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コロンビアで数十億ドルの財宝を積んだ沈没船が発見される。300年前に植民地から搾取した金銀財宝を積んだまま沈没 [624898991]
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2022/06/09(木) 16:03:41.64ID:ztL0kX0uM?2BP(2001)

https://www.jiji.com/sp/article?k=20220609043091a&g=afp

ボゴタAFP=時事】
南米コロンビア沖で発見された、18世紀初頭に沈没したスペインのガレオン船「サンホセ号」と積み荷の、
これまでで最も鮮明な映像が公開された。同号には、何十億ドルにも上る財宝が積まれていると考えられている。
(写真はコロンビア・カルタヘナ沖に沈むガレオン船「サンホセ号」を写した動画のスクリーンショット。コロンビア大統領府提供)


6日夜の海軍の発表によると、文化省の監督の下、遠隔操作型の無人潜水機による4度の調査が行われた。サンホセ号は、カリブ海の水深950メートルの場所に沈んでいる。

 この結果、サンホセ号には「人間が介入した」痕跡が見られないことが分かった。
 一部が泥に覆われた大砲や陶磁器、ガラス瓶や金製品などが確認できた。藻や貝に覆われた船首も鮮明に捉えられ、船体の一部も映っている。
 イバン・ドゥケ大統領は、サンホセ号は「将来的に回収を考えており、完全な状態で保存されている」と述べた。
 回収が実現したとしても、財宝の所有権をめぐり、スペイン政府やボリビアの先住民族と争うことになる。
 沈没時、サンホセ号の所有者はスペイン王室だった。1708年に本国に戻る途中、カルタヘナ近海で、英海軍により沈められた。約600人いた乗員のうち、助かったのは一握りだけだった。
 専門家は、サンホセ号には少なくとも200トンの金や銀、エメラルドが積まれていたと考えている。
 コロンビアは自国の領海で発見された沈没船は、同国の文化財の一部であるとして売買を認めていない。
 スペインは、積み荷はスペインの船に積まれていたものであり、所有権があると主張している。
 一方、ボリビアの先住民カラカラ人は、スペインが祖先に金銀の採掘を強制したことから、積み荷は自分たちに渡されるべきだとしている。
 水深が深いところに沈没しているため、船や積み荷の回収には技術的・科学的な課題が残っている。【翻訳編集AFPBBNews】
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2022/06/09(木) 16:06:03.12ID:ztL0kX0uM?2BP(2001)

> 沈没時、サンホセ号の所有者はスペイン王室だった。1708年に本国に戻る途中、カルタヘナ近海で、英海軍により沈められた。
> 約600人いた乗員のうち、助かったのは一握りだけだった。

海賊ブリカスが世界に誇る私掠船とかなのかね
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2022/06/09(木) 16:07:45.04ID:yp0t6mIm0
スペイン人最低だな
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2022/06/09(木) 16:17:16.47ID:Z5M9oDxD0
俺にも所有権ないかな
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2022/06/09(木) 16:22:20.27ID:N0fXtMGf0
ポトシ銀山 1545年に発見された南アメリカ大陸、スペインの植民地であったペルー副王領の銀山。現在はボリビアに含まれている。スペインの入植者はエンコミエンダ制によるインディオの強制労働で経営し、採掘した銀を本国に送った。こうしてもたらされた銀はヨーロッパの価格革命をもたらしたと言われる。また、16世紀後半以来、中国貿易でも使われ、大量のスペイン銀として流入し、明での銀の流通をもたらした。

ポトシ銀山の発見
 ポトシは標高4000mを超すアンデス山脈にあり、山そのものは800m程度である。1545年4月、グァルパという名のインディオがリャマを追って山に入った際に銀鉱を発見した。それがスペイン人の耳に入り、銀鉱床を確認したスペイン人が採掘権を取得した。その後、次々と人びとが集まり、47年にはスペイン人2千人、インディオが1万2千人、鉱石掘りに従事した。当初はラプラタ(後のアルゼンチン)の行政下にあったが、1561年に財政難に苦しむ王室に13万ペソを献上して分離し、フェリペ2世から「帝国町ポトシ」の名を授かり、翌年には市会が誕生した。その後もポトシの人口は増え続け、最盛期の1650年には16万となった。当時、マドリッドは15万5千、セビリアは18万、ミラノは29万、ロンドンは22万5千と推計されている。
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2022/06/09(木) 16:24:10.80ID:N0fXtMGf0
ポトシ銀山でのインディオに対する強制労働制度であるミタ労働は18世紀にも続いていた。ミタ労働やその他の課税に対する不満がペルー副王領で高まり、1780年にはトゥパク=アマルの反乱が起こった。インカ帝国最後の皇帝トゥパク=アマルを名乗ったのはティンタ県のカシケ(集落長)コンドルカンキであり、彼は同県がポトシ銀山から遠いこと、人口の減少でミタ労働の割り当てを出せなくなったを訴えたが無視されたため、反乱を起こしたのだった。反乱は全国に広がり、一時はリマとクスコを包囲、陥落寸前まで行ったが鎮圧され、彼は81年5月18日、処刑された。
 ミタ労働の廃止を訴えて放棄したトゥパク=アマルの反乱は、ラテンアメリカ全体を揺るがす独立運動の先駆けとなった。それでもミタ労働は維持されていたが、1819年、ラテンアメリカの解放者シモン=ボリバルによって廃止され、250年に及ぶ高地ペルーにおけるインディオ強制労働制であるミタ労働は終わった。
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2022/06/09(木) 16:26:39.39ID:N0fXtMGf0
カルタヘナ(正式名称はカルタヘナ・デ・インディアス)はコロンビア共和国北部、カリブ海沿岸に位置するボリーバル県の首府です。
16世紀以降、スペイン人がインカ帝国を滅ぼして以来、スペイン帝国の最も重要な投錨地として発達し、南米各地で強奪した金やペルー、アルト・ペルーのポトシ銀山の銀、エメラルドをはじめとするアメリカ大陸の産物の輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心地ともなりました。
その富が、カリブの海賊たちや他国の標的になりやすいため、石灰岩(サンゴ石)の壁を造りました。
かくしてカルタヘナは17世紀から18世紀にかけて繁栄の絶頂期を迎えた。
この富む町に目を付けたカリブの海賊達は同港からスペインへの輸出を妨害し略奪に走りましたが、カルタヘナは海賊の攻撃に良く耐え、アフリカ人奴隷達の労働力により難攻不落の港の建設しました。
こうした防衛施設をはじめとしてスペイン植民地時代の様々な歴史的建築物が数多く現存しており、今では多くの観光客が来る町となっています。
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2022/06/09(木) 19:17:00.16ID:e9Oc+NAup
イギリスが討ち取った首だからイギリスに所有権が認められるべき
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2022/06/09(木) 19:20:14.11ID:e9Oc+NAup
>>16
中国から帰ってきた遣隋使・遣唐使船とか沈んでそうだよね
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