https://globe.asahi.com/article/11534844
―公文書に関心を持ったきっかけは

直接的なきっかけは、米国に国立公文書館(NARA)という大変立派なものがあるのを知ったことです。
1980年代半ば、国会議員になる前、父(赳夫元首相)の秘書をしていた時だ。地元である群馬県の前橋市の学校が、終戦直後の航空写真が欲しいということで探していたが、なかなか見つからなかった。
知り合いの新聞記者に頼んでNARAで調べてもらったら、「あるよ」と。それで米国に行ったときにNARAに寄って検索用カードで「MAEBASHI」を調べたら、数十枚の写真がすぐ出てきた。
ワシントンDCに、日本の地方都市の、しかも戦争で焼かれた写真があるということにびっくりした。しかも、よく整理されていて誰もがアクセスできる。「あぁなるほど、さすがだな」と感心した。

正しい情報を入手することができるのは、民主主義の原点。入手できないと、国民は正しい判断ができない。
結果、悪い判断によって悪い政治家が誕生してしまうことがある。
日本では、NARAのように集中的に記録が保存されているところはどこになるかと考えたときに、あるにはあったけれど、とても小さくて大したことがなかった。それが、関心を持った一番最初だ。

その後、国会議員になり、官房長官になったときに研究会を作り、公文書管理制度の改善について研究を始めた。
調べるほどに、日本の公文書館の施設がみすぼらしいだけでなく、体制、制度も整っていないことが分かってきた。
その後、2007年に首相になったときに公文書管理法の法制化の作業をした。実際に法律が通ったのは、次の麻生内閣のときだ。

―管理法ができる前はどういう状況だったか

公文書の保存と管理についてルールがなかった。90年代後半の薬害エイズ問題では、当初廃棄したとされていた資料が次々と見つかった。
なんと、職員のロッカーにあった。2000年代後半の年金記録問題もとんでもない話だった。政府だからと国民が安心して預けている、そのお金についての書類がないなどというのは話にならない。

外交文書では、首脳同士がちょっと腰掛けて通訳だけを交えて話す時もメモをとる。ところがその会談のメモがどこにあるか分からず、数十年たって、係争の元になることもある。

例えば法律も、制定されてから100年後にその趣旨や本質を確認するには、立法過程が残されていることが大事。
憲法だって、「アメリカ人が作った憲法だ」「日本人が提案していたんだ」などいろんな話がある。
もっと立法過程が明らかになっていれば、そんなつまらない議論をしなくても済む。国をあげての論争にならなくて済む。

――真実を示す資料が知られていないから、議論が起こるということか

そういうこと。声のでかいのに、だまされちゃうということだ。重要でないと思っていても100年後は重要になっているかもしれないから、その時々の個人的な判断はしちゃいけない。
できるだけ多くのものを記録として残し、国民の求めに応じて容易に提示できるようにすべきだ。