指揮者👈(ヽ´ん`)でも出来そうだよな [394133584]
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実際いるのといないので比較したこと無いだけで
いなくても大した影響なさそう ♪チコタンチコタンチコタンチコタン♪
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(_ _)(_ _) ( ∩ミブンブン(_ _)(_ _)
| ωつ,゙
し ⌒J 棒振るのは最後の仕上げ
アレンジから人選からやるんだぞ 意外と面倒ようやるわ
安倍さんみたいに責任はとるものではない精神を持たないと持たない 練習の段階が重要なんだろ
最終的には指揮者がいなくても演奏できるくらいに練習の段階で指導するみたいな 勝手にトランス状態になってりゃいいだけだもんな
気楽な商売だよ YouTubeの音楽に合わせてお箸振るのが指揮者だと思ってる?
ケンモメンがいきなり指揮台に立っても奏者全員普通に楽器片付けて帰るだけや笑 >>1
指揮者が棒振るだけのお仕事やと思ったら大違いなんやで 確か何らかの楽器出来ないとなれないんじゃなかったっけ? >>8
でもあの踊りで演奏に違いが出るとかゆってるじゃん だめな指揮者はあっという間にオーケストラメンバーにナメられる 指揮者が演奏するわけでもないし奏者に舐められてそう 指揮者が譜面に修正入れたり、その譜面が後の人達に受け継がれたり、ということもあるらしい
割とフットワーク軽いんやね Great conductors in rehearsal
https://youtu.be/0otfQGoU13U Conductor Fails Compilation
https://youtu.be/BUirnM8PnOM カラヤンなんて怖い顔して時々手をグッってしてるだけだしな ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調
(レナード・バーンスタインpiano&conductor/フランス国立管弦楽団[LIVE])
https://youtu.be/CR7BAhc8P70
指揮者がどうのこうのはともかく
名曲の名ライヴなので時間あるならぜんぶ見るのおすすめ 小学生の頃鼓笛隊とかやったけどさ
アレの棒振ならできそうだな >>26はまさかにして俺のことではないとは思うけど
とりま>>24を補足すると
このレニーの弾き振りライヴは見れば誰もが思わず愉しくなれるのよ
0:25-8:50-19:45-
特に楽しい第3楽章は「ゴジラのテーマ」が聞こえるし
また第2楽章も協奏曲でも屈指の美メロで知られる
もちろん初楽章からレニーはノリノリ ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調「革命」op.47
(レナード・バーンスタインcond/ニューヨーク・フィルハーモニック[1979東京文化会館LIVE])
https://youtu.be/jiaiS4nupYc
よく知られる最終第4楽章40:05-からを見よ
レニー、ほんとノリノリである ミスタービーンであったけど、実際あんな感じで演奏してくれるのかな 演奏者が合わせるんだからお前はパークマンサーのノリで踊ってりゃいいよ プロのオケなら指揮者がいなくてもコンマスのザッツでとりあえず譜面通りに演奏はできる
だから指揮者は指揮者なしの演奏以上のものをオケから引き出せないと無能のレッテルを貼られて次呼んでもらえない >>29
オケが指揮者を出し抜くというのもある
つべでconductプラスfunnyとかprankとかsurpriseとかで検索するといろいろ
ひとつおもしろいの…ベト8リハがこんな感じに
(フランソワ=グザヴィエ・ロトcond/ケルン・ギュルツェニヒ管)
https://youtu.be/2Vz2VMwUTRs 楽譜に書いてある指定のテンポで棒降れないから無理
メトロノーム以下 >>32
このレスの前半について…そもそもクラシックの歴史において
専業指揮者ははじめからいたわけではない
「コンマス」はコンサート・マスターで
ふつうは第1ヴァイオリンの最前列に座るトップの弾き手が務める
(また指揮者と楽団員のあいだで相互の意思疎通の仲介役も担う)
「ザッツ」はドイツ語Einsatzの略で
この場合は「音の出だし」程度の意味
専業指揮者の誕生は管弦楽の大規模化、複雑化に求めるのがふつうだが
しかし思想的にもフロイトや資本主義に絡めつつ論じることもできる
…このあたりはまたクラシックスレが立ったらその機会にでも 恥ずかしさが勝って棒立ちでロボットのように振る(ヽ´ん`) >>1のスレタイは最近のクラシックスレでは良スレタイだから
俺も良いスレにしようと良レスしようとがんばったけど
ダメだったかなあ
世界的オケ…例えばベルリン・フィルにおける
その前首席指揮者のサイモン・ラトルがそうだけど
ただの指揮者ではなく芸術監督として積極的にプログラム編成に関わる
またスポンサーを募りつまり資金を集める役割も
つまり実務的プロデューサーも兼ねている
大変ではあるんだよ 例えば
https://www.hmv.co.jp/news/article/1001050001/
このラトルへのインタビューを読むと分かる
ただ楽譜に向き合い楽団員に向き合うだけでは済まない仕事が指揮者にはある ね、コミュ障の(ヽ´ん`)には無理でしょ?
23時 あいつら何十個ある楽器が同時に鳴ってる音程を瞬時に見分ける異能力者だぞ
キチガイのレベル バレンボイムって頭ン中宇宙かってレベルで博識で記憶力驚異的って聞いた事ある >>41
天賦の才に恵まれたピアニストの
指揮者への転身/指揮者との兼業は他にも枚挙にいとまがない
古くはハンス・フォン・ビューローから
セル、ショルティ、アシュケナージ、エッシェンバッハ…etc
レニーもこの並びに含めるにやぶさかでない >>40
ピアニスト以上に作曲者というものが
そもそも指揮者でもある
さんざレスしてるレニーは交響曲や「ウエスト・サイド物語」の作曲者だし
フルトヴェングラーも自身作曲者であることを強調する
遡ればマーラーもメンデルスゾーンも作曲者にして指揮者であり
ベートーヴェンは「運命(第5交響曲)」「田園(第6交響曲)」の初演で
みずから指揮を振っている 酔いながらの@キリン本搾りグレフル
「ポリタスTV」見ながらの
(いま公開中の津田大介=青木理@石和温泉…あした19時まで無料だし必見)
レスなのだけれど…われながら良いレスしてるなあ
スレタイが良い問いを呈示してるからスレの流れも自然と良くなる
これがただヲタを喜ばせるような
名作、名盤スレみたいなスレタイだとダメなのよね 若い頃の小澤征爾はあんまり好きじゃなかったけど、90年代後半から2000年代前半はすごく好きだった
体から音楽が立ちのぼる感じがしたわ >>45
実は俺はオケはあまり聞かないから詳しくないんだけど
小澤はレニーにもカラヤンにもかわいがられたんだっけ?
たしかに初期の褒められ方は
いわば極東ジパングから純朴な青年が来てくれたよ的な
ある種のオリエンタリズムな扱いだったろうけど
しかし小澤自身の音楽に対する純朴、純粋、素直さは疑いようがない
ウィーンやボストンで大歓迎されるのも十分に納得できる理由がある ちょっとポリタス見てるからつべは調べられないけど
小澤のリハをつべで見たことがある
人称も時制もめちゃくちゃな英語だった…しかし
そんなことで楽団員は小澤にシラけたりナメたりしない
むしろ楽しそうでさえあったと記憶してる 指揮者、っていうより、演出家だろうからな
本番は指揮者いなくてもコンマスいれば大丈夫、たぶん ゲルギエフはこのまま干されるのかね?
確かにプーチンの友人でありロシアオリガルヒの庇護を受けてるだろうけど
それで干し上げるのはファシズム以外の何物でもないだろう 指揮者に限らず監督とかディレクターでも
現場の能力が高ければ素人でもやれる
まあ最低限の仕事の流れは知ってないといけないが
その程度ならすぐ覚える この前nhkで「指揮者無しの第九」の企画の追っかけドキュメンタリーやってたけど
中々しんどそうだったぞ あれでゲルギエフは楽団員からすると演奏しやすいと聞いたことある
俺はゲルギはプーチンに近すぎたし
更に言えば戦前の昔からプーチンに近いことを批判されてるし
それをみずから知っていたその上でその批判に対して冷笑的な対応をしていた時点で
西欧オケから干されてもそれをファシズムとは言えないと思ってるよ
現代のオケは企業スポンサー抜きにはありえないし
その企業は社会的責任を果たせと言われるわけだ
もちろん個々人の会員もいる
かれらに説明の付かないことは出来ない
それを抜きにして純粋に音楽だけうんぬんなんてのはどうもね 指揮者なんだから奏者が存在意義認める程度の棒振りしなきゃいけないわけ 吹奏楽部の集まりでそれを突然大声で言って
美少女部員たちに汚物を見る目で蔑まれたい 吹奏楽は指揮者じゃなくて指導者だから
指揮なんて俺でもできるなら大丈夫だけど、吹奏楽部の指導くらい俺でもできるなんて言ったら袋叩き確実
連中は教祖を冒涜されたと感じるからな >>59
これは俺のなかにはなかった視点でおもしろい、なるほど なんかNHKかで指揮者なしのやってた気がするけど嫌儲しながら無音でチラ見してただけだし結末知らん >>63
このすでに終わってるの典型がカラヤンの映像もの
カラヤン指揮下のベルリン・フィル団員ものちに
特に映像収録時はやりにくかったと回顧している だから逆に言えば
団員にとってやりやすい指揮/者というのは
決して練習の表現としての本番という…つまり「終わってる」指揮というのではなく
本番ならではの流れや偶然に対して
うまく団員を乗せてくれる指揮/者の力量というのがあるということ
だから決して「立つときには終わってる」というわけでもなく ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています