どうして卑弥呼の神社って昔から無かったの? [769450319]
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卑弥呼のナゾが解けるか?「吉野ヶ里」10年ぶりの本格発掘始まる - RKBラジオ / 田畑竜介Grooooow Up | RKBオンライン
https://rkb.jp/article/104442/ 神ではないからな
それすなわち、後継者との間で怨恨があったっつーわけだ
歴史は勝者が作る物なんで、何かトラブルがあったと見ていい 壱岐かどこかに卑弥呼に仕える神社なかったっけ?
さがせば福岡あたりにあるでしょ 題名に掲げたように、日本の神社の分布を細かく調べてみても、 「卑弥呼」神社がどこにも、見出せないのに気づく。
むろん「卑弥呼」が「鬼道」で人を「惑わす」巫女であるから、神道の神ではない、ということも出来る が、「魏志倭人伝」で語られるような、
ある「国」の支配的な「首長」的存在であるならば、鎮魂の意味でも、そこの地元の人々が祀らないはずはないのであ る。
『記紀』に出てこない、人々に恐れられた神々、竜神、雷神、閻魔大王、鬼子母神、あるいは鬼の類であろうと神社がつくられている。
後に検討するが、民 俗信仰にぞくする山姥、オシラ様等々の女神の中にも、「卑弥呼」らしい存在は見出せない。
やはり最初から神々ではない、聖徳太子、柿本人麿、菅原道真、平 将門、崇徳院、楠木正成、新田義貞などの存在であろうと、
神社に祀られているのである。どのような「卑弥呼」であっても、一度「王」となった存在は、記憶 に残されないはずはないのである。
どこかの場所で言及されないはずはない。しかし「卑弥呼」もしくは、それらしい存在の痕跡は、一切神社にも、
またお寺に も(仏教は六世紀以降、日本に入って来たものだから、これは当然かもしれないが)、見出せない。
それは一体なぜであろうか。とくに『万葉集』にそれを推測 させる歌が一切ない、というのも「卑弥呼」「王」の不在をよく感じさせる。 同じ中国の史書、司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列 伝」に書かれた物語から発した徐福の伝説は、日本に数多くの地方に残されている。
神道の神でも日本人でもない、「徐福」のような人物でさえ祀られ ているのである。「卑弥呼」よりもっと前、「弥生時代」に秦からやって来たとされる伝説上の人物にも、
徐福神社が各地につくられているのだ。「徐福」は決 して神とは言えないにもかかわらず、である。名高いのは新宮市の阿須賀の神社で、
そこには立派な鳥居と共に、この異郷の人物を、神社の祭神にしているので ある(18)。
徐福ほど有名でなくとも、例えば、滅んだ百済から逃れてきた王 族、禎-嘉王が宮崎県の美郷町南郷区に、
その子の福智王が約九十キロ離-れた木城町に住んでいたと-され、死後それぞれが神として祀られるようになっている。
むろんこの百済の王たちも神道には関係がない。それ にも関わらず、百済王一族を慰めるために、
「師走祭り」という例大祭さえ、地元で行われているのだ。例祭当日、村民が参加して父を祀る神門 神社と子を祀る比木神社の間で親子の対面を再現するという。
これであっても、ただの伝承からう まれた神社であり、それに基づく例大祭が行われているのである(19)。
百済からでなくとも、新羅や高麗など、朝鮮から来た人々を祀る神 社もあることも知られている。
「卑弥呼」が、「倭の大乱」があったあと、それを平定するために、その首長の地位についた存在であれば、
どこかに神社か、祠 にその存在が記されているはずなのに、それが存在しない。また「卑弥呼」の宗女の台与も「王」となっているが、
こちらもどこにも祀られている形跡はない。 よほど日本各地の地元の人々に憎まれていたのであろうか。しかし憎悪も、鎮魂の意味で、神社か祠かが造られるものである。
では「卑弥呼」とかその娘の「台与」とかが、日本名ではないから、別の名前で、どこかに祀られているはずだ、という学者もいるかもしれない。
この関連が もっとも取沙汰されているのは、一番時代的に近いとされる神功皇后の存在である。 >>7
日本で抗争に負けた方をも神として祀るのでそれは無い 時代ズレてんのにいまだに吉野ケ里が邪馬台国とか言ってんのかよ >>14
どうせならビルヂングとゆってもらいたかった 古事記や万葉集の時点でもう歴史から消されてるようなものの記録が残ってるわけがない
神社で誰祀ってるみたいなのも、古くからある神社は後付けで上書きされてるとこも多いはず あるんじゃないの?
卑弥呼って名前じゃないんだろうけど >>13
何このトンデモ
魏志倭人伝はでたらめだといいながら
卑弥呼は神功皇后w
あたおか 女とか穢らわしいじゃん
だいたい神聖な場所は女人禁制
非処女になって用済みになった女の神社建てる方が不自然だろ 卑弥呼 卑(いや)しい巫女
邪馬台国 邪(よこしま)な国
中国とかが付けた侮蔑を込めた呼び名だろ 昔の中国人てヘイトスピーチ好きだよな
鮮卑とか匈奴とか卑弥呼とか
今は紳士なのにな 侮辱は当て字なだけだろ
土人なんだから当然
音としては尊い 比美乃江とか日宮神社とか氷見とか表記がブレまくってる怪しい たとえば日巫女だったとしてもそれも名前じゃなくて役職だし
菅原道真を祀る神社は菅原神社ではなく天満宮なんだし卑弥呼を祀る神社があったとしても
役職でも名前でもない名称がついてるんだと思うよ ただの一地方国家の王に過ぎないからでしょ。たまたま中国の記録に残ってたって程度のもんだし つまり日本人は卑弥呼の本当の名前すら知らないってことだよな? >>15
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ビコならイケメン&美少女
ヒは日か火か 「我々は書物から多くの技術や知識を学ぶ。彼らは全生涯を文字の意味を理解することに費やす。」 ―ルイス・フロイス 神社のシステム自体もっと後のものだろ
アニミズム的なものでしか無いよ これ、ただの女系天皇だぞ
天皇は平和を祈るシャーマンだからな 卑弥呼自体はたまたまその時に力を持ってただけかもしれんけど、
宗像三女神とか元々は旧王朝の有力者を祀ってたんやろうしね >>48
こういう神域にカミを降ろしたんであって
神社作って祭神を祀ったわけじゃないんだよなあ >>34
国造りの神に侮蔑を込めた呼び名を付けるジャップにふさわしいとしか 伊邪那岐、伊邪那美 天照大神を祀る神社ならいっぱいある。
卑弥呼=日巫女=大日霊女命=天照大神だね
神武天皇の 曽曽曽祖母くらいかな ここら辺って今の最新の学会ではどうなってるの?
いやまあ人文系の学会の限界はあるだろうが、それでもその辺のおっさんの妄言ではない話が聞きたい 八倉比売神社(徳島県)
祭神大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神の別名であるとする
社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。 >>59
まだ日本列島に天孫降臨する前、倭人が朝鮮半島に居た時の女王だね >>60
吉野が里遺跡に実際の発掘物と
柱痕から推測した実物大の集落を作って検証してるから
興味があるなら行ってきたら?
学芸員もあらゆる年齢のがウジャウジャいて足止めてると
囲まれるような状態。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/53/34/src_11533458.jpg >>63
おお、たしかに吉野ヶ里は行ってみたい、写真サンクス >>59
天照大神ってつまり太陽信仰ってことだもんね
稲作やってたから
それに仕える巫女がいたということだね 日食起きたりしたからだろ
都合よく卑弥呼を毒殺なりしたが
明治維新以降に正式に帝統治に戻す時にあれなんで慌てて歴史を作ったりした
スサノオとか大国主に対抗するのに天照大御神とか卑弥呼をひっぱり出してきた
そもそも明治天皇辺りが入れ替わってる説あったろ
大国主=スサノオって定説は結構多いのに
卑弥呼=天照大御神説はまだ憚られてる感じがあるし
そもそも蘇我とかが元々の大王とかで
中大兄皇子と中臣鎌足とかが乗っとって帝の入れ替わりが大化の改新だと思う
蘇我入鹿も聖徳太子として利用されたりとか
聖徳太子が暗殺されて蘇我入鹿ってされたりとかだと思う >>34
邪(zia)と耶(jia)では音価が違ったから
普通に正しく音写しただけだと思うが
ziamˠaXʔiɪt̚ ズィアムガイトゥ(邪馬壹)國だったんだと思うぞ
現代日本人が勝手に邪を「や」と発音してるだけで
「卑弥呼」も別に変じゃない
ヴィマラークシャという名前のお坊さんは「卑摩羅叉」と音写されてるし ヒミコの時代
墓を作るとき人も一緒に生き埋め
垂仁天皇、なぜかここだけ記述のレベルが高いけど
この天皇がこの土人習俗を撤廃、埴輪に置き換える
論理的つながり 邪馬台国 卑弥呼は入れ墨の風習があったわけだから
縄文系(アイヌ、琉球系統)の民族だろ
半島からわたってきた民族にぶち殺され奴隷にされたんだろうよ >>60
吉野ケ里遺跡は魏志倭人伝の邪馬台国の時代にはもう衰退してるのがわかってるんでかなり苦しくなってる
1世紀くらいズレてるんで九州説はまた「邪馬台国は〇〇にあった」みたいなアマチュア史家の珍説が乱立しててわけわからん状態 一番強い場所が共立されたんなら謎にならないよな
>>20
逆に最盛期を過ぎていたからこそ共立されたという説もある
村山総理が共立されたときの社会党みたいなもん。それだと後に何が起きたか謎となりやすい >>34
『魏志倭人伝』は上古音だと考えられるから
ヒミコも本当は
pem-nə[r]qʰˁa/ ペムナ(ル)カ(卑彌呼)だった可能性が高い >>72
それ言い出すと吉野ケ里を邪馬台国だっていう意味もなくなるんだよな
近畿以外にもでかい環壕集落が見つかったから何十年も前に大騒ぎになっただけで 神武から欠史八代が全部嘘っぱちで、神武≒崇神だったとしても、
天照大神のモデルになった人物(もしくはその伝承の成立)は卑弥呼よりだいぶ前なんじゃないかな
もちろん、元々卑弥呼を祀っていたところに後付で天照大神を祀らせたってことはありうるだろうけど >>76
そもそも卑弥呼は巫女であって祀る者であっても祀られる神ではない
大和朝廷の記紀神話の神/天皇に無理やり当てはめる解釈はなんぼなんでも無理がある 寒冷化が起きて世界的にも民族史が大変革した時代だから渡来人に征服されて大陸式の歴史改変が行われたんだと思う
当時の日本は識字率も低くて歴史書を伝聞する能力を持たなかったから卑弥呼の国は無かったことにされた
当時の中国人はモンゴルとか満州人を安定的に従える力はなく侵略される側だったし、渡来人が非中華系であれば卑弥呼の国だけが朝貢させられてたのも辻褄が合う
天皇系の血筋はモンゴル満州系だったと そもそも神社の概念がなかった
これはその通り
豪族であっても
ヤマタノオロチのように神として
祀られる場合もある
日本最古形式の神社もヤマタノオロチだしな 基本的に山にある製鉄所の入り口が神社、
魂を崇める場所が古墳
どちらも山だな アマテラスはモモソ
宮中で大物主とアマテラスが祀られてたのは
その二人が皇祖だったから
つまりハツクニシラス一族が奈良に本拠地を定めるきっかけとなった婚姻の
一族の娘がモモソ、地場の有力者が大物主、この夫婦神を宮中に祀ったが
祟ったので二柱の皇祖神を宮中から追い出した 明治維新というクーデター以降日本は自由は奪われたんだよ 都合の悪い地域は実質お取潰しだ そもそも神社は宗教施設ではないよな
成り立ちからして政治色の強い施設 天皇ではなく大王の時代、
家の中に墓というか祭壇を作って隣の部屋で寝てたんだよね
それを追い出したのはわかるんだけど
天照が何かは断定できないと思う
つまり、伊勢神宮の地下に男根を埋めているのは
夫婦神が習合されたものなのか、
女が男だったのか、
伊勢神宮に車では風や嵐、つまり龍の化身ではあるが
いつから太陽神が加わったのか
それはもともとその土地の神だよね YHVHと呼ばない様に
天照大神と呼ぶのは憚って日の巫女とかから卑弥呼とかって呼んでたんじゃね?
あとは太陽自体を神としてて
段々卑弥呼と合わさる感じになって天照大神って神が生まれたとか >>88
倭迹迹日百襲姫命には夫がいるから卑弥呼じゃないぞ
>乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。 >>91
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当時の政治的な判断ででかく書かれただけで実際はそんなたいしたもんじゃないだろうな 伊勢神宮が事実上卑弥呼の神社だよ
伊勢神宮については右派的にも左派的にも都合が悪い部分があるからその知名度と重要性に対して高校までの日本史や
マスコミであまり扱わないからよくわからなくなってるけど
伊勢神宮の初代斎宮にあたる人物が卑弥呼で
その後継者として名前が出てくる台与(トヨ)が
伊勢神宮の外宮の祭神の豊受大神かつ日本の史書上の初代斎宮の豊鍬入姫命で
それまで宮中で祀ってた祭祀をトヨの代で宮中から離れたところで祀るようにして色々場所移してみたんだけど
トヨかトヨの次代の倭姫の時代に伊勢に落ち着いた
って話が日本の史書にも書かれてて
その後現代まで一応皇族女性が斎宮に就くって歴史が続いていくわけよ
トヨの代あたりで男の支配者の方に現実の権力を集中させる
体制になってきて
いろんな勢力から適度に距離が離れた伊勢の地が祀るのに適した土地だったということよ
それで今でも歴史が続いてるけどそのかわり歴史の表舞台からは事実上神話時代に消えた >竜神、雷神、閻魔大王、鬼子母神、あるいは鬼の類であろうと神社がつくられている
>聖徳太子、柿本人麿、菅原道真、平 将門、崇徳院、楠木正成、新田義貞などの存在であろうと、
>神社に祀られているのである
>神道の神でも日本人でもない、「徐福」のような人物でさえ祀られ ているのである
>百済の王たちも神道には関係がない。それ にも関わらず、百済王一族を慰めるために、
>「師走祭り」という例大祭さえ、地元で行われているのだ
なるほど
卑弥呼にはないというのは確かにおかしいな
いくらでも作ればいいのに
別に根拠なんか必要ないし >>97
天照大神は日本国臣民を奴隷として魏に献上してた売国奴なのか 対立する権力に消されたとしか思えんね
まあ流れを考えると朝廷以外にないけど でも元々の土着の神道って
宗教的な対立概念が成立しないと思うんだよな
全てその神道的世界に内包されちゃうというか 全国津々浦々ショボいところにまで天満宮があるのも不思議だよ >>107
思ってる聖書じゃないだろけど日本書紀と古事記がそう 卑弥呼は「ひめみこ」の当て字として
じゃ壹与ってなんなんだという >>95
魏からしたら「こんなデカい国が俺たちの配下なんだぜ」って言いたくなるだろ
纒向遺跡が出た以上、邪馬台国畿内説の場合は実際デカい国でヤマト王権のルーツってことになるし、九州説の場合はヤマト王権とは無関係の滅んだ小さい国ってことになる >>114
卑弥呼がアマテラスで神武が卑弥呼以降の人物だとしたら? そもそも卑弥呼の時代の辺りって特定の誰かを祀るみたいなあり方はあったんか?
邪馬台国が大和朝廷の元なら奈良時代からでも祀っていたりしたんだろうけど その時代だと石や木とか自然物がご神体の場合が殆んどだろうな >>107
仏教からの派生
仏教に神道(じんどう)ってのがある 卑弥呼より古い徐福でさえ祀られてるのに、っていうけど
徐福はだいぶ時代が降ってから伝説を基に祀っただけだろ
卑弥呼がなぜ伝説として語られなかったかと言えばそれは
大和朝廷にとって不都合な真実だったから消されたとしか >>118
ない
沖縄の御嶽と同じ
祭神を決めるようになったのは仏教の「本尊」の影響で律令体制から 当時じゃなくても作ればいいじゃないか
昭和になってから作った、後鳥羽上皇を祀る隠岐神社みたいに
そういうのすらない 卑弥呼は神道より前のアミニズム時代だからじゃないの >>124
別に今から作ってもなぜ歴史の過程で作られなかったのか
の解明にはなんの足しにもならないな >>122
邪馬台国が朝廷の対立権力だったって考えるのが自然だよな >>122
〇〇〇より古い徐福でさえ祀られてるのに、っていうけど
徐福はだいぶ時代が降ってから伝説を基に祀っただけだろ
〇〇〇がなぜ伝説として語られなかったかと言えばそれは
〇〇〇〇にとって〇〇〇な〇〇だったから〇〇〇たとしか (´・ω・`)卑弥呼が天皇だったら男系天皇の歴史大嘘になるもんなwwwwwww >>114
> 魏からしたら「こんなデカい国が俺たちの配下なんだぜ」って言いたくなるだろ
扱いがめちゃくちゃ小さいんじゃなかったか?
そんなに大国扱いはされてたらもっと詳しく書かれてるんではないか?
金印もらってるってことは扱いは悪くないのかも知れんが。 >>124
卑弥呼=日の巫女とかだと太陽とかと関わる感じになって
天照大神を皇祖神にするのに都合がまずい所があるんじゃないか
素戔嗚尊はあれでも月読命も名前に月があるせいかイマイチ分からないだろ
仮に天照大神が元々太陽とかだった場合
何で日(太陽)を祀る巫女の国が滅んだのかってなる
そうすると大抵は対抗勢力が乗っ取ったってなるからな
蘇我入鹿が卑弥呼一族とか国津神一族で
中大兄皇子とかが蘇我入鹿を殺めて
正当化する為卑弥呼とかを元に天照大神とかを作ったとか
もしくは神功皇后とか応神天皇までは卑弥呼一族だったが
中大兄皇子と中臣鎌足が大化の改新で
本来長である蘇我入鹿殺めたんで邪馬台国とか卑弥呼を出来る限り無かった事にしたとか
天照大神=太陽神なら、同じ太陽に関わるとされてる巫女とか国が分からんってのはおかしいな >>134
卑弥弓呼は大国主説が一応あるから
大国主=素戔嗚尊とか素戔嗚尊の娘の須勢理毘売命と結婚してるとかだと
卑弥呼=天照大神とか天照大神の血族って可能性が十分あると思うんだよな
大国主=素戔嗚尊、卑弥呼=天照大神なら
本来皇祖神である天照大神を大和朝廷から三重に離して
邪馬台国とか卑弥呼の伝承分からないのも納得出来るし
皇族から斎女として所謂神に身を捧げるとか沈めるため生贄とかってなるな >>117
読み捨てられる雑誌のように~
私のページがめくれる度に 景初2年(238年)6月、卑弥呼は帯方郡[2] に大夫の難升米と次使の都市牛利を遣わし
http://history.sak●ura.ne.jp/sblo_files/kodai/image/kennsi.svg
難升米と都市牛利がちゃんと居る 大分の宇佐神社が卑弥呼の神社だろうって昔から言われているみたいだな 上にもあるけど当時神道はまだ存在しなかった
卑弥呼は神道の原型とも言われる沖縄神道=御嶽における女神官=祝女的な存在だったんでしょ 日本書紀だと神功皇后だから八幡三神と住吉大神に含まれる 巫女と神様の区別もつかずにスレ建て
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