海を渡った革命家・重信房子 無国籍だった娘メイの過酷な人生〈週刊朝日〉(AERA dot.)
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重信の足跡を追ううちに、父末夫が血盟団事件に関与していたことを知った。この事件は世界不況での格差と貧困の中で生まれたとされるが、父もまた右からの革命を目指していたのだ。

「67年の羽田闘争のあとだったと思う。泥まみれになって帰った私に、父が言った。『房子、今日の闘争はよかった。だけど、あれには、人を殺す姿勢がないな』。わたしはおどろいて、酒の盃を手にしている父をみつめた」と重信は『わが愛わが革命』(講談社)に記している。

「二・二六事件にしても、血盟団にしても、歴史はあとで右翼とか何だといわれるが、われわれは正義のためにやったのだ。(略)房子は、いま左翼だといわれているけれど、とにかく、自分が正しいと思うこと、これが正義だと思うこと、それだけをやれ!」(同前)

海を渡った娘が国際手配されると「死んで詫(わ)びろ」との抗議に父は答えた。「世界中の人間があいつは悪者だと言っても、父親の私が娘をかばわないでどうします」(『日本赤軍私史 パレスチナと共に』河出書房新社)

重信房子の娘、重信メイは73年レバノンに生まれ、逃走を続ける母と過酷な幼少期を過ごした。極右の祖父と極左の母の血が流れるメイは命の「メイ」。革命の「メイ」でもあった。

(後略