「クビにしてください」 三菱の国産ジェット事業凍結 開発者が明かす苦悩
三菱重工に1982年に入社し、戦闘機開発に長年携わってきた岸は「戦闘機のエース」として、常に開発の最前線にいた。普段は感情をあまり見せないが、この時は声を荒らげた。
「そんな格好で残るなら意味がない。副社長を含めてクビにしてください」
航空機の名称は2019年、「MRJ」から「SJ」に変わった。
航空機の名称は2019年、「MRJ」から「SJ」に変わった。
当時、MRJは設計が最新の安全基準を満たせないとして、量産初号機の納入を2年延長していた。納入延期は5度目だ。
その頃、水谷は本紙などのインタビューに「今の見通しでいけばぎりぎりいける」と公言し、20年半ばと設定した新しい目標の達成に自信を見せていた。ただ、それは、新体制への刷新とセットだった。
開発の遅れを取り戻すため、陣頭指揮を執っていた岸を外すことで、変革を印象付けたかったのだろう。
なだめられて副社長職にとどまったが、開発責任者にはボンバルディア(カナダ)などの海外メーカーで航空機開発の経験が豊かなアレクサンダー・ベラミーが新たに任命された。
岸は振り返る。「期待に応えることができなかった。新風を吹かせられなかった」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/173114