https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220804/k10013752331000.html

障害者だからこそできること

自由に動かせるのは首から上だけという重い障害がありながら、車いすで各地を駆け回り、さまざまな事業を立ち上げてきた経営者がいます。障害者だからこそ気づけることをいかし、世界中の人の役に立てるサービスを開発したいと話す男性の思いとは
首から上だけを使って
香川県観音寺市の社会福祉法人の事務所の一室で、理事長の毛利公一さん(41)は、オンライン会議に臨んでいました。
あごで操作することができる特殊なマウスを駆使して、画面の切り替えやファイルの添付など、パソコン操作はお手の物。
音声入力機能も合わせて使うことで、メッセージ送信もスムーズです。
毛利さんが自由に動かすことができるのは首から上だけですが、それを最大限に使って執務を行っていました。
“なんとしてでも働きたい”
棒高跳びの選手として将来を嘱望されていた毛利さんは、18年前、不慮の事故で脊髄を損傷。
高跳び選手時代の毛利さん
重い障害が残ることになりました。23歳のときでした。
医師からは「一生、人工呼吸器をつけたまま寝たきりになる」と告げられたといいますが、毛利さんはトレーニングを続けました。
そして、人工呼吸器が外れるまでに回復する中、感じたのは「なんとしてでも働きたい」という思いだったといいます。
毛利公一さん
「職場を探しましたが見つからず、面接を受けることは一度もできませんでした。だったら自分で会社を作るしかないなと。とにかく、自分の働く場所がほしい、働く場所をつくりたいという一心でした」
経営の経験は全くありませんでしたが、通っていた介護施設の経営者に連日教えを請うなどして知識を身につけ、ようやく介護事業所の設立にこぎつけたのが14年前。
開業当時の福祉施設
介護事業所はその後事業を拡大し、いまやおよそ70人のスタッフを抱え地域の拠点施設となりました。
ものづくりで世界を救いたい
毛利さんには次の目標がありました。
それは、直接ふれあえる地域の人だけでなく、世界中の人の役に立つこと。
そのために、新たに立ち上げたのが「ものづくり」の会社でした。
毛利公一さん
「世界の障害がある方のためにもう少し何かできないかと考える中で、『もの』をつくろうと思いました。役に立つ商品を開発してそれを送ったりすれば、実際に自分が行ったり会社をたてたりすることが難しい遠くに住む人たちも救うことができるのではないかと」
毛利さんは、地元の高等専門学校と共同で、障害者などを手助けできる商品の開発を進めています。
その1つが、人工呼吸器が外れた時に、介助者に知らせる機械です。
おなかに巻いた特殊なセンサーで呼吸の乱れを検知すると、介助者のスマートフォンの警告音が鳴る仕組みです。
開発にあたって、毛利さんはみずから機械のテスト役を務めています。
この日調べたのは、呼吸が止まったことを検知してから警告音が鳴るまでにかかる時間。その長さが適切かどうか確認していました。
センサーを実際に装着し、息を止めた毛利さん。警告音が鳴ったのは、それから10秒後のことでした。
毛利さんの反応は「けっこう長い…」。
介助者が警告音に気付いてから駆けつけるまでの時間を考えると、10秒では遅いのではないかと指摘しました。
かつて人工呼吸器をつけていた毛利さん自身の経験がもとになって、改良すべき点が浮かび上がってきました。
毛利公一さん
「悩みを持っている当事者本人の真のニーズに合致しなければ、作ったものも使ってもらえないし売れていかない。ものづくりの中では障害がネガティブなものではなくて、むしろ障害があったら気づけた。この体もありがたいものだなと思えるようになりました」
呼吸器センサーを海外にも
今後、改良を重ねたうえで来年春にも国内で販売を始め、その後、輸出も行う計画です。
毛利さんはいま、それに向けてベトナムなど海外とつながりがある仲介業者と、メールなどで頻繁にやり取りを行っています。
現地のニーズを探り、1人でも多くの人の力になりたいと考えています。
毛利公一さん
「アジアとかアフリカの発展途上といわれる国の中では、日本のような最新の機器の導入はなかなかできない。こうした国の方々の命を見守り救うためのデバイスとして広げていきたい」
障害者の起業 課題も
そして、毛利さんがいま力を入れているもう1つのことが、自分の“後輩”を増やすこと。
起業を志す人たちをサポートしようと、コンサルティング事業もスタートさせました。
これまでに複数の障害者から相談が寄せられ、一定の手応えを感じているといいます。