“自分はADHDだから”と語って心を守ろうとする若者たちも…木下優樹菜さんの“公表動画”が投げかけるもの
(中略)
治療については脳のアドレナリンやドーパミンなどに作用する薬があるが、それによって100ある困りごとが0になるということは無い。極端なことを言えば、80、70ぐらいまでは減らせるかな、ということだ。まだ治らないからと次々に薬を出されるケースもあるが、そこから先は生活の工夫をしていくことで困りごとを減らしていく方が良い。その意味でも確定診断は受けられたほうがいいし、薬や行動療法、生活のヒントも医療機関でお伝えできる。
専門医からの指摘も
そうしたことも含めて、生活の中で困っている人が“私はADHDだったんだ”と分かるのは良いことだと思うし、啓発は大切だ。木下さんのように、忘れ物のような不注意、あるいはイライラしてケンカしてしまう衝動性というのは、一般的によく見られる症状だと言える。ただし検査のこともそうだし、TMSという間違った治療法を紹介したことについては精神科医として困ったことだ」。
また、Twitter上には「ADHDを免罪符のように使わないでほしい」「もう少し理解を深めてから語ってほしい」といった批判の声もある。
西井医師は「社会が成熟して理解が進んでいけば、“そういう方もおられるよ”ということで寄り添い、対処ができるようになる。例えば10時に遊ぶ約束をするとき、9時半に待ち合わせをすることにして、9時55分に来られたら“良かったね”と。あるいは最近では板書をノートに取れない学生のためにレジュメを配るといった配慮をする大学も増えている。このように、ADHDの特徴を知ることで、一緒に生活がしやすくなる。
西井医師
一方で、僕は患者さんに“ADHDそのものを免罪符にするのはあまり良くないよ”と伝えている。会社で“私はADHDだから仕事ができません、許してください”と言ってしまうと、やはり会社は困るわけだ。“こう対応しようではないか”と、お互いに歩み寄ろうとすることが大切だ。その意味で、“ADHDであることはギリギリまで伝えなくてもいいよ”とも言っている。忘れ物をするようであれば、前もって靴の上に置いておけば、出かける時に絶対に気がつく。そういう工夫を本人もしていくべきだと考えている」。
■“自分はADHDだから、自分はアスペだから”と語って心を守ろうとする若者も
ハヤカワ氏
実業家のハヤカワ五味氏は「私は医師に“ADHDだろう”と言われたが、診断は受けてはいない。投薬することはないということだったし、診断されたからといって何かが変わるわけでもないと考えたからだ。そういう経験から考えると、免罪符になってしまいがちなのは、病名を伝えていることにも原因があると思う。ADHDの知識がまだまだ浸透していないということもあって、お互いに“あれもこれもADHDだから…”というふうに範囲を広げてしまう。
一方で、ADHDは個性と言われることも多いが、人によっては障害者手帳の交付を受けることもできる障害であるということを忘れない方がいいと思う。友人にもADHDの診断を受けて薬を飲んでいるが、そのことを言っていない人もいる。軽く捉えられがちだったり、ファッショナブルになりすぎている状況は違うと思う」とコメント。
(中略)
若者のメンタル支援を行うNPO「あなたのいばしょ」の大空幸星理事長は「ADHDもそうだし、アスペルガー症候群もそうだが、今の若者たちは完璧さを求められる社会を生き延びる、心を守るために自己診断を下し、“自分はADHDだから、自分はアスペだから”と語る傾向がある。
やはり人間は集団生活によって生き残ってきた生物なので、そこから外れる可能性のある個体を本能的に遠ざけてしまう部分があると思う。しかしそれを乗り越えて社会を作ってきた歴史もあるわけで、個性として認めていく多様性こそが種の繁栄にもつながるんだよ、ということは子どもたちには言っていかないといけないと思っている。
一方で、心がしんどいと思っても、確定診断書を出さないと休職させてくれない企業もある。ただ、LGBTQフレンドリーやSDGsのように、商売やマーケティングに使われることにも明確にノーと言っていかないと、本当にADHDで苦しんでいる人が声を上げにくくなってしまう。また、精神疾患を抱えている人は490万人と言われていて、予約が取れないクリニックもあるくらい逼迫している状況もある。とはいえ、流れ作業的に“ADHDだから。薬出しとくね”ということでは良くないと思う」と問題提起していた。(『ABEMA Prime』より)
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