小、中学生のときに言われて傷ついた言葉⇐何? [242521385]
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友達だと思ってたやつに
なんでお前死なないの?みんなお前の事死なないかなって言ってるんだけど、いつ死ぬの?
って言われてからずっと引きこもりだわ ,,__,,
/ `、
/ ヽ
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/l ''''' し '''''' |
/ l __. |
l /ヽ_ ` --' _ノ
\  ̄ ヽ∩
⌒l l三 |
| ヽ.__| (ヽ´ん`) 「安倍晋三!」
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├>>○ 草
├>>○ ワロタwww
├>>○ ほんとこれ
├>>○ これを見に来た!!
├>>○ これ半分天才だろ!
?
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O
o `,*'、
。 ,’ ドピュドピュ
/⌒ヽ,’
(ヽ´ん`) ハァハァ
⊂、・ ∩ヽつ
r'⌒(_,;_)⌒ヽ
(_ノ'--*-''ヽ_) 不登校でしばらく学校に行ってなかったときにどっかの建物をクラスの全員で見学する授業があって久しぶりに登校したら、「こういうときだけ来るんだ」って言われて泣きそうになったわ 妹が良かったってクソ兄貴に言われた
女だろうがお前みたいなクズは誰からも好かれねぇよバーカ 親が普通に犯罪者だったからそれ絡みで言われるのは嫌だったな
俺自身にはどうすることもできねーし 音痴ってよく言われてた
時が経ってDAMの採点入れて歌う機会があって
音程98%とかが出まくった
ああ、アイツはただの僻みだったんだなと
その時理解したわ ずっとチヤホヤされてたからなんかそういうのあったかなぁ… 外面内面能力出自あらゆる悪口をコンプリートしてきたおじさんだぞ 無数にあるけどスレタイで最初に思い出したのは
小1の時にオセロで教師に勝った時に言われた「ケンモに負けるなんて先生もあまり強くないなぁ」って奴
俺はオセロクラブで優勝するくらい強かったのに、顔や挙動で半分ガイジだと思われていたのだった 言葉ってか学校の指示で良く殴られてたんだけど手足があんま動かなくなったことかな お前が好きなんじゃなくてお前ん家のセガのゲームが目当てで行くんだから勘違いすんなよ オバサン連中によく言われた「お母さんに
似てるね」という言葉 母はまあ美人だし
言われて気分の悪いものでもないので
嘘だろうと思いつつも馬鹿正直に受け取っていたが
年を取る度に似ても似つかない顔に嫌気が差してたな
学校行く前の髪弄りとか30分とか1時間とか
平気でしてて「どうすんだこれこんな顔では
ないはずなのにッ!!」とウワァーと思い
髪をぐしゃぐしゃにしながら大きな
不満を抱えながら登校したのを覚えている 面と向かってブサイク!って同級生の1人に言われたのもめっちゃ傷ついたわ…
でも俺、ガキの頃は子役にスカウトされるくらいだったから顔整ってるほうだと自分では思ってたのに…それで何をしても自信が持てなくなった。
そのブサイク!って俺に言った奴はめちゃくちゃ嫌な奴で卒業するまでずっと嫌がらせされ続けた。
マジでアイツだけは絶対に許さない 傷つけたことなら覚えているよ
お前のことなんて見てねえんだから気にするなよと言った 女子からの、近づかないで!
友達と追いかけっこしててよろめいてたまたまその女子の机に寄っかかっただけなのに
おかげで未だに女性恐怖症だわ 全く事実と違うのに的外れな嘲笑で盛り上がられる時がイヤだった >>36
受からなかったけど姉がジャニーズ事務所に
兄の履歴書と歌い録音したものを送付して
自分だけは何も言われずに兄が姉の指定通りに
やってるのを見た時は案外ショックだった
そこで「何で自分にも声掛けてくれないの」と
言えば姉は答えに窮していただろうし
キツい返しが返ってきた可能性もあるので
聞かなくて良かったな 「恥ずかしくないの?」
恥ずかしいことは一切してなかったけど
その瞬間から俺は内向的になった 顔にかなりコンプレックスあるが
別に他人に対してああだこうだは言わないし
例えばサッカー中田英寿はあれはあれでも
結構良いとは思う 父親には申し訳ないが
父親に似てしまったのだよな アトピーだった(今はもうほぼ完治)んで当然ガキのころはかき壊しちゃうんだけど、
患部見て「足腐れ!」って言われたことは今でも強烈に覚えてるな。 プチ整形は10代半ばの引き籠り時点にして
今は30代半ばで二重切開を考えているが
踏み切れないのはそもそも対面が難しいというか
言葉に出来ない拒絶反応もあるし自分の顔が
嫌いだとはいえ弄るとなると父の
否定にもなるのではないかと申し訳ない為
父の顔も別に悪くはないがとにかく
自分自身に納得いかない気持ちが強い
二重にすると180度と言っても
良いくらい見栄え変わるしそれも腹立たしい ガリ勉、JKの時はギャルの子に面と向かって
「蜘蛛の巣はってそう」って言われて帰って泣いた
その後ドビッチになっていつのまにか女を武器にするお仕事になったw 「堂々としてないことが一番ダサい」と言えばそれまで
別に現代的審美に沿わないような人物でも
堂々と目的意識を持っているというか
悪く言えば欲望(野望)がある人は
それはそれで恰好良く見えることも多々あるし 多分整形外科行くとしたら母同伴だぜ?
30半ばの男がそれで問診表とかに
教えてもらいつつ書くとかちょっと処かキツい
これは別に整形外科だけに限らないけど
絶対ネタにされるような自信がある
※自意識過剰とかではなくて
まあ別にその場限りで術後は一生
会わないのだろうからどうでも良いと
言えばどうでも良いのだろうけど 仕方ないから一緒のグループ入れてやったんだぞ
学級会で議題にまでされたわ
受け入れてくれる人半分くらいだったかな
あのころは発達障害の診断とかあんまなかったしな
でもセルフアスペ診断とかアスペまで行かんのよな
父親がガチアスペ過ぎて自分がまともに思えてしまうのだけども 障害あるということで問診表とかは
先に自宅に送付してもらい受け付けの方では
パスということに出来ないかな
歯医者も多分整形外科もそうだけど
若い女の助手に苦手意識ある
10代の時もそうだったけど
10代時点ではまだ自分が
年下だったので何か許されていたというか
自分でも許せていた部分があるが
年々これが崩れてきている 整形外科行く前に歯医者とか後は股間付近に
アテロームのようなものがあるのでそれを
先にしないと行けないのだが全部先送りで
顔も憎たらしいし行けないしで
そうして悪化していく未来しか見えない
まあ言ってしまえばそれも自分の選択だけど
選んでいるつもりはないというか
出来るだけ何も選びたくない気持ちの方が強い
だけど時間は刻一刻と迫ってくるという具合 歯医者に関しては訪問診療の精神科医から
「自分もしくは支援者とかを介して
該当病院に伝えましょうか?」と
提案されたけどその時は返答しなかった
まあ訪問診療ですら中々会わなかったので
それでも会ったということでポジティブに
受け取るようと言われたけど確かに
自分の状況を知ってもらえれば相手は
気遣ってくれるだろうというのは分かりつつ
知られたくないというのもあって
踏ん切りが付かない 結局のところ
「〇〇!30代半ば弱者!」に
かなり抵抗がある であるならば
一人でやるべきなのだがそれも難しい
表面に出なくても粗相を仕出かして
「プッ」と思われるのが怖い 多分そうなったら自分でも必死に取り繕い
もしくは頭でも掻いて「アハハ・・・」
というような態度を取るのだろうが
それがまた更なる惨めさを生む プチ整形した時は緊張というかあまり
知らなかったというかスリッパ履いたまま
手術台に寝ころんで「緊張して
いらっしゃるんですね 笑」と笑われた
あと術後に鏡見せられて「どうですか?」
とも聞かれたがやり直しなんてないのだろうし
仮に不満だと思っても答えようがないので
美容院とか床屋のようにそもそも
そんなことは聞かないでほしい 女への苦手意識は上級生のオカマのような男
(オカマ云々は大して意味がない)と
その取り巻きの女にターゲットにされ上履きが
ないので探してみたらゴミ箱に捨てられおり
それを拾うシーンを見られ笑われたり
以降もすれ違う度に笑われたのが大きい
また別の人間だが胸倉を捕まれ
自転車を蹴られたこともある
直接の暴力がなかったのは幸いだが
未だに思い出すだけで虫唾が走る 方法によっては拙いが多分やり返していれば
行動の先(リスク)も見てない未成年のこと
「ヤバい奴」認定されて触れられなくなった
=呪縛から解放されていた可能性もあるが
それは過去のことなので今更言っても遅い
他にも色々な要素があるが兎にも角にも
やり返さなかった自分が「今」である 同級生は上級生とは異なり常に優しい方だったと
思われるが自分の中での自分への期待値が
髙かった所為で自己嫌悪が滅茶苦茶あった
〇〇委員とかは務めて居なかったが数学とか
英語とか碌に理解出来ないクソ馬鹿の癖して
クラスの中心気取りだったし今でもそうだが
「どうして構造(方程式)が分からないのか」と
自分でも理解不能で嫌になることも多々ある
多分遅れたくない一心だろうが鉄棒の
逆上がりが出来なくて父に頼んで
休日学校で練習した時もあるし(此方は成功)
先生捕まえて何度か放課後に数学を
教えてもらった時は「どうしてこれが
こうなるのか」と結局全く
理解できずにお開きに (此方は失敗)
クラス全員なのか忘れたが地区大会の
競技会のようなものは練習で
出せたタイムを本番で出せなかったな
井の中の蛙大河を知るまでなら良いが
年齢重ねる度にボロが出る始末
多分ピークは小学4年くらいまでで
後はずっと下り坂で堕ちる所まで堕ちた 低学年の時に先生に障害者と言われた
そこからずっと呪いみたいにその言葉が離れず自分は障害だからずっと人より劣ってると感じながら毎日生きてきた
今でも呪いが解けない 小学生の時、好きだった女の子の席の後ろを通っただけで「キモっ」って言われたのは効いた おまえらの何割かは盛ってるんだろうけどどう生きたらそんなこと言われるんだよ なんで兄と姉は塾に通わせてるのにお前は通わせないと思う?
お前には塾について行く頭が無いからだ
小学校の時に母親に面と向かって言われた 体育のとき真面目に走ってたらキモッて言われた事かな
それ以来自分に自信が持てなくて何やっても気持ち悪い人間なんだなって思うようになってひっそり生きてるわ
友達も彼女もいない 言われすぎて記憶から抜け落ちてるし
もはやそんなこと気にするステージではない 褒められてもテンション下がるだけなんだよな
そんなお世辞勘弁してよみたいな
目立たず話しかけられないようひっそりひっそり生きてても誰かは見てくるんだよね
マジで見ないでよこんな気持ち悪くてどうしようもない人間を ブス同級生たちとブス後輩おおぜいからの「付き合ってください」
俺と釣り合うと思われてんのがつらかった 脇から変な臭いしない?
相手に悪意が無かったのが辛かった 言葉じゃないけど小学3年ぐらいかな整列して女子とお手々つないで移動するエッチイベントがあってさ
そん時のバディ(ブス)にお手々つなぎ拒否られたのが一番キタかなルールだから義務感でつなごうとした手を払われた時は此の世を悟ったね 宿題忘れた翌日、先生にお前の席外だよ?教室はいっこないでくれる?
って言われて本当に廊下に俺の机と椅子が置かれてた時 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています