0120番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 0a3d-NvsD)
2022/07/04(月) 20:21:04.29ID:1NGjX3vR0土曜夜8時「八時だよ!全員集合」において、過度のいたずら、食物を大切にしない態度、
汚い言葉づかい、いじめ思考などを子供達に植えつけ、そのモラルを引き下げた。
タモリはそれまでタブーだった地方(田舎)を馬鹿にする言葉について、テレビに「市民権」を持たせた。
それ以前は、東北や四国、九州などを、少しでもその都市化の遅れゆえに貶めるような発言は、
テレビの中では、絶対的にご法度だった。ほんの少しでも、地方を馬鹿にした言葉が誰かの口から出ると、
「ただいま、放送上不適切な発言がありましたことをお詫びいたします・・・・・・」
と謝罪の言葉を、司会者は述べさせられていた。しかしタモリは、
「イーじゃねーか、本当のことなんだから」などとニヤニヤ笑いながら言い、
「チバラギ、ダサイタマ」などという言葉を放送に乗せ、地方(田舎)を馬鹿にする風潮を、
テレビの中に定着させた。
現在のテレビ番組では、シロウト参加者などが、
「どちらからいらっしゃいました?」
「岩手です(あるいは、秋田・高知・鹿児島など)」
「それは、またドイナカから(笑)!」
などという出だしのシーンがよく見られ、またそのシロウト参加者も
「ボクにも笑いが取れました」
とばかりにうれしそうな顔をするが、まったく嘆かわしいことである。
方言は、その地方の人にとっての昔からの伝統的な標準語である。
それを一方的に笑いものにすることが、果たして許されるのか?
なお沖縄は、政治的な問題を抱える地域なので、こうした笑いの取り方は、少なくとも
オンエアされる画面からは、見出すことは皆無である。
タモリについては、「社空きの化粧厚塗りギャグ」のように、人の悪口を面白おかしく囃したてる、
心の荒んだトークについても、「許容されないライン」のかなりの引き下げに、関与した罪は大きい。
80年代のビートたけしも、
「おメエ、馬鹿ヤロ、なーに言ってんだよ、コマネチ!」
などと笑いをとりながら、汚い言葉といじめ遊びをブラウン管に乗せた罪は、免れられない。
これは、現在の極まりない悪意に満ちたいじめなどと比べれば、ずっと無邪気な、許されても
いいようなレベルのものではあるが、次世代に一層の悪化をまねいたその足場を作ったものとして、
責められるべきものは、間違いなくあった。
ビートたけしは最近は、映画監督・文化人としてのイメージを高めているが、たとえば
ベネチア映画祭でグランプリを取ったのだとしても、悪いものは悪い、大いに批判されるべき
タレントである。「早く死ね、このババア」といっていたことを、99年8月に母親を亡くした後も
後悔していないか、聞いてみたいものだ。
90年代前半のとんねるずは「うるせえんだよ!」ダウンタウンは「じゃかあしい、このガキ!」と
テレビカメラやライブ会場に向かって、青筋を立てて怒声を浴びせるところまで、凶暴さを増した。
よりキレた、狂的な凄みで押しまくるスタイル。いじめも一層残酷で、理不尽なものとなっていった。
90年代後半に台頭してきたナインティナイン、ウッチャンナンチャン、ロンドンブーツ1号2号は、
それと比べると一見、やや静かで落ち着いた、おとなしい話し方をするが、サッと一瞬人の隙を
突いて見せるようないじめ、暴言などは、一層いやらしさを増し、カマトト顔の裏で、陰湿さをさらに
増した性格が、見てとれる。
こうしたタレントの作り出す“笑い”びたりとなっている子供たちが、弱いものいじめに走るのは、
必然的とさえ言いうるものであり、彼らの番組をスポンサードする企業たちには、“社会的存在”
としての自らについての認識が、決定的に不足していると、言わざるをえないのである。