「ゲーセンで遊ぶ中学生の僕に、ご飯を奢ってくれた見知らぬおじさん。食事中『来週も会えるか』と聞かれ...」😲 [861717324]
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今から50年以上前、私が中学2年生になった頃の話です。
当時は日曜日になると友達5〜7人くらいで岐阜市の繁華街のゲームセンターによく行っていました。その日も日曜日で、皆でゲームを楽しんでいると、後ろに人の気配を感じたんです。
振り向くと、初老の男性がこちらを見ていました。
「君たちを見ているとこちらも楽しくなる」
私はゲーム機を独占していることを注意されるかと思って、「すみません」と言ってその場を立ち去ろうしました。
するとおじさんは優しそうな顔でニッコリ笑い、こう言ったのです。
「そんなことないよ、君たちを見ているとこちらも楽しくなるから」
やがて昼食の時間になったので帰ろうとしたら、後ろで私たちを見ていたおじさんが
「ご飯食べに行こう」
と誘ってきたんです。
「みんなと一緒に食べたい」
見ず知らずの人に誘われたということもありますが、私たちは7人と大所帯だったので、最初はお断りしました。それでもおじさんは
「みんなと一緒に食べたい。遠慮しなくてもいいよ」
と言って、優しく笑っていました。
その優しい笑顔になにか安心感を覚え、私たちは結局ご厚意に甘えることに。食事中、おじさんは私の横に座り「来週も会えるか」と聞いてきて、その後一週間おきくらいで3か月ほどお世話になりました
んで見ず知らずの者にこんな事をしてくれるのかと、私はずっと考えていました。でも、訳を聞く事もできず、結局その後は自然消滅のような形でお会いする事が出来なくなりました。
自分が65歳を過ぎた今でも、「なんでもっとお礼をして、可愛がって下さる理由を聞かなかったのだろう」「なにかお返しする事が出来たのではないか?」と、後悔ばかりがあります。
あれから50年以上も経って、もう御本人はこの世にいらっしゃらないかもしれませんが、「本当にありがとうございました」と伝えたいです。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな、あの時自分を助けてくれた・親切にしてくれた人に伝えたい「ありがとう」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。https://article.yahoo.co.jp/detail/53c7e7183d2eb07782ca373e45ab30671843c952 50年前のゲームセンターってどんなだ?輪投げでもすんのか? >友達5~7人くらいで
全員の話を聞いたらおじさんの違う面が現れそう 自分が財布でいいから友達が欲しかったなどと供述しており 1973年
日本で『ポン』のコピーゲーム『ポントロン』(セガ)と『エレポン』(タイトー)発売。
1976年
『ブレイクアウト』(アタリ)発売。日本では『ブロックくずし』の通称で、これを発売する為非常に多くのゲーム会社が創業し、現在も老舗メーカーとして多数生き残っている。
1978年
『スペースインベーダー』(タイトー)発売。大ブームとなる。 ちょっとした支配欲みたいなもので歳とると小さい子供を手懐けたいみたいな気持ちが強くなるからな チャリツーしてる人のブログで見たけど、こんな感じの親切そうなジジイに声かけられて疲れてるだろうからマッサージしてやるとか言われてされてたら新宿二丁目で働いてた話しをされて慌てて逃げてきたらしい。 戦後復興期にあった1950年代半ばまで、日本はアメリカ製のピンボールやガンゲームが米軍関係施設の中で使用される例はありましたが、一般の人々は百貨店の屋上などに置かれた自動木馬に接する程度でした。ゲーム機が一般に普及し始めるのはそれ以降のことで、まず遊園地や映画館、ホテルなどにピンボールやガンゲームを中心にしたゲームコーナーがつくられていき、その後訪れるボウリングブームと共に全国に普及していきました。
AM業界の主な出来事
1929年
国産自動木馬誕生
1958年
国産ドライブゲーム誕生
1965年
多彩なプライズゲーム機が登場 クレーンゲームやピンボールの時代かな
インベーダーハウス(今のゲーセン)は70年代後半だから、50年ぎり ホモ活かと思ってたら普通の話だった
まあ金余ってるやつは気まぐれだから
金無い俺も期限近い優待食事券とかなら捨てるより奢ってやろうとか思うよ 一方で年寄りが若くて貴重な時間を子供から奪ってるっていう罪悪感みたいなものも同時に抱えてる 昔友達と遊んでる時にこういう怪しいおっさんたまに居たけど今自分があの怪しいおっさんになって気持ちが多少分かる
下心ある犯罪者は別として金も使わんし自分がバクバク食べれるわけでも無いから飯位ちょっとご馳走したいって気にたまになる いや普通に昔はこういう人がいたんだよ
電車の中で諺遊びをやってて、中学生4人だからうるさかったと思うんだけど、ニコニコ穏やかに微笑みながらこちらを見てる初老のおじさんがいた
うるさかったら申し訳ないと思ってペコッと頭下げても、いやいや違うよって手を振ってニコニコしてた
終点の1つ手前で降りて行った
それきり見たことはなかった
諺遊びだったから学生時代を懐かしがっていたのかなと思った 「イサキ」と同じじゃないかな
子供の頃に得られなかった何かを埋めようとしている 多分当時だと明治の終わりか大正生まれくらいのおじさんだった 俺が子供のころの25年前くらいでも怪しそうで全然怪しくねえオヤジ結構いたの覚えてるわ
友達の住んでるマンションの管理人のおっさんとか公園でサッカー教えてくれるオッサンとか
皆ジュースとかお菓子くれたわ でもそれ以上は何もしないっていう ここ見ると本当に世の中人の厚意も優しさも通じないクズだらけになったもんだなと暗澹たる思いになる
半世紀前はもっと人間の質が高かった
それは土方のじいちゃん達も同じだ
学歴関係なく人間の質は高かったよ なんでも悪く取っちゃだめだよ
これはホモショタ話だと思うけど 50年前だと村落共同体が衰退して企業が共同体化していた頃
共同体に所属していれは精神的に安定する
バブル崩壊後に企業共同体が衰退して今消滅
今まだ共同体を維持しているのは公務員組織くらいか
人生の中で精神が安定していた期間が長ければ幸せだといえる このお爺さんは戦争経験者だろうからな。なにか、あったのかもしれん >>36
そうやって意味もなく罵るのが立派な振る舞いか 今から50年前のゲーセンなんて骨董品市場かよ。
チューハンターとかブルーシャークとかニャロメのコンピューターとか、有料くるくるテレビみたいなのとか。 >>45
自分の胸に手を当てて考えれば答えはすぐ出るだろ ゲーセン通ってた頃は閉まった後店の前でよくダベってた
その後深夜ラーメン食って帰るという堕落 見知らぬ人なわけじゃないけど学生時代はゲーセンのおっちゃんによく飯おごってもらってたよ >>4
セガのペリスコープだろう
ジオラマで再現された海を航行する船を
スコープのぞいて狙撃するゲーム
OEMでナムコ製もあったかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています