【悲報】三国志におけるケンモメン、「范彊」しかいない [394133584]
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三国志に見る新興宗教。英雄・曹操は「政治と宗教」を、どう考えたのか?
昨今、カルト教団や新興宗教という単語が、ニュースなどに飛び交っている。とかく権力者が特定の宗教に染まることや、教団の巨大化が危惧されるのは、それらが政治の方向性や国家運営すら左右するという考えからでもあろう。1800年ほども前の「三国志」の時代にも、やはり宗教が歴史の流れに大きく関与した例が見られる。歴史書(正史)をもとに紐解いてみよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/40a00e571d12618ac08a79645ff8fccabd3ef804 頭に黄色い頭巾着けてたケンモメンは多そうだけどモブなんだよな 今の日本政府見てると三国志よりも水滸伝の方を思い出すんだよな >>1
なんだこのクソ記事
曹操は五斗米道みたいなカルトの連中を
役職与えて政権内にとりこんだ、
だから、自民党や政府に
統一教会がいても、おかしくないだろ、
みたいな記事だろ
死ねよぼけ 自民党は袁術で取り込んだのは笮融
三国志くらいちゃんと読め 2000年後に名前が残ってるだけでここの奴らなんか比較にならん偉人だろ 韓信は秦末期だしなぁ
あの時代に既にこどおじが居た事に驚きだが
秦って文化的にも経済的にも相当豊かだったんだろうな… 酒飲んでて兵糧輸送サボって孔明に首になった奴いるやん 伏龍とか息巻いてそのまま誰も迎えに来なかったのがケンモメンかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています