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富山県水墨美術館企画展「白洲次郎・白洲正子〜武相荘 折々のくらし」から…“二人が暮らした武相荘”とは

富山県水墨美術館で開かれている「白洲次郎・白洲正子〜武相荘 折々のくらし」の見どころを紹介するシリーズ。
最終回のテーマは「武相荘」です。
次郎と正子が暮らした邸宅の品から、二人の世界観に迫ります。

武相荘は東京郊外、現在の町田市にある茅葺きの農家です。
次郎と正子は、東京で空襲が始まった昭和18年に引っ越してきました。

「ぶあいそう」と名付けたのは次郎で、武蔵と相模の境にあることと、愛想の無い”無愛想”をもじってそう呼びました。

*次郎と正子の義理の息子 旧白洲邸 武相荘 牧山圭男館長「田舎に住んで、“いざ鎌倉”という時は国のために出てくるという、イギリス流の『カントリージェントルマン』という暮らし方をあこがれていたのかもしれない。食糧難になる。戦争が悲惨になってくると。それとロマン。田舎に住んでいざ鎌倉っていう両方の意味で、どこか東京に近くて、より安全で、しかも食べ物が手に入って幸せに暮らせるところっていうのは、ひとつの夢だったんだと思う」

正子の書斎を再現した部屋です。
愛用のメガネや文房具のなかでも、李朝の水さし(白磁桃形水滴:朝鮮・朝鮮時代)は、原稿に行き詰った時に手に取って心を休めていたといいます。
正子の息遣いが伝わってくるようです。

次郎と正子は田舎暮らしを愛し、楽しみました。
目利きで選んだ品々。
それらを、移ろいゆく季節に合わせてしつらえる喜びを感じていたのかもしれません。

*旧白洲邸 武相荘 牧山圭男館長「白洲正子、二郎が大切にしてきたものを展示してあるが、それを愛でてほしいのではなく、こういうものを長い事かかって集めて楽しく暮らしていた。その雰囲気を味わっていただきたい」

「白洲次郎・白洲正子〜武相荘 折々のくらし」は、県水墨美術館で7月3日までです。