家康「イヤェァァァ!!秀頼が『国家安康』とか言ってアチシの斬首を企ててるぅぅ!豊臣滅ぼそ!」👈こんなの許されるんか? [387413547]
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これ考えたやつマジで頭クルクルスットンパーだろ
しょうめい‐じけん【鐘銘事件】
慶長一九年(一六一四)豊臣秀頼が京都方広寺大仏再興に際して鋳造した鐘の銘文中、「国家安康」の文に対して、徳川家康の名前が分割されて使われていることから、家康の身首両断を意図したものとして、家康が秀頼を論難した事件。 大坂冬の陣のきっかけとなった。
https://kotobank.jp/word/%E9%90%98%E9%8A%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6-79894#:~:text=%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%81%E3%81%84%E2%80%90%E3%81%98%E3%81%91%E3%82%93%E3%80%90%E9%90%98,%E3%81%AE%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82 どうせ難癖つけて潰されるのに天下を狙うなとかいって死んだ毛利元就って無能だよな >>118
最高の駒が真田幸村とかもうなんかね。淀君はうるへーから出家させて大人しく大和一国で満足しとけば良かったんよ。 豊国神社にあの釣り鐘を見に行ったけど
国家安康君臣豊楽のところいバッチリここですと印がつけてあって
文化財にこんなことしていいのかと思った
それともあれレプリカなのかな 秀吉よりも過激だと言われていた信長は子孫が生き延びて
フィギュアスケート選手の織田信成になった 秀頼って大野治長の子供だって話あるけど
当時の連中も、秀吉の実子でないだろうって薄々感じてたんかな?
主君殺しに近い後ろめたさみたいなものも、浮気相手の子供なら良いだろうっていう意識
わずかにあったりしたんかな? >>148
明はもともと滅びかけてたが秀吉の出兵で死期が多少早まったに過ぎない >>124
ああ且元逃げてきたんよな
しかし大義名分になるんかこの人 >>138
豊臣家は全国の大名を巻き込んで畿内で盛んに寺社の造営・改築を行っていたので
上方では大変な人気があった
今の京都はほぼ豊臣親子が作ったと言って過言ではないくらい
さらに自社造営の名目で集めた金を中抜きしまくって
数兆円とも言われる巨万の富を抱え込んで決戦のための軍資金としていた
少しでも隙を見せれば滅亡させられる危機感を非常に感じていて
無為に過ごして滅ぼされのではないのは確かだよ >>150
あれ、信なりの爺さんが自称し始めただけで、織田宗家の人達はあんな人達知らないって言ってんじゃなかったっけ >>154
寺作りで大坂方は金がなくなった説が通説だったが変わったんかー。これもう分かんねえな >>151
側室何人もいるのに淀だけポンポン2人産んだら「あ、察し・・・」ってなるだろ >>144
秀吉と三成を筆頭にしたブレイン集団が異次元レベルで優秀だったから
大軍の運用を円滑にできただけ
大坂の陣の頃には豊臣・徳川双方ともそのノウハウを持ったブレインが失われていて
何もかもがグッダグダだったからね >>151
そういう噂が立ったのも
豊臣家に対する不満の捌け口にされてたんだろうね >>151
宣教師が巷でも疑われてるって書き残してたような
うろ覚えなので勘違いだったらごめん
本郷さんは、名無しの陰陽師の子だろうと書いてたな
一人目は秀吉公認の種付けで、秀頼はそうじゃなかったとも ちょっと記憶が確かじゃないけど、何年か前に文献が見つかって
豊臣側が意図的に狙って国家安康ってして家康の2文字を分けたって説が出てなかったっけ
実は徳川側のいちゃもんじゃなかった的な 先手打って潜在的脅威を排除するのは大事やで
なんでアメップはあんなになるまで中国ほっといたんだって感じ 猿の晩年の迷走ぶりみると実は秀長の操り人形だった説が正解かもって思っちまうわ >>156
寺社も当時はまだ万余の軍勢を抱えていたし
朝廷への影響力も大きかった
孤立を深める豊臣家が味方に繋ぎ止めるために寺社に寄進しまくって
その造営が畿内に空前の好景気をもたらして
畿内では豊臣人気が高まったんだよ
だから大坂方にも10万近い軍勢が集まった
寺社の取り込みには失敗したけど あまり上方に気を使ってると
この時代の公方さまもお飾りかってナメられるからな
秀吉亡くなってから天下取る気満々なのは家康より三河武士達かもね >>161
鐘の銘までチェックしないだろうと
本気で家康に呪いをかけようとした可能性は確かにある 夏の陣の翌年に家康死んでるのか
人生ってなんだろな >>171
信長は復興より略奪や焼き討ちの方が圧倒的にえぐいんですけど 最大の懸念を始末してぽっくり
何でもないような事が幸せだったと思う >>148
自分の政権を潰すような無茶をしても相手を苦しめたらオーケーって?
自国民にも相手の国にも迷惑極まりない思想だな へえー今は国家安康はイチャモンじゃなく豊臣の挑発だったとの見方もあるんだな >>151
あれだけ秀吉に忠義尽くしてた福島正則ですら大坂の陣で秀頼から出兵頼まれても拒絶してたからなぁ
みんな秀頼は秀吉の子じゃないって思ってただろう 「豊臣家との闘いは、言わば互角の闘いだった。一歩遅れていれば、処刑場の羊になっていたのは吾々の方だ。先手を打っただけのこと、恥じる必要はない」 >>1
淀のせいだぞ
家康は秀頼と淀の徳川家への忠誠心を試したんだよ
それをバカ嫁がゼレンスキーみたいに突っぱねたから結果として滅びた 淀君のせいというより北政所
嫁同士の確執が豊臣家を滅ぼした >>187
そら托卵で豊臣家乗っ取られたからね
家康も秀頼が托卵の子じゃなければ違った扱いしてたはず >>187
それで北政所が悪いってのもおかしいと思うぜ
秀吉子飼いの武将なんかは北政所の累系が多いなんて事は淀やその周囲だってわかってた事なんだから
いくら跡継ぎの生母とはいえ、北政所を立てる所はちゃんと立てなきゃいけなかった 秀頼とかいう実子かも怪しい存在に跡を継がせる為に甥の秀次を殺したからな
秀吉が種無しだったというのは当時の人間の間でも公然の秘密だったのに >>179
僧侶クラスの知識人ならまずいことになるだろうなって予想はできたはずだからね ドラマや衣装に執拗に原爆イメージ挟み込む朝鮮人みたいにしらじらしいな。
セレクトに意図があるに決まってるだろ。 家康「イヤェァァァ 秀頼が『国家安康』とか言ってアチシの斬首を企ててる 豊臣滅ぼそ(棒読み)」 >>122
家康をそこそこ信用してたってことでもあるわな
結果的には5奉行側が豊臣側になったけど
おそらくこっちも家康も心の底からは信用してない アメリカがイラクに対して
ロシアがウクライナに対して
同じことをやっている >>97
そんなこと言ったら小田原北条はどうなるんだよ >>191
秀頼を跡継ぎにしたのは母親が織田信長の姪だったからというのがある
秀次の父は出自がはっきりしないこともあって例え姉の子といえど秀頼を優先せざるをえなかった 最大の不穏分子だからな、どんな手でもきっちり殺さないと 家康は牢人対策に、あまり熱心じゃなかったから
豊臣方に牢人が多数加わり、冬の陣じゃ10万人にも膨れ上がったんじゃ?
大坂の陣の前に、厄介払いを兼ねて、
牢人多数集め、蝦夷や台湾方面に送り込んで、屯田でもさせりゃ良かったのに 加藤清正の家や福島正則の家も最終的に滅ぼされてるし
なんとか今回生き延びても秀忠や家光の時に滅ぼされるんじゃない? 徹底恭順すれば石高は少ないが官位は高い大名として生き残ったかもな
将軍の娘婿で信長の血縁でもあるし >>204
ないなー
秀頼だけじゃなくて国松までしっかり根切りしてるし
豊臣の血を絶やす気まんまんでしょ 三成襲撃事件が起こってしまった時点で豊臣家の命運は決まってた
あそこで家康が天下取り決断してなきゃ豊臣家内部分裂して戦乱の世に逆戻りだよ 豊臣の血を存続させる価値がなかったのは
所詮百姓の成り上がりで
もとからの摂関家ではなかったからでしょ
公卿としても生き残れる術は残されていなかった 残ってる書状などから
秀頼は臣下として徳川に膝を屈して生き延びるより
決戦して天下を取り戻したいという意志があって
最期も従ってくれた諸将に死に場所を与えて
自らも城を枕に討死する覚悟を遺してる
秀頼のこの決断を愚かと言うのは簡単だけど
二十歳ちょっとの若武者の初陣で
天下を相手に渡り合った器量は褒められるべきだよ >>208
秀吉がもう少し長く生きてれば秀頼は名君として名を残してただろうな 織田家追い落としてノブカツとか平然と改易してた豊臣が
なんで国替えにすら応じず被害者ぶってんのかわからん
これ大阪人のステマだろ >>42
ほんこれ
なんでこれで被害者ぶるのか意味わからんは 安倍を侮辱したから証人喚問
日本人はそんなに進歩してないのがよくわかる >>207
家康が取り潰した家は殆どが成り上がりだからな
上杉なんて正面からタンカ切って弓引いたのに名家だから改易は逃れてる >>213
世の中因果応報だよ
徳川だって関ケ原のときに毛利の所領をごっそり減らしたから
幕末になって倒幕されたわけで 建前上は徳川家は豊臣家の臣下だったと思うんだけどなぁ
主家が徳川家を滅ぼそうとしている、というなら慎んで腹切るのが臣下としての本来のスジだろうと思う ブレイキングバッドが通るなら通るんじゃないの
すぐ死んだし >>212
起草者がわざと入れたのは認めてるからな
ただ呪詛の意図はなく、むしろ尊崇の証だってのが主張
当時の幕府以外の識者も呪詛意図は認めてない >>151
父親が種なしのせいで子供ができない場合、神社で儀式をやって他の男に妻を抱かせるという風習がある
秀吉と淀もそれをやったが一度目では身ごもらず、二度目を淀が無断でやったから秀吉が激怒した
という話を英雄たちの選択で昔やってたな >>163
歴史に限った話じゃないけど「定説は間違っていて実は○○だった!」系の論調って
研究で目立ちたいだけのやつが逆張りで言ってるだけのことが多いからあまり信用しちゃいけないと思うわ 天下を盗るのが目的でそれは手段なだけ
その字がなくとも天下を盗ることに変わりはない
893の因縁と一緒 >>49
500石程度で名家の血筋コレクションできるならコストも低いし… 秀頼の子である国松も庶子だから残す価値が無いと見るやあっさり斬首
家康が血筋にやたらこだわりがある人間だったのは
身内である結城秀康の扱い見ても明らかだわ 文句言われそうだけどわざわざ入れた説のほうが今じゃ強いんでしょ 結局歴史を勉強して得られる教訓とは、
道義的な正しさなんて、そこまで大した意味はないということだね。 ハンコのお辞儀押しに通じるものがある
ていうかこの頃からジャパニーズが今のジャパニーズ仕草を身につけていったのかな 中国でも皇帝の諱を書いたら不敬で刑罰を受けるってことがあるから
わざわざ対立してる相手の諱の文字をバラバラにして刻むのはなあ 嫌儲歴史スレは詳しい結構人おるよな
秀頼もアラブ馬で出陣した可能性があるとか始めて知ったわ >>239
出陣ではなく前線への督戦ね
鎧姿で黒いアラブ馬に乗って秀吉の金の瓢箪の馬印を従えていたが
180cmの大男なので良く目立ったという話
日本馬では潰れてしまうので巨大なアラブ馬を輸入した記録がある
過保護にされて肥満で馬にも乗れなかったと信じられていたのが嘘だったっぽい 頭一つ抜ける大男がでかい馬に乗ってるって漫画の前田慶次と松風かラオウと黒王じゃん
リアル前田慶次は小柄だったらしいけどw >>203
千姫に子供が生まれてれば
少なくとも血筋は間違いなく生き残ったんだけどねえ
姉である千姫を家光も大切にしたらしいし >>226
これ
日本史と日本の考古学は疑ってかかれ 古田織部「国家安泰で良いっしょ。秀吉殿下のテーマの楽だけ入れといて」
徳川家康「嫌ああああ楽嫌ああああ!!!コロスコロスコロス」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています