中国では皇帝の威徳が失われると「命数を革める」ことの正当性が生まれる
すなわち中国で言うところの革命
これは市民が立ち上がって権力者を追放とかじゃなくて端的には統治者の交代
レボリューションかクーデターかどっちだといわれればほとんどがクーデターだろう
孫文の率いた革命だけが例外といえるかな?

ここには西洋文明=遊牧民族出身者たちが作ってきた文明と
東アジア圏の文明=農耕民族の上に立つ権力者たちが作ってきた文明
の性質の違いがあるよな

農耕民族は土地にへばりつき動きが鈍いのでそれを収奪する者に物理的精神的に支配される
文明のハンドルは支配層だけのものになり民衆に握る機会はこない

翻って中国では皇帝1人の人格に王朝の正当性の全てを帰するのでそれを支える理論的支柱が早くから必要とされ
諸子百家の中で最も受け入れられたのが儒教
儒教は政治哲学
日本は中国文明を輸入するとき儒教の精神をきちんと輸入しなかった
だから支配層には中国歴代皇帝が縛られたような儒教精神による監督が働かない
天皇家が形だけになったといっても1500年続いてる理由もそうした「支配することの責任の軽さ」にあるのじゃないか

支配者も被支配者も
天皇も貴族もその時々の統治者も
そしてここが大事だがあらゆる時代に塗炭の苦しみを味わってきた民衆も
全てが「日和見」「他者依存」「考えない葦」だったのだと知る

日本にレボリューションがない理由は
日本が中華文明のお粗末な縮小模型で
文明を支える哲学を磨こうとしなかったことにこそあると結論付けられるのであーる