ポツンと一軒家に出てくる一般人「そこはこの部落まっすぐに行って〜」関西出身俺(ドキッ) [776043259]
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今まで頑なに字幕は「集落」にしてたけど最近そのままになったな >>6
九州ワイもそうや
この部落差別の部落ってのはなにかあるな
普通の部落とちゃう テレビ出るの承諾してるとこばかりだからつまんねーよな >>9
NGだった家のエピソードとか公開してほしいわ >>10
そこに住んでる人の人生がメインなのにそれなくて家の写真(航空写真含む)もNGなら何もやることないじゃん 部落差別は差別されてる部落だから部落という言葉自体は別に普通よな 小学校の運動会で普通に
部落対抗リレー
とかやるよね 部落って言葉に過敏に反応してる人の方が差別意識ありそうなんだが 部落ってよく分からんけど団地のことは遊んじゃ駄目的な感じ? ポツンと一軒家ってタイトルがすでに馬鹿にしているよな ポツンと一軒家に出てくる一般人「そこはこの被差別部落まっすぐに行って~」関西出身俺(ドキッ) 田舎に泊まろうで部落に迷い込んだ回よく放送したよな アレな意味の部落は、被差別部落を略して部落だもん
本来は単に集落の意味よ 四国の親戚も地域の説明で部落が~って言ってたな
集落の意味で 部落は普通に使うだろ
言いづらいのかブラックに聞こえる事もあるが >>26
どこだか忘れたけどたしか四国で
「ここは〇〇部落です」っていうでっかい看板があった
あれはどっちなんだろう ネトウヨにしてもネット右翼の単なる略称であって、まったく価値中立で
蔑称な部分どこにもないけど、たいていイヤがるもんだし 要するに大阪や京都の被差別利権の言葉狩りの結果だろ 俺の住んでるとこも市役所に部落差別解放宣言?とか掲げてあるけど普通に集落の意味で部落って言ってるわ 気にしすぎ
田舎の人は普通に幾らかの家がまとまった地域を部落と呼ぶ 普通に集落の意味の言葉だからな
変に言葉狩りする必要ない なんで元々村よりも小さな単位の集合体の呼称として一般的だった「部落」って言葉が非差別用語になっちまったんだよ
なんかもっと別の言い方あったろうに、なんで活動家たちも途中で新たな呼称使わなかったんだ 田舎住みの人たちから「部落を非差別的な用語して使われるのは困る」って声もあったろうに アホ
知らんけど
もそうだけど部落も西と東じゃかなり意味違ってくるよな いやらしいって言葉を思い出す
親がいやらしいって言うのなんか嫌だった 俺このスタッフに親と聞かれたことあるけどまるまるカットされてたわw これ近畿圏だけだろ騒いでるの
東日本だと部落って普通に使うし >>5
揚げ足取ってくる連中が居なくなったんじゃね?
反社的な意味で、街道の力もだいぶ落ちたって言うし 昔は部落って言ってたのに急に自治会って言うようになった 俺埼玉生まれだけど「部落」っつったら普通に同和のことだわ。
西と東じゃちがうんか? 本当頭可笑しいよ
部落という言葉に差別性を見出していること自体が問題です
小さな単位の集落という意味で戦中では配給制度の為に地元民が更に細分化した歴史がある
こういった歴史を知らねば大きな勘違いをする羽目になるよ 差別を被(こうむ)った部落を被差別部落という訳で「部落=差別された側」ではない
また東と西とは大きく形態が違っていて基本的に西は大きな集落としての被差別部落があった
あとよく勘違いしているが差別が本格的に差別として浮上したのは明治期以降で貧困の度合いでもない
被差別部落にも上下があり上のクラスになれば使用人がいる豪邸に住んでいる
要は江戸時代までは棲み分けが行われた世界であり今で言えば在日朝鮮人社会や華僑社会のようなものである 幼少期に「部落」という言葉をどういう意味で使っていた大人が周りにいたかの問題だろ。
このオッサンの周囲は特に差別意識があって「部落」という言葉を使っていた大人がいなかったってことだろ。
俺の周りの大人は「部落」というのはそのまま「被差別部落」で使ってたんだよ。
だから不用意に口に出さないように滅茶苦茶タブー扱いされた言葉なんだよ。俺にとってはな。 >>51
差別を「ないこと」にしないでよ!
ttps://tottori-jinken.org/wp/wp-content/uploads/2020/03/%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%AB42%E2%91%A1.png 静岡だけど部落に被差別部落の変なイメージもつ奴なんて周りにおらんから関西だけの現象やろな >>54
恐らく東では集落規模が小さい故に被差別部落だけが集約されず部落として孤立した
故に「部落=被差別部落」だと認識されたのでは?
西では一村丸々被差別対象にされた歴史があるので部落単位という概念は可笑しい
スレタイでは関西となっているのでこれは戦後のいい加減な差別問題提起といい加減な
受け取りから来る認識がその様な感覚を拗らせたのだと思う 最初の聞き込みで住んでる人の個人情報べらべら喋ってるのが怖いわ >>57
実家のじいさんの小学校の同級生とかで、よく遊びに来てた一風変わったおっさんがいたんだが、
女性関係が派手だったり、借金こさえたり、と色々地元でもしでかす人で有名だった。
母親に、「あの人は部落の人で、子供のころから苦労した人だから」と言われたことがある。
「部落の人て?」と聞いたらいわゆる同和の人だ、と説明されて絶対口に出すな、他言するな、と怖い顔で言われたわ。 >>57
確かに一村丸々差別対象、ということはなかったのかもな。少なくとも埼玉では。
村ン中にそういう被差別部落があった、ってことだよな。
その辺は西と東も詳細分からんし、研究しようとしてもそれこそタブーな分野だろうな。 そりゃ「被差別」部落だからな
部落の中に差別されてるのとされてないのがあってそれを「被差別」って呼んでるんだから
部落は集落って意味っわかるだろ 西の人は差別をしてきた歴史があるから部落って言葉に敏感
アメ公にとっての黒人と同じ >>59
差別の底辺に貧困問題があるのは当然としてもう一つは社会のシステムの問題がある
明治期以降は富国強兵の為に租税・教育・徴兵を実施しなければ成らず新平民を一律
に掛けた故にそれまでの社会が余り問題としていなかった問題に社会が目を向け軋轢
が生まれた
今でも在日朝鮮人社会や華僑社会といったマイナー系文化を大事にしている社会と一体
となる政策を一律に進めようとすれば大きな軋轢が生まれる様に思える
そういった意味で差別そのものは何も解消されては居ないと感じている 関西って現代もまだドジンみたいな差別があんの?
引くわ 自国の差別というのは非常に難しい問題であり言葉や文章にすれば齟齬が出て来る
差別問題を学習をする上で自国の歴史を掘り下げるのも非常に難しいと思う
最近はウクライナ戦争で再浮上してきたナチス問題を契機にロマ(ジプシー)問題を
嫌儲板でよく見かける先ずは他国の差別意識を他山の石として見るのが上策かと思える >>63
本格的に差別政策を行ったのは江戸時代からであり被差別部落民は江戸の街で商売を
するときには顔全体を隠す笠を被らねばならず東に差別が無かったというのは大きな
間違いです
また近年被差別部落問題を学習する上で大きく取り上げられる福田村事件などは差別
の根底的がなんであるかがよく分かる事件として注目されています 関東は関西と違って同和=利権=ヤクザという図式が
なかったんだが?何処が同和とかの意識も薄いし >>68
いま大河でやっている『鎌倉殿の13人』で頼朝が『大将軍』号を望み朝廷が与えた号は
『征夷大将軍』でした
あの時代の日本は3つの大きな領域に分かれていて関東地方は謂わば坂東と呼ばれ
畿内地域の天下から見れば今の関東地方は東国より出た夷(未開の人民)でありました
更に茨城より上は別国家社会といえる形態を持っていた
朝廷は坂東を警戒して東国へ防人制度をしていますし坂東に対しては多くの渡来系の
人々を送り開発させています(『東国』wiki参照)いわば元々東国そのものが国として差別対象でした >>16
関西じゃわざわざ教育して植え付けてるらしいからしゃーない 学校で何回かあった同和教育的なやつで口にしてはならないレベルのタブーなワードだったのに
じいちゃんばあちゃんが会話の中でナチュラルに使うので大丈夫かよと子供心に思ってたな
だから後にタランティーノの映画が出てきてもマインドに謎の耐性が出来ててそんなに驚かなかった 関西に住んでた時くらいだぞ部落とか朝鮮が身近だったの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています