ドリフターズは、昭和44年から昭和62年まで続き、最高視聴率50.5%を記録した、TBSの
土曜夜8時「八時だよ!全員集合」において、過度のいたずら、食物を大切にしない態度、
汚い言葉づかい、いじめ思考などを子供達に植えつけ、そのモラルを引き下げた。

 タモリはそれまでタブーだった地方(田舎)を馬鹿にする言葉について、テレビに「市民権」を持たせた。
それ以前は、東北や四国、九州などを、少しでもその都市化の遅れゆえに貶めるような発言は、
テレビの中では、絶対的にご法度だった。ほんの少しでも、地方を馬鹿にした言葉が誰かの口から出ると、
 「ただいま、放送上不適切な発言がありましたことをお詫びいたします・・・・・・」
 と謝罪の言葉を、司会者は述べさせられていた。しかしタモリは、
 「イーじゃねーか、本当のことなんだから」などとニヤニヤ笑いながら言い、
「チバラギ、ダサイタマ」などという言葉を放送に乗せ、地方(田舎)を馬鹿にする風潮を、
テレビの中に定着させた。

 現在のテレビ番組では、シロウト参加者などが、
 「どちらからいらっしゃいました?」
 「岩手です(あるいは、秋田・高知・鹿児島など)」
 「それは、またドイナカから(笑)!」
 などという出だしのシーンがよく見られ、またそのシロウト参加者も
 「ボクにも笑いが取れました」
 とばかりにうれしそうな顔をするが、まったく嘆かわしいことである。
方言は、その地方の人にとっての昔からの伝統的な標準語である。
それを一方的に笑いものにすることが、果たして許されるのか?
 なお沖縄は、政治的な問題を抱える地域なので、こうした笑いの取り方は、少なくとも
オンエアされる画面からは、見出すことは皆無である。
 タモリについては、「社空きの化粧厚塗りギャグ」のように、人の悪口を面白おかしく囃したてる、
心の荒んだトークについても、「許容されないライン」のかなりの引き下げに、関与した罪は大きい。

 80年代のビートたけしも、
 「おメエ、馬鹿ヤロ、なーに言ってんだよ、コマネチ!」
 などと笑いをとりながら、汚い言葉といじめ遊びをブラウン管に乗せた罪は、免れられない。
これは、現在の極まりない悪意に満ちたいじめなどと比べれば、ずっと無邪気な、許されても
いいようなレベルのものではあるが、次世代に一層の悪化をまねいたその足場を作ったものとして、
責められるべきものは、間違いなくあった。
 ビートたけしは最近は、映画監督・文化人としてのイメージを高めているが、たとえば
ベネチア映画祭でグランプリを取ったのだとしても、悪いものは悪い、大いに批判されるべき
タレントである。「早く死ね、このババア」といっていたことを、99年8月に母親を亡くした後も
後悔していないか、聞いてみたいものだ。

 90年代前半のとんねるずは「うるせえんだよ!」ダウンタウンは「じゃかあしい、このガキ!」と
テレビカメラやライブ会場に向かって、青筋を立てて怒声を浴びせるところまで、凶暴さを増した。
よりキレた、狂的な凄みで押しまくるスタイル。いじめも一層残酷で、理不尽なものとなっていった。

 90年代後半に台頭してきたナインティナイン、ウッチャンナンチャン、ロンドンブーツ1号2号は、
それと比べると一見、やや静かで落ち着いた、おとなしい話し方をするが、サッと一瞬人の隙を
突いて見せるようないじめ、暴言などは、一層いやらしさを増し、カマトト顔の裏で、陰湿さをさらに
増した性格が、見てとれる。

 こうしたタレントの作り出す“笑い”びたりとなっている子供たちが、弱いものいじめに走るのは、
必然的とさえ言いうるものであり、彼らの番組をスポンサードする企業たちには、“社会的存在”
としての自らについての認識が、決定的に不足していると、言わざるをえないのである。