昔から一般的に使われている、ポルノを意味する中国語に「春宮」という言葉がある。これは文字通り「春の宮殿」を指す。また、絵画的な描写は「春宮圖」と言い、圖は「絵画」や「図版」を意味する。
ポルノには絵画やスケッチの他に、しばしば木材や象牙を用いたミニチュア版の彫刻など、立体的なものもあった。
何千年もの間、中国では性教育をするうえで、ポルノ絵画が非常に重要な役割を果たしてきた。1枚のこともあれば、何枚かがまとめて綴られていることもあるが、これらは若い男女に性の指南をするものとして、非常に役立っていたのだ。
ほとんどがまだ10代だった新郎新婦たちは、それらを通して、結婚初夜やそれ以降にすべきことを学んだ。若い花嫁たちが家財を伴って新居に移り住むとき、母や親戚の女性たちが、家財の隙間に性的描写のあるスケッチを1、2枚しのばせておく、ということも往々にしてあった。
こうした絵画を、性生活にある種の興奮をもたらす目的で鑑賞していたのは、若者たちだけではなかった。「心が若い」人たちもまた、それらを愉しんでいたのだ。
世界で初めて地震計を発明し、どんな分野においても博学だった張衡(78-139年)は、「枕元に描かれた絵」に教え導かれる快楽を讃えた一萹の詩を書いている。
17世紀の官能小説『肉蒲団』には、主人公が出会った、美しいがよそよそしい女性を誘い出すために、「このうえなく見事なポルノ図版本を、絵画や戯画作品を売っていた店で」購入するくだりがある。
春宮圖はきちんとした会話の話題にはふさわしくないし、公に飾られるものではなかったが(そのため「箱底の絵」とも呼ばれていた)、権力者や文人から、町人や農民に至るまで、プライベートで鑑賞するものとして、あらゆる人の寝室にあった。これは現在、世界でポルノが見られている場所とさほど違わないだろう。
さらに興味深いことに、あまり知られていないことだが、ポルノ絵画には「火除け」の役割もあったという。
男女の性交は、古来より肥沃な大地に実りをもたらす雨と関連づけられていた。中国のいくつかの地域では、村人たちが火除けのお守りとして、台所や家の随所にポルノ絵画を貼っていたのである。
豊かな蔵書を持つインテリの多くは、春宮図版を何枚か蔵書に挟み、彼らの貴重なコレクションが火事に遭わぬよう祈った。
少なくとも、中国にはこういった話があったのだ。
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