約40年前。きっかけをつくったのは、研究者でも企業の商品開発者でもない、会社員だった不破郡垂井町の故谷酒茂雄さんだ。そのいきさつを、1982年6月19日の本紙(当時・岐阜日日新聞)が紹介している。
当時の記録をまとめた88年発刊の著書「池田町からゴキブリが消えた」(小松恒雄、水沢溪著)によると、松岡さんは「退治は町ぐるみで」と婦人会にも働きかけ、支部単位で講習会を開催。町もこの取り組みに協力し、84年から3年間、毎年5万円の補助金を出していたという。
町一帯となった取り組みは奏功する。団子の効果はてきめんで、「町からゴキブリがいなくなった」と、さまざまなメディアで注目を集めた。当時町職員だった岡崎和夫町長は「ゴキブリ駆除に、補助金を出した自治体は当時は他になかったと思う」と回顧する。
松岡さんは追放運動の傍ら、全国を飛び回り、団子の製法を教えていた。「勘ではあったが、商品化しても売れると思った」。谷酒さんとともに、85年にタニサケの前身・谷酒生物公害研究所を設立し、翌年から「ゴキブリキャップ」の販売を始めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f86f1d7f1af16dae61e1bcccad0993ce49d8fdf3