「辺境伯」 ←こいつ何者なんだよ [399583221]
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飽き性の姉に代わって辺境伯と結婚した令嬢が“聖女”に、なろう発小説をコミカライズ
冬月光輝原作によるこなきなこ「姉の身代わりで婚約したら何故か辺境の聖女と呼ばれるようになりました」の1巻が、本日6月10日に発売された。
伯爵家の次女である主人公・シルヴィアは、これまで飽きっぽい姉・イザベラが捨てたさまざまなお下がりを大切に使っていた。イザベラは辺境伯・フェルナンドとの結婚が決まっていたが、田舎暮らしが嫌だったことと、フェルナンドの顔を見飽きたと言いだし、シルヴィアに彼と結婚するように命令する。
フェルナンドの婚約者として、彼の住む町を訪れたシルヴィア。姉のお下がりを直しているうちに身に着いた再生魔法で、荒れ果てた野を再生させていると、次第に“辺境の聖女”と慕われるようになり……。冬月が投稿サイト・小説家になろうで発表している小説をこなきなこがコミカライズした。
https://natalie.mu/comic/news/481165
https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0610/anenokawarini.jpg 明治に留学したのがこの手の貴族の令嬢と結婚してたよな 大公公爵は属国の王様
辺境伯は田舎の王様
侯爵伯爵子爵は物語によく出る取り巻き貴族
男爵は成り上がりもの
ってイメージ 辺境伯って兵権とか税制ゆるゆるなんだよな
国が安定したり拡大すると内地になって
本来辺境伯に期待される辺境防衛の役割から離れるようになる
するとやたら強力な諸侯がポン
あっという間に力を付ける
ブランデンブルクとかヴェンド一掃してからは蓄えまくり
オーストリアもルクセンブルク朝という事情もあるが同様だし
なによりもっと昔のメロヴィング朝ですらカールマルテルとピピンは辺境のアウストラシア宮宰からネウストリアしばいてカロリング王権を敷いた
ついで言うと明の靖難の役も辺境王侯だったからだし
日本の安東家もそうだろ
どこもそうだが
辺境特有の事情が却ってを国危うくするというな.. 公侯伯子男の順序で、
公爵や侯爵は血筋で王家に近い家系なので実力者でも王家に近くない連中は公爵や侯爵にはしたくない。
そうすると血筋で王家に近く無い有力者は伯爵止まりなんだけれどそんな伯爵の中でも有力者にはそれなりのポジションを与えないといけなくなると辺境伯とかなるんじゃなかろうか >>53
上二つだぞ?そんなに数増やさない方針だから全員覚えろってコト 今気付いたけど北魏の六鎮って辺境伯みたいな扱いだったんだな
国境防衛を担ってて地位も軍事力も高い >>213
いや六鎮は世襲の領国じゃないし
単なる北方からの移民者の特区
特権と引き換えにめちゃくちゃ危ない対遊牧民の任につかされてた
だから特権が無くなってからキレまくって蜂起したし
元が騎馬遊牧民の出で鎮で戦いまくってるから武門化した
だから特定の家に与えられて封建契約を改めるまで特権は永続的で
与えられるのも地方の有力豪族か中央政権の名族である辺境伯とは違う
しかも六鎮のうち武川鎮以外はほぼ消えたし武川鎮も軍閥化して
最終的には関朧集団という貴族層になって中原中に広まった
そもそも家とか氏族のような集団ではないな 辺境伯で割と最近まで揉めたのはセルビア人
聖地コソボを奪われて国境守護に追いやられてなんやかんやあってやっと取り戻したのに
よく分かってないバカなアメリカ人どもに荒らされて何もかも焼け落ちた 鎮だったらむしろ古代ローマの同盟部族が近いと思う
スエビやフランクの構図は前秦北魏の代と近い 強い蛮族
アッティラが荒らしまわった後滅亡したのでローマ帝国に忠誠を誓った ドイツが「ドイツ」として成立するのは相当後だから何をもって辺境とするか・・・
別の地域の方が良いかと アッティラと言う例を出してローマに忠誠を誓わせたんだろう
アッティラはローマを徹底的に破壊した蛮族だが最後は滅んだ
東洋でもそんな匈奴のような例があり、周辺国は中華帝国に忠誠を誓った 辺境伯は英語だとマークとかマーチとかマーグラヴィエイトとかいう こういうの考察した事書こうとちょっと考えるんだけど、まんさん世界の設定だからどうでもいいやな 日本で言うところの征夷大将軍だからな
最前線を任されてるから絶大な権力を与えられてた 公爵 外様 親藩
伯爵 譜代
辺境伯 要地に置かれた親藩譜代
会津松平家
越前松平家
彦根井伊家 など 紀州徳川家みたいに、一揆が盛んで治めにくい場所を御三家が統治したのと似ている 蛮族を殺して回ったってこと
日本で言うと穢土を救済した徳川家康とかだな 神聖ローマ帝国なんてハプスブルクお膝元のウィーン自体がトルコに3回も攻められる辺境だし
皇帝が中心にいて辺境に強い領主がいるみたいな単純な話でもなさそうな >>225
独語マルクグラーフの訳やろな
これはかっこいいのにね >>234
ハプスブルク領は対オスマンのためにデカくなった
オスマンはギリシャ人国家や東ローマ帝国の後継者で野蛮な国という扱いではなかったよ いや、ハプスブルク領は結婚政策がうまくいって増えていったんだからオスマンのためではないでしょ?
彼らはイスラム教徒だから西洋人から見ればいくら文化が進んでいるとはいえ異教徒扱いで敵なんだよね
だからギリシャやローマの後継者扱いのはずがない >>135
安史の乱の時代の「節度使」のほうが近いよな
強大な権限と実力 >>238
ウィーンがあれだけの文化都市になったのはオスマンと隣接していたから
ブルゴーニュやネーデルラントなどは婚姻の結果だが
ボヘミアとハンガリーなどは政略 >>237
その割には何度も異端認定されて十字軍を送り込まれてましたね
しかも現存する資料では異端承認できるだけの証拠が足りてないというのに >>238
どんな本でそういう知識を得たのか分からないけど
ハプスブルク家はオスマンのカトリック教徒を異端認定しているよ >>242
それプラス単にアルプスの東端だからというのもあるでしょ
西端のリヨンと同じ構図
貿易路としても優秀なんだよなウィーンは
更に言えば東にはドナウ川、
北にはボヘミア盆地、西には南ドイツ平原に囲まれてと肥沃でナイスな立地
まあだからこそその取得に代々の皇帝は骨折ってきたし
その先鞭がルクセンブルク朝
ハプスブルクはその残したボヘミアとオーストリアというレガリアのうち
安定性と銀鉱山からオーストリアを取ったに過ぎない
というか皇帝在所が文化中心地になるのは当たり前だから、あんまりオスマンは関係なくないか >>242
ウィーンが文化都市になった18世紀はマリアテレジアとヨーゼフ2世の文化政策のおかげ(啓蒙専制君主)であって
トルコが隣にあったからではないでしょ…。トルコ風の東洋趣味は流行ってたけど、あくまで一部
19世紀末のウィーン文化とトルコはもっと無関係だし >>244
どんな本と言われても、トルコがハプスブルクから見て撃退すべき異教徒だったのは
わりとどの本にも書いてあるからなあ…とりあえず岩崎周一「ハプスブルク帝国」とか?
ま、なんにせよ辺境伯が国境を守ってるからめちゃ強くて、中央にいる王はぬくぬくとしてて弱い、
なんてことはないよなあと感想を書いただけ
そもそもオーストリアという名前自体が東の辺境ということでもあるし >>171
面白かったわ
本当、オモコロは巫山戯てるようで真面目だな >>250
ぼくが聞いたのは「彼らはイスラム教徒」と断言してる点だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています