「徳島から米国名門大へ留学する女子学生を気持ちよく応援できない日本に未来はない」という話について【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(33)



要は、海外有名大学にチャレンジする若い人たちを、

国内に残る人々が「気持ちよく応援できるストーリー」でマーケティングする

…というのは十分可能なことだし、今後の日本社会においてものすごく重要なことなんですね。

なぜなら、実はアメリカ社会においても同じことが同じように問題になっているからです。

アメリカでもエリート大学の学生が「自分たちの輝かしさ」を語るときに、明示的・非明示的にやたら「地元の古い社会」をディスりまくるので、社会の分断がどんどん進行して、「エリート大学の卒業生たち」と「普通の地元コミュニティ」が敵同士みたいな感じになっていってしまっている。

結果として「感染症蔓延防止のためにワクチンを打って下さい」とか言うレベルのことでさえ全力で反対してくる運動が止められなくなっているし、今度は妊娠中絶の権利を認めた判例を覆されかねない状況にまでなっている。銃乱射事件が“毎日1件以上”というレベルで起きていても銃規制ができなかったりする。

アメリカでは、GAFAM的存在を生み出したエリートに全権を渡して活躍させまくっているので、日本においてもそういう風にしたいと思っている人は結構いるんですよね。

今回のようなことが起こるとに、毎回決まって「閉鎖的で成功者を引きずり下ろす日本社会なんか滅べばいいのに!」みたいな方向にSNSで感情が爆発しているのを見るんですけど、「そこ」で一度立ち止まって考えるべき課題がここにはあるんですよ。

その「古い社会を無意識にディスりまくる」ような「アメリカでのエリート優遇の仕方」自体が、「エリート以外」の社会の安定性や自己肯定感を奪いまくることで、アメリカ社会の分断と止められない反リベラル運動みたいなものに繋がっていたりするわけなので。

「エリートを優遇するときに無意識にディスりまくった相手」は決してそのことを忘れていないから、団結して必死に抵抗してやろうと反撃してくるのを止められなくなってしまうんですよ。

だからこそ、日本社会はここで、

「海外有名大学に行くような学生を、“みんなの代表”としてイメージさせ、普通の人が気持ちよく推せるマーケティングストーリー」

…を、今まさに独自に発明しないといけないんです。

日本社会が「エリートをちゃんと尊重して彼らに力を奮ってもらいやすくする」ためには、「アメリカのやり方とは違う文化の醸成」が必要なんですね。
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