安帝 (東晋)

一切の意思表示ができないという重度の知能障害児であったが、太元21年(396年)に父帝が殺された後、皇帝として擁立された。
安帝自身は政治を行なえず、最初は叔父の司馬道子・元顕父子による専横、399年には孫恩の乱が勃発、元興元年(402年)に司馬道子父子が桓玄の反乱で殺され、翌元興2年(403年)には桓玄に禅譲を迫られて帝位を追われるという有様であった。
翌永始2年(404年)に「楚皇帝」桓玄が殺され、劉裕の助力のもとに復位したが、今度は劉裕の専横を許すことになった。そして義熙4年(418年)に劉裕の手によって殺害された。齢37。
子はいなかったという。