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「万葉集」題材 念願の連載 故郷の大阪 歌の舞台に親しみ
歴史が好きだ。人物に心引かれることもあれば、建築物や衣服からその時代に関心を持つこともある。
奈良県明日香村にある天武・持統天皇陵で
中でも中学生のころから好きなのは「万葉集」の時代だ。8世紀ごろ編さんされたこの歌集では、あらゆる人が平等だ。高貴な男性が身分の低い女性に振られてメソメソする歌がある。天皇も政治家も農民も放浪の民も同じように扱われている。当然男女の区別もない。成立した時代を考えれば、世界に先駆けた民主主義的な歌集だと感動する。
私の生まれ育った大阪市は、近隣に古墳や史跡が多く、万葉集で詠われた場所も、幼いころから遠足などでよく出かけた。「いつかは万葉集をテーマに漫画を描きたい」と思っていたが、実現はかなり後のことになる。
もともと「あした輝く」のような近い過去の戦争を背景にしたものは描いていた。さらに、明治から昭和にかけての近現代を扱った「あすなろ坂」や、特攻隊を見送る女たちの人生を描いた「積乱雲」。幕末が背景の「浅葱(あさぎ)色の風」。古代エジプトやヤマタイ国が舞台の「海のオーロラ」なども、それなりに手応えを感じながら描いた。
やがて「そろそろ万葉集を」という気持ちが固まったのは30代半ば過ぎだった。
さて、誰を主人公にすればいいだろう? 「万葉集」で有名なのは額田王(ぬかたのおおきみ)や柿本人麻呂だが、長編の歴史漫画にするならば、主人公は、多くの万葉歌人にかかわっていて、生没年がはっきりした人がいい。そして、できればこれまで小説や漫画、映画などで主人公として扱われることのなかった人を描いてみたい。
思いついたのが、持統天皇だった。
蘇我氏を討って大化の改新を行った中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(後の天智天皇)の娘で、天武天皇の皇后になり、やがて自らも天皇になる人だが、彼女の評判は一般的にはあまりよくない。いわく、親と夫の七光で即位した。息子を即位させるために邪魔者を残忍に排除した……。でも私は、万葉集での彼女の歌を読んで、冷静で賢い人だと感じていた。
〈春すぎて夏来たるらし白たへの衣(ころも)干したり天の香久山(かぐやま)〉
〈北山にたなびく雲の青雲の星離(さか)り行き月を離りて〉
構成が巧みで、リズムも心地よく、情景がすぐに想像できる。〈北山に……〉は夫の天武天皇が亡くなった後に詠んだ歌で、最愛の人が遠く離れていってしまうという絶望が込められていると思う。
ひょっとして、女性だから、後世の人々に能力を低く見られたのでは? ムクムクと疑問がわいた。
特に違和感を覚えたのは、持統天皇について、実子が一人しかいないから、他の妻たちに比べて夫に愛されていなかったという説を読んだときだ。今なら暴論だと批判されるだろう。
松本清張さんの「古代史疑」にも励まされた。作家ならではの視点で、古代史の謎に迫った著作である。私も自分の説を語ってみたくなった。
編集者に企画を伝えた。予想通り「古代史なんて、読者になじみがないよ」とネガティブな反応だ。そこで山岸凉子さんのヒット作「日出処(ひいづるところ)の天子」を持ち出して「聖徳太子を主人公にした漫画も人気なんだから、大丈夫よ」とねばった。
編集者は渋々「じゃあ、短めの連載にしてね」と承諾。こうして1983年に「天上の虹」の連載が始まったが、終えるまでに32年もかかるとは思わなかった。