然ただの蛮族 ウヨさんは韓国は歴史を捏造するって言ってるけど、これ本当にまんま日本史のことだよね
日本の古代史は文字記録がないんだから「たぶん、~だろう」と後世から推測した「証拠の無い推論」ばかり
ファンタジー小説と基本的に何の変わりもない >>43
陸地作ったのはイザナミとイザナギで神武天皇(紀元前660年即位)の曾祖父
神武天皇の上は人外レベルの長寿なんで時代的には何とも言えん
まあ世界最初の陸地が淡路島じゃない時点でダメだけどな 案外、三国志のどっかに使えてた下っ端武将とかかもね NHKの義経はあの後逃げたかもっていうのはあるよね
首は誰かの腐った首で、モンゴルかあ・・ あの「昔は一年で二歳年取ってたんだ。」とかいう説って裏付けになる傍証や文献てなんかあるの? どう見ても天皇家って大陸からの代官なんだよな
色々あってそのまま到着することになったんだろうが >>36
七支刀を369年とすると、その頃にはヤマト王権が成立してて、朝鮮半島と交流があったことになるけど微妙だよなあ。卑弥呼の時代から100年ちょい。100年あると王朝交代があってもおかしくないし。 >>44
天皇の神秘性なんてもともとあってないようなもんだけどそれでも99%と100%の差は大きいからな
解明されたら記紀の記述全部ウソってバレてあまりよろしくない事になる だいたい天皇を称したのは天智天皇からじゃなかった?
それ以前の○○天皇というのはモデルになった人物が居たとされてるだけで天皇じゃねぇよ 卑弥呼が九州でイキってた時代にも
奈良で前方後円墳を作ってた豪族たちがいるんよ
その中から大王が選ばれてた 邪馬台国は九州に合った説を押してるから
ヤマト王権は別王朝かなと狗奴国から天皇が出たと思う 偉い人の墓とか家系とかを守るっていう概念が生まれてから不幸になってんじゃないかって気してる
多分そういうのって大きな戦争をするために必要な中央集権的な概念だと思うから
やっぱ大陸から天皇は伝来してると思う 日本に歴史がないのは恥ずかしいって編纂したのが日本書紀じゃなかったか 天照大神が天皇の祖先じゃないの?
その天照大神はどこから来たのか知らんけど 別に歴史が浅くたっていい
そんなこと言ったらアメリカのほうが浅いんだし
そんなことよりも民衆が豊かで幸せに暮らせるクリーンで発展したいい国かどうかのほうが大切だよ >>41
イヨもしくはトヨな
その知識で名探偵やっちゃおうってのがすごいな >>75
=だと万世一系とはなんだったのか?とならない? そもそも魏史にしか記述無いんだから合ったかも怪しい 中華みたいに何度も倒れてると第三者的に調査できるんだろうけど
現存してると色々難しいな、その時点で学問でも何でもないけど 伝説では機内出身の神武天皇の后が最初神武の部下の刺青にビビる描写があるんだよな
とすると魏志倭人伝の倭国描写はやはり九州で機内のヤマト王権とは別系統だろう 天皇も女系だったらミトコンドリア的にロマンあったのにね
男系の直系なんすよとか言われても 247年 邪馬台国が魏に使者(載斯)を送る
369年 ヤマト王権が七支刀を百済から得る
諸説あるが369年説を取るとこうなる。ただ(プレ)ヤマト王権が4世紀半ばに半島までの交易路を確保してたとなると北九州を押さえたのはもっと前だろうし、実際北九州に前方後円墳が作られ始めた時期は3世紀。
ここら辺を考えるとかなり埋まる。 卑弥呼て最低でも紀元前の話かと思ったら隋や唐より後でビックリ 天皇が誕生したのって7世紀
それ以前はもちまわりの大王 >>90
「現れた」としか書かれてない
いつの間にかどっかから湧いて出てきたぐらいの表現 稲作やってたから太陽信仰から鬼道や呪術をやる巫女がまつりごとを司っていて
その兄や弟といった親族の男性が実権をにぎっていた共同統治だった
その後仏教とかの影響でどっちも男のうほ体制になり摂関政治とかになる
北条政子と義時の関係もそんな古代からの体制に似てるね >>93
あれ?
天皇に由来する西暦より古い何とかって暦があるんじゃなかったっけ? 聖徳太子と蘇我氏によって改革が行われたのだったね
聖徳太子は摂政だし仏教を取り入れた 天皇の原型みたいな大王が歴史学的に確認できるのが雄略天皇(5世紀)くらいからだな
それより前の時代はぶっちゃけわからん
卑弥呼の時代はそれより更に200年も前なので割と好き勝手に言ってもよいぞ >>1
大川、「卑弥呼です」ってやれよ!
(もうやってるかもしれないが) 弥生天皇、奈良天皇、平安天皇、鎌倉天皇、室町天皇、江戸天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成天皇、令和天皇 >>14
思ってた(けど本当は違う)という見解はどのようにして成り立っていったの
ということは卑弥呼で間違いないなとはなりえんの? 卑弥呼亡きあとおっさんが王になると内乱勃発
13歳の少女を王にすると戦争終結
お前らのヘンタイ遺伝子はこの時代から受け継がれてんだよ 天皇は権力者が民を思いの儘に操作するためにつくった偶像に過ぎない >>3
>>107
弥生時代末期でとっくに農耕伝わってるのに何を学んできたのか?お前らだけはドングリジャップのままだな >>98
あの暦って不思議だよな
さかのぼればさかのぼるほど当時最新の唐の暦と一致するんだもんな >>111
へーそうなんだ
ちょっと調べてみよ
でも日本にゼロから作る能力があるわけないから真似してんだろうね 卑弥呼の1000年ぐらいまえからいたはずなのにおかしいな 古代日本は2倍歴だから、神武天皇は広開土王と同じ時代になる
つまりアマテラス=卑弥呼なのである 2倍歴が~って言う奴いるけどいつから2倍歴なのかの記録が全くないから任意の所から2倍歴に出来て便利だよな >>45
もちろんそのとおり
高麗の広開土王と争った日本側の大物といえば、神武天皇くらいのもんだ。
古代日本は倍歴でいけば、すべての矛盾は収束するんだぜ >>47
これですわ
>>59
倍歴はイギリス人歴史家が明治時代に始めて唱えた由緒ある説だぞ 魏志倭人伝に100歳まで生きてる人も結構いるらしいとか
神武天皇から数代の天皇が100歳連発してることから
半分で考えればしっくりくる
まあそれでも弥生時代に50歳生きたってすごい 神武天皇の即位が2600年前ってのも中国から入ってきた辛酉革命説に合わせただけだからなだから最初の頃の天皇を100年以上生きたことにして辻褄をあわせた
日本書記以降の天皇で100年生きた人はいない皇族でも三笠宮だけ ▼古代天皇没年齢(日本書紀/古事記)
初代:神武天皇 127歳/137歳
2代:綏靖天皇 84歳/45歳
3代:安寧天皇 67歳/49歳
4代:懿徳天皇 77歳/45歳
5代:孝昭天皇 114歳/93歳
6代:孝安天皇 137歳/123歳
7代:孝霊天皇 128歳/106歳
8代:孝元天皇 116歳/57歳
9代:開化天皇 111歳/63歳
10代:崇神天皇 119歳/168歳
11代:垂仁天皇 139歳/153歳
12代:景行天皇 147歳/137歳
13代:成務天皇 107歳/95歳
14代:仲哀天皇 53歳/52歳
15代:応神天皇 111歳/130歳
16代:仁徳天皇 143歳/83歳
17代:履中天皇 70歳/64歳 漫画の卑弥呼面白い。マンガワンで読めるから見てみろ >>122
実際は半分と考えるとなかなか早死にだよなあ
ま、ずっとのちの徳川将軍家でもそんなもんだから、特に短くもないけど >>122
これだけ高年齢で死んでるのに孫がついだケースがほとんどなくて子供が継いでるのも不自然なんだよね >>122
古事記の方が事実だったら二倍暦というのもありえそうだな >>87
男系尊重はユダヤ教のラビにもあったな
そのY遺伝子の系譜を調べた論文があった かなり保存されていたとかなんとか 倍歴ってなんか証拠あるんか?
そうしないと天皇の年齢がおかしいってだけ? 天皇に関する機密資料的なものって
宮内庁とかに秘蔵されてたりするの? >>129
なんもないよ
魏志倭人伝の但計春耕秋収為年紀というなんでもない記述を珍解釈しただけ
倍暦がただしいなら季節の循環による一年という単位すら知らなかったという
噴飯もののアホ民族ですって言ってるようなもん そもそも卑弥呼が居たってのがただの創作なのかもな
現に天皇陛下はずっといるけど
卑弥呼の子孫なんていないもんな >>118
太陽暦なら可能だが太陰太陽暦では不可能 2682年前には神武天皇のもとで超古代文明が栄えてた
その後、万世一系の天皇陛下は世界一の文明国家「古代大日本帝国」を治めていた
しかし支那人は偶然古代大日本帝国じゃなくどっかの田舎の野蛮人集落に行き着いた
そこにいたのが卑弥呼。馬鹿な支那人はこれを日本と思い込んだ 天照大神が卑弥呼だから神武天皇は卑弥呼の五代後の子孫だよ 兄妹神話の名残じゃね。
この場合、妹がシャーマンで兄が実務を担うが
伊勢神宮の斎宮なんかはその影響あるとみる ただ、日本書紀の成立時期の前後に、唐では武則天という傑出した女帝が現れたから、
その頃に過去の言い伝え的なものを掘り起こしたのかもしれん。
日本では持統天皇がキーマン >>120
半分で考える以前に神武含めた長生きさんたちは架空と考えるのが自然なのでは? 神道も太陽信仰だったりシャーマン要素あるから大和朝廷と卑弥呼につながりはあるだろうね
つながりというかあの時代の各集落にはシャーマンがいたんだろうね
まあ別王朝というか大和朝廷のほうが分家の可能性が高いけど >>122
天武天皇の息子でもだいたい40代で亡くなってるのにこれは嘘だね
人生50年どころか古代は30年や40年だよね >>105
ググったら出てきた
卑弥呼は神功皇后だと日本書紀にはある
まとめ
●日本書紀には「神功皇后=卑弥呼」と暗に示唆する記述がある(ハッキリとは書いてないが問題ないレベル)。ただし全て、中国の本の引用という形をとっている。
●卑弥呼は247年か248年に死んでいる。
●神功皇后は三国史記の記述や好太王の碑文から考えても4世紀に活躍した人物。同一人物であることはない(と思う)。
●しかし大和朝廷には同一人物であるという認識があった。
●仲哀天皇の死後、神功皇后がトップになったのは九州に「女王文化」があったから。女王だと皆が従う。それで九州北部を従えて朝鮮征伐をした。それが大和朝廷にとって大きな発展の転機になった。
●その際に、「神功皇后は卑弥呼の後継者」「神功皇后は卑弥呼の生まれ変わり」みたいな主張をしたのではないか。 長生きする人も中にはいるけど早逝してる天皇がいないのが1番不自然なんだよねあと親が極端に長生きなのに親が亡くなる時にはまだ中年ぐらいだから生まれた時の親の年齢が揃って高いのも不自然 >>145
日本書紀成立時点で全く比定出来るような人物がいなくて無理矢理女性繋がりで神功皇后の項にねじ込んだという事だ
それよりも神功皇后が征伐したという山門郡の田油津媛のほうが余程、卑弥呼やトヨの人物像に近い
名前が鬼道で人をたぶらかす姫って意味だからな 後漢の滅亡である220年を起点にして考えると、いろいろ辻褄が合う
問題は、考古学のC14を用いた年代測定法をこれに合わせようとして作為をしてること
これで、地方の方墳や円墳が7世紀の終末期古墳と混同してしまって、古い痕跡を見えなくしてしまってる 卑弥呼の話は神話的伝承にしとけばよかったのにね
三輪山や初期の前方後円墳である箸墓古墳が近い纒向遺跡を
結びつけておかしくなってる感じ。 卑弥呼がアマテラスだとしたら
狗奴国に負けて宮崎(ツマ国)に遷都。そこで日向三代があってその次が初代神武
宮崎の生目古墳の近くに殉葬100の古墳があるらしい >>118
「春秋二倍暦説(一年二歳論)」って議論に値しない仮説でまともな学者は誰も相手にしてない
一般人が天皇の年齢を突っ込まれた時にとりあえず使ってるが信憑性ないよ 倭の五王ってのはまだ天皇に当てられるけど、卑弥呼は別物だよな
天皇はちゃんといるけど中国に対しては巫女だか皇后だかが国の代表として応対していたとかあり得ないだろ 偉大な神武天皇が前7世紀設定なのに後3世紀に卑弥呼だもんな
1000年水増ししてるよねこれ >>154
倭の五王もかなり苦しいよ140年生きた仁徳が入るからどう合わせても合わなくなる >>147
現在は2倍歴説という有力な説があるから
卑弥呼=アマテラスでばっちり比定できるんだよなあ >>153
まったく信用性ないジャップ歴史会が「議論に値しないんだー」と勝手に言ってるだけで
2倍歴はイギリス人歴史家が最初に唱えた由緒正しい説なんだよなあ どこからどこまでが2倍歴なのかすらはっきりしてないのに あのな、卑弥呼は○○だっただろうとか、2倍歴とかな!!
当時の遺跡とか文字の証拠は一切ない全て後世から考えたデタラメだぞ 歴史資料的に神武は創作で確定してるんだから卑弥呼の時代にはいないよ
そもそも卑弥呼の存在自体がアレなんだからこれ以前の問題でしょ >>162
日本書紀には、卑弥呼も聖徳太子も出てこないしな >>162
まともな事典だといないと言い切ってるしな
素人が何言っても無意味
神武天皇
記紀の伝承にみえる初代天皇
天皇は127歳で死んだというが,実在とは考えられず,史実ではない。
出典:旺文社日本史事典 >>105
単純に卑弥呼と神功皇后では100年くらい時差がある
応神(4世紀後半に実在濃厚)の母って設定だし 言葉も通じない外人が海渡ってきて、
今日から俺が王様だから、って言って素直に従うわけないと思うんだけど >>168
そら一団引き連れて
なんなら言葉わかるやつも一緒でしょ >>118
倭人は暦を知らず、ただ春と秋の年季をもって
1年を数えるという魏志倭人伝の記述と
天皇の在位期間が非現実的に長いことからの学者の推理
在位期間が100年越えが何人もいるんだからそりゃあ変だろ?って感じるわな たかだか1800年ぐらい前の邪馬台国がどこにあったのかさえも
分からないとか日本って記録を残さなすぎじゃね。
なんかそんときの権力に都合の悪い記録は片っ端から燃やしでもしてたのかよって。 >>168
チンギスハンだってヨーロッパの言語なんか知らなかったろ >>174
ギリシャや中東や中国が凄すぎるだけでその頃の時代に何してたか分からないなんて大抵の地域では普通 >>174
文字がねンだわ
漢字書ける文官とかその頃いないんだわ 少なくとも後漢の時代から中国と交流してて物はいろいろ残ってるのに何百年も文字がわからなかったってのはかなりのミステリーだよねw
卑弥呼にしても倭の五王にしても中国政府とやりとりしてるってことは通訳とかはいただろうに >>151
実際は崇神か応神のこと。聖徳太子はいないけど厩戸皇子はいたというのに似ている
崇神
>実在した可能性のある最初の天皇とする説があり、考古学上実在したとすれば治世時期は3世紀後半から4世紀前半と推定される
> 御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと) >>152
3世紀後半なら卑弥呼の時代。4世紀前半なら日向三代の後の神武の頃
後者なら統計上、
古代は一代10年が平均なので卑弥呼の死後50年くらい。卑弥呼をアマテラスとした場合、ちょうど神武東征の時期に重なる 記録にある暦初伝が553年ってのもかなり不思議な話だよな少なくとも紀元前2世紀頃水田耕作が始まって700年も暦無しで稲作やってたことになってしまうその間暦のある中国と交流があったわけだし記録では暦は百済から伝わったことになってる
まあ日本が独自の暦を作れるようになるのは江戸時代だからそんなもんでもどうにかなったのかもしれないが 織田信長が朝廷から激しい反感を持たれたのが
信長が暦を自分で手をつけようとしたからだろ
暦は天皇の専権事項のタブーがあった、それを信長が侵そうとしたわけ
つまり6世紀まで暦がなかった=天皇の権力が完成したのは6世紀以降って理屈なんじゃないか?
それ以前の日本は独立国が乱立していて大和王権はその中の一つにすぎなかったってこと 卑弥呼の時代に天皇は居なかった
記紀は「郡評論争」でフカシばっかりだということが明らか
(ただし書記には百済の歴史書としての側面を否定するものではない) 戦国時代みたいな感じで九州の大名が独自に中国と交流していたみたいな感じなのかね でもそうすると今度は日本は2600年前から天皇が治めていたんだってファンタジーが崩れるのよね >>186
そもそも、そんなの信じている奴なんていないだろ?w >>188
建国記念の日な
神話が建国記念日ってのはおかしいだろとつっこみが入って
その日が建国ということでなくあくまで建国をしのぶ日ということになった >>190
他にも戦前の祝日残ってるからな実は何も変わってないんだよね >>186
2600年前から大和王朝があったとすると
紀元前7世紀からあったってことになるが
光武帝が倭の奴国の王に倭国王に任じた金印を授けたのは
紀元前57年
中国に残っている歴史書に明記されている史実と矛盾するってこと
つまり2600年前から大和王朝があったなんて嘘
あるいは2600年前に天皇は存在していたけれど、畿内のほんの一部の小国で
日本の王というようなポジションとはほど多く
紀元前57年の光武帝は現在でいえば九州の福岡県にあった
奴国を倭国の王と認めるくらい大和王権の力はささいなものだったってこと >>192
一応周代から記録はあるけどねまあ日本に記録が何もないから検証不能なのは卑弥呼も倭の五王も変わらんけど
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず
「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六)
周の時、天下は太平にして、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。 >>193
倭国がどれくらい古くから
中国人に認識されていたのかという話ではなくて
大和王権が日本を支配していた時期の話ね
倭の奴国が光武帝に倭国代表と認識されていた時代には
大和王権は少なくとも中国人には倭国の代表とは認識されるような存在ではなかったと言っているんだよ いまだに正確な名称を調べられない後進国ジャップランド
魏が勝手に『卑しい国の巫女』=卑弥呼と読んでいただけなのに
ドヤ顔で卑弥呼が~とか言ってるの見ると笑っちゃうよな >>186
ネトウヨがやたらに2倍歴を忌み嫌う理由がそれ
ネトウヨの逆が真実だから、2倍歴は事実だよな >>194
大和王権:顔に入れ墨文化なし
倭国一帯:邦を問わず顔に入れ墨文化あり
完全に違う民族だわ 卑弥呼の時代から記紀がかかれるまで400年以上あるんだから入れ墨文化がなくなることくらい余裕でありうるだろ
身體髮膚受之父母不敢毀傷孝之始也なんていう中国の文化をうけいれればなおさら >>198
記紀の入れ墨のことが書かれていないだけじゃなくて
畿内から発掘される埴輪には入れ墨がない
たとえば縄文土偶には
入れ墨と見られる模様があるんだよ >>195
井沢元彦「卑弥呼は日巫女だったんだよ!!!」 >>199
縄文土偶って古墳時代とはめちゃくちゃ時代差あるじゃん
土偶埴輪の様式が変化しただけじゃないのか
入れ墨の文化に地域差があったとしてもそれだけで民族のちがいともまったく言い切れないし
奄美沖縄にはつい最近まで入れ墨の文化があったけど言語的には本土と同系統だし >>201
すくなくとも畿内からは
縄文土偶が発掘されていない
縄文人の生活圏は畿内になった 記録はあったよあったんだけどなぁ~乙巳の変で燃えちゃったんだよてへぺろ☆ 埴輪の入れ墨模様はふつうに見られる。
大和王権の故郷とみられる纏向周辺出土の埴輪にも顔に入れ墨模様がある。 入れ墨ではなく、化粧の可能性もあるが。
古墳から出土する埴輪の顔に模様が入るのはふつう。
関西でも関東でも。 >>205
〇〇 埴輪 刺青
で画像検索すると出てくる
〇〇には好きな地名を入れる >>198
600年の時点で、占いで政治決めてる宗教国家なのに、民族・宗教的なアイデンティティがホイホイ消えたりしないよ >>205
信頼のおける機関による記事つき画像としては、
「奈良県立橿原考古学研究所付属博物館」サイト内の「石見遺跡の入れ墨の男」
「神戸市埋蔵文化財センター」サイト内の「住吉宮町古墳群の入れ墨の男」
などがおすすめ >>205
いまのところ最古の人物埴輪とされるのは、奈良県桜井市から出たもの。
4世紀末と推定される。
これも入れ墨の男
桜井市は、纏向遺跡がある場所で、大和王権の故郷と推定される場所。 まあ、とにかくだ
故武帝が金印を送って倭国王にしたのは
大和王権ではなくて福岡県にあった奴国の王だったからな
大和王権は紀元前57年には存在していなかったか
少なくとも九州までは支配領域を広げていないし
漢にとっては倭国の代表と見られるような存在ではなかった 埴輪から復元すると
大和王権の古墳時代のファッションは
みずら髪(耳の前で縦に束ねる)
あごひげ
顔に入れ墨
ピアス
ネックレス
前をリボンで合わせる上着で、袖にフリル
どこを目指しているのか不明で、真似したくない感じなんだな >>209
占いで政治決めてるってなににかいてあるの?
ファッション的なものってもっともかわりやすいもんだろうし別に民族的宗教的アイデンティティーなんていう重いもんじゃなかったと思うが
ざんぎり頭で洋装して鹿鳴館でダンスするようなもんじゃね
隋書倭国伝にも最近ファッションがかわったってことがかいてあるくらいだし 邪馬台国と大和国とか倭と大和で似てるせいでよくわからないよな
全然別だったら全然別の国だろってなるのに >>215
九州にあった邪馬台国が後の世に
畿内に引っ越した説がある
グーグールで
「九州と畿内 地名 一致」で検索してみれば
たぶん九州にあった勢力が畿内に引っ越して、畿内に
九州でつけた地名をつけたんだろうなということが推測できる >>216
東征って奴でしょ?
でもそれだと卑弥呼だったのが天皇になったのがよくわかんないんだよな >>217
卑弥呼は子なし
魏志倭人伝に書かれたころは
すでにかなりの年齢ってなっているから
卑弥呼の子孫が天皇になったわけじゃないのは確かだろう >>219
最近こいつみたいな言葉だけで思考停止するバカが多いよな >>171
天皇記が存外正しくて、(神武〜崇神 垂仁〜仲哀 応神〜安康 雄略〜武烈 が交代王朝)
紀元節を辛酉革命説で無理やり決めたので、それに合わせる為に
強引に前半部分の滅亡王朝の人物の寿命を有り得ないくらいに伸ばした結果だと言う説もある
前半部の登場天皇を人並みに均すと神武即位が三世紀の後半辺りになって
年代的にも合致するらしい。 >>154
せいぜい武だけだし武も皇帝様に尽くしてきたのだからお役職下さいませーってなもんだし中国に最高権力があると認識していた >>214
第一回遣隋使の時の記録
遣隋使が国のあり方を問われて答えてる >>216
日本書紀は、いわゆる大化の改新以前の大半部分がつじつまあわせのフィクション小説
残りの部分は乙巳の変以降の体制の正当化 >>223
上令所司訪其風俗 使者言?王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理
云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之
これのこと?
占いとはかいてないじゃん >>168
白村江まではむしろ朝鮮半島とは蜜な関係なんだから
言葉も文化も共通してたようなもんだったはず >>226
むしろその頃まだ朝鮮半島にいたんじゃね? >>168
南米のスペイン人みたいな感じだろうな
それか優れた稲作技術とかをエサにして従わせたか >>185
筑紫の君磐井や大王になる前の継体も半島に独自のパイプがあったことをウリにしてたしな 確かな記録が残ってるのが漢字が渡来した後とか普通に北センチネル島だったんだろじゃっぷ 無の世界
↓
いきなり神が現れる(いろんなのが出ては消えを繰り返す)
↓
7番目にイザナギとイザナミが出る(兄妹でもあり夫婦)
↓
槍で地上をかき混ぜて淡路島ができる
↓
やりまくっていろんな神ができる
↓
火の神を産んだときにまんこが焼けて死ぬ
↓
死者が行く黄泉の国までイザナギが行くけどひどい姿を見られて喧嘩になる
↓
ひどいところに行ったやれやれ、と戻って顔を洗うと左目から天照大神、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが産まれる
↓
中略
↓
天照大神の子孫が天皇になる 日本なんて書物とか残ってて明確に文明ができたのは7世紀以降でかなり後発の国だしな
天皇もその7世紀ぐらいから始まったんじゃないの >>236
その辺りの天武天皇が天皇名乗ったのが始まり 現代が生んだ悲しきモンスターブサイクインセルwww 有史以降最初の史書が7世紀とかな、南米かよと泣けてくる 木簡なんかにしても1番古いのが飛鳥時代あたりでそれより古い文字って金石文しかないからなあ >>227
実際は1600年くらいだからな。
神武天皇は広開土王と同世代 まだ朝鮮に居たよ 倭国大乱の時代に朝鮮半島から渡ってきたと思う
神武酋長とかいうのはウソ 漢字も輸入されてないしな 卑弥呼が天皇なら男系天皇歴史完全に大嘘じゃんwwwwwwwwwwwwwww 男系女性天皇は過去に何人もいたんだからセーフかもしれないよ卑弥呼に子供はいなかったから壹与は知らんが 争いが絶えないからという理由で酋長連合が打ち立てた時点でそれまでの王家ではないね
酋長連合の持ち回り頭目が回ってきただけ >>247
いやいやw
だからさw
日本を統一していた王朝なんてそれ以前にもなかったんだよ
邪馬台国一国の王にすぎなかった卑弥呼は
魏から倭国王の称号を得たことで、建前上は他の王よりも
1つ頭が抜き出ただけって話だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています