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傘を差して道をすれ違うとき、お互いに傘を傾けてぶつからないようにするのを「江戸しぐさ」などと表現していた人がいたが、実は江戸では狭い道を譲らず傘をぶつけあって喧嘩(けんか)することが絶えなかった。気が短い江戸っ子は喧嘩早い。だが、降る雨の中で喧嘩をしていたのでは濡れてたまらないから、喧嘩腰で悪態の一言を言い合って別れた。

これが日傘になると、ぶつかっても濡れる心配がないから、怒鳴り合いがはじまる。このマナーの悪さによって風紀が乱れることに業(ごう)を煮やした幕府は、文政11年(1828)8月、体の弱い女性や子供、医者を除いて日傘を差すことは自粛せよと町触れを出している。しかし、いったん流行したことは止むことがなく、それから天保2年(1831)6月まで立て続けに3度も、日傘を差して外出することを禁止する町触(まちぶ)れが出された。